goo blog サービス終了のお知らせ 

パオと高床

あこがれの移動と定住

アンナ・カヴァン『氷』山田和子訳(バジリコ株式会社)

2008-10-09 23:13:00 | 海外・小説
「小説の極北」という言葉は魅力的だ。でも、では極北とは何といわれても困るのだが、おそらく、この一冊、極北に入れてもいいのではないだろうか。地上を覆い尽くそうとする氷。氷河期へと入っていく気象異変の中で、地球は終末を迎えようとしている。その中で、少女を追う「私」の物語である。話の基本ラインだけを考えれば、囚われの姫を救う騎士の物語なのだ。そのファンタジーは悪夢のようなSF的設定で、現代文学の洗礼を受ける。寓話に姿を変え、理由と結論のない現代文学の迷路に変貌するのだ。冒険にはっきりとした意味とヒロイックな活力はない。また、騎士に潔白な正義の意志はない。第一、救済されたとしても、その場所は終末を迎える世界であって、あらかじめ失われた楽園なのだ。また、少女を捕らえる男と少女を追う男に異質さはない。むしろ同質の者の現れ方の違い、社会的力の違いがあるだけであって、この二人には同根のような離反と共感の入れ替わりがあるのだ。さらに、少女が果たして実在するのか、妄念が生みだしたものなのかが定かではない。追えば離れる、捕まえれば拒絶する、常に対等になり得ない暴力の図式が描き出される。それを生みだす精神の動きは、見事に封じられた無意識の層として書かれずに表現されている。無意識といいながら、意識上に明快に記述していくご都合のよい小説とは違うのだ。恐怖から服従を反射的に選択してしまう少女。その少女に対して屈服させる快楽に取り憑かれてしまう男たち。崩壊する世界の中で、戦いに明け暮れる国家と人びと。その国家を統べる独裁者でありながら、少女を追う長官。長官の「城」は要塞のような「高い館」であり、そこは迷宮の様相も見せる。また、ガラスと氷が常にある。「私」は時間の妙なずれを見せながら、事態の順序が微妙に逆転した語りに乗って、夢のなかの飛躍のような移動を見せながら、なぜか少女に行き着きながら、離れてしまう。少女のために少女を救うというよりも、「私」は「私」の欲望として少女を救済することに取り憑かれている。二人はどこに行きつくのだろう、無機質化する世界の中で。様々な解釈を生みだしそうな、イメージの冒険がここにはある。ただ、矛盾した言い方だが、どこか多様性が拒絶されているような印象も与えるのだ。「虹色の氷の壁が海中からそそり立ち、海を真一文字に切り裂いて、前方に水の尾根を押しやりながら、ゆるやかに前進していた。青白い平らな海面が、氷の進行とともに、まるで絨毯のように巻き上げられていく。それは恐ろしくも魅惑的な光景で、人間の眼に見せるべく意図されたものとは思えなかった。その光景を見降ろしながら、私は同時に様々なものを見ていた。私たちの世界の隅々までを覆いつくす氷の世界。少女を取り囲む山のような氷の壁。月の銀白色に染まった少女の肌。月光のもと、ダイヤモンドのプリズムにきらめく少女の髪。私たちの世界の死を見つめている死んだ月の眼。」 こんなイメージに入り込めれば、作者の幻視をともに味わえるのだろう。