goo blog サービス終了のお知らせ 

悠遊自適

団塊世代でいち早く世捨て人に・・・!
ゆったり遊び、何事にも心煩うことなく過ごす術の開発と
記録を綴る。

スケッチ用写真収集に・・・

2006年08月03日 18時23分15秒 | 京都散策
もうほんとに殺人的夏の光線の中、スケッチ用の風景写真を撮りにウロウロと
出掛けた。
検診センターで各科の医師との面談に出掛けるついでに・・・

まず、JR京都駅から歩いて東寺を目指すが、日差しの強さが半端じゃーなかった。
サングラス、長袖カッターシャツを羽織り、帽子で防御しながら進んでいく。
まだ比較的に乾いた暑さで救われたなぁー! 

大宮通を南下して程無く、あの京都やなぁ~と納得する建造物、五重塔がしっかり
天に向かって、「どや!」と聳えているのが視野に入ってくる。「りっぱ りっぱ」と言いながら
どの辺から写そうかと何枚か撮りながら近づいていくと、土塀の中に東大門が見えてくる

邪魔な大型車両の駐車姿も絵に描くとき外せば良いと気にせず、パチリ!・・・UPで

進路を土塀に沿って西にとり、中心に南大門がドシっと現れる。
周囲は堀があり、濁った水の中、鯉や鮒が泥をかき混ぜながら餌をあさっている。
南大門をくぐって境内に入ってみたが、あまり人もいなかった!あっついもんなぁー・・・

再び門を出て西に進み、歩道橋に登って南大門と五重塔が入る最高のショットを
パチリ・・・以前に描いたものと並べてみるね。(この風景は何度も描いているが
なかなか納得がいっていないので、近いうち勝負絵を描いてみたい!

(東寺南大門と五重塔の風景写真夏)              (スケッチ画)


次に向かったのは、蛍狩りに行ってから久しぶりの哲学の道へ・・・ここも何時か描いてみたいので・・・
途中、南禅寺にも寄ってみた。
山門には涼を求めて観光客数人が腰掛けていた。

境内の奥にある水路閣に向かい、夏の風景をパチリ(以前描いたものも載せとく

(夏の水路閣、ここよくTVに出るよ!)             (以前描いた水路閣)


時間が迫ってきたんで、休む間もなく哲学の道を目指し進む。
朝か午後だと、道路でも木々の陰で涼しいところがあるんですが、今は昼頃・・・
う~む!

哲学の道での散策者は程よい程度の観光者が・・・殆んど外国の方々でした。
コンビニ弁当を木陰で頂き、描きたいスポットを求めてパチリ!
途中、疎水に架かった橋で画家さんが静かに哲学の道を描いていた。

この方、時々この場所で描かれていますが、画風は非常に細かく素晴らしいものが
ありますが、ご隠居の求める画風でないので今日はチラッと見で通り過ぎる。

(夏の静かな哲学の道風景)                   (帰りに写した南禅寺山門)


ふぅ~!一応今日の予定のコースはこなし、予約時間を見据えて帰途に・・・
検診センターでは治療方法について若干異議を唱え、前回のドックからもうすぐ3ヶ月経過するので
再度、血液検査をしてもらうことにして採血した。 次回は結果が出ている31日に予約。

人は、こんな暑い夏によくウロウロするなぁーっていうけど、汗を出す快感と意外に
巨木に囲まれた寺や、名所って涼しいのです。
建物は高く、木々の量が半端じゃーないんで穴場ですよぉ~!
ただ、行き着くまで少し暑いこともありますが・・・


山科界隈歴史散策・・・明智光秀

2006年08月01日 18時41分48秒 | 京都散策
朝は曇り空で気温もそんなに高くない中、 に乗って南に向かう。
歴史大好きなご隠居、この地に来てから小栗栖にある竹薮で明智光秀が農民に襲われ
落命したことは知っており、何時かは訪ねてみたいと思っておりました。

7月8日の記事で紹介した明智光秀の首塚の由来と関連する事になります。

小栗栖界隈は愛車の  で15分程度南に下った辺りで、目星をつけていた
地域について手がかりを探した。
区域地図を見つけて、あまり期待しないで見つめると”ありました!”「明智藪」と 

大体の見当をつけて住宅地に入ると、有りました・・・道標が。
こんな住宅地の中に入った所に建てられてもナぁー・・・それなりの道端から誘導してくれないと、
分かりにくいよなぁーと毒づく!

(明智藪への道標・・・お地蔵さんを祀ってある側に)


道標に従って進むと、2つ目の道標がすぐ近くにあり(親切なこった)、グングン進むと民家の庭に入る感じで
その場所が有りました。

例によって目的の碑と、由来を書いた石碑が畳半畳ぐらいの区画に、並んで立っていた。UP写真で・・・

その内容によると、1582年6月2日早朝、中国地方へ出陣のため上洛していた
織田信長を本能寺にて襲撃、自刃させ、その後、豊臣秀吉と山崎で戦うも破れ、夜陰に乗じ
近臣十数名と共に、居城のある近江を目指す途中、小栗栖付近で信長の近臣小栗栖館飯田一党の
武士集団に襲われ、あえない最後を遂げた。とある。

現在の周りの状況は当時と比べることが出来ないが、民家が結構密集しており道標にあった
本経寺の裏になり、本経寺の所領だという事です。
藪はそこかしこにありますが、うわっというほど繁った状況ではありません。

で、この後、7月8日の記事にある京都三条白川沿いにある明智光秀首塚へとつながる
訳ですが・・・ご隠居、ちょっと腑に落ちないがまぁー良しとすっか!

周りの民家の表札を見ると、由来書きにあるように飯田姓のお家が結構あった!

午後から絵画教室があるんで、そこそこに納得して帰途に・・・川沿いの道に
百日紅が満開でした。
本当に四季折々の草花が、規則正しく順番に咲きほころび心優しくさせてくれます。

(満開の百日紅=さるすべりの花)


もう1つ、まさかとは思いながらもカワセミ君を探しながら  を漕いで帰っていたら
”いたっ” 川原の草が刈り取られ、見易くなって居たお陰で・・・でも、カメラを構えてあと少しというところで逃げられた! 

やはり草がなくなって、敵にも見易くなってたってこと・・・がくっ!

まぁー読者の皆様にはいま少しお待ち頂くということで、ご隠居はひさしぶりに
爽やかなブルーに遭遇できて満足 満足!


                    

これが山科盆地

2006年07月30日 19時13分13秒 | 京都散策
さすがに暑い! 
最近はMっぽくなって、汗を一杯かきたがるようになった。
毛が少ない頭には風通しのよい帽子を被っているが、日差しに当たるとすっごく
汗が出てくる。

頭から顔に滝のようにぶわぁーっと溢れ出て、持参のタオル地ハンカチが一拭き
でビッショびしょになる。
で、拭いたハンカチを広げ持ったままで移動していると、すぐにカラカラに乾く。

そんな流れ出る汗の快感を得ようと、かなり長い坂道に挑戦して来た。
5月6日に紹介しました忠臣蔵の大石内蔵助が、討ち入り前に山科に隠棲し、祇園
のお茶屋で遊ぶ物語は有名ですが、その際、祇園まで通った峠越えの山道に行ってみた。

その道は山科盆地の西にある山を越えて、京都今熊野に抜ける「滑石街道」と言われ
山科から京都へ抜ける為の数ある道の1つです。
無論、自転車に乗っての峠越えは無理なので、途中、乗って行ける所まで乗って
後は、歩きながら押して越えた。

かなり登った頃に、山科盆地を見下ろすことが出来るポイントが1ヵ所だけあり、
パチリ! ちょっと見にくいかも知れませんが、丁度山科の中心部を写しました。
正面の山が、滋賀大津との境に横たわる山並みです。

町並みは、ちょうど山科区役所界隈辺りが中心で、ご隠居の住む地域も入ってます。

汗ダクダクでやっと頂上に辿りつき、少し今熊野方面に下った所に、「ありました!」
大石内蔵助が祇園に通う際に腰掛けて一服したとされる石が・・・ほんまかなぁー?
何でもありやなぁー・・・ 

ご隠居も持参の水を”ゴクっ!”と飲んで、一服 

(大石内蔵助が休んだとされる一服石???・・・


帰りは、なが~い下り坂・・・これが楽しみで苦しみを超えて登って来た!
びゅんびゅん飛ばして、風を思いっきり受けながら40分かけて来た道を、数分で
下った!

帰宅後、シャワーを浴びてサッパリ! 快感 か・い・か・ん 

歴史散策・・・人も歩けば

2006年07月29日 19時58分52秒 | 京都散策
午後から気候が悪くなるといったお天気情報が当たったようで、比較的に
爽やかな午前中、昨日よりも更に山科から伏見にかけての南地域を  で
ウロウロしていたら、住宅地のそれも玄関脇に、「ごめんやっしゃー」といった
感じで「碑」が現れた。鴨の長明 方丈石 て・・・
ほんまに、なんでこんな所にって感じで・・・思わずパチリ!

そうです!あの歴史で勉強した「方丈記」に関わる史跡ですよぉ~!知ってますよねっ!
 冒頭の文をみれば思い出すでしょう・・・ちょっと紹介ね!

「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、
かつ消えかつ結びて、久しくとゞまりたるためしなし。よのなかにある人とすみかと、
またかくのごとし」

まぁー例によって詳しくは各人、NETで調べてよねっ 

道標に従って山の方面に入って行く、段々上り坂になるんで  を降り押して歩く。

こんなぁーって場所に、運動場などの施設が造られており、そこに立ってる道標に
笑った! 「なにぃ~これっ!」・・・「あばれヶ原にごちそう広場」って!

(鴨長明が方丈記を著した庵を結んだ大石=方丈石への道標)     (面白い看板)


話し変わって解説版によると、長明がここに住んだのは58歳から亡くなる62歳までとのこと
だそうです。
この地は、伏見区日野と言われ日野氏の栄えた地域で、この後も別の史跡に遭遇。

で、この面白看板に従いご馳走でもと右に進むと、いよいよ方丈石への山道にかかるところで、案内板が
あと、250メートルって! う~む ちょっときっついなぁー・・・やめよっか!と、
逃げの気持ちが動く。

 を置いて、水を一口ゴクっと飲んで、山道に入る。
なんせ、ぶらっと出て来たいでたちで、しかも昨夜の夕立で山道がまだゆるい状態の中、
なんとも情けない格好で、よちよち登ってく・・・ あれっ!道が・・
崖崩れで塞がってるぅ~! たよんないサンダル(?)でよっこらしょっと越える。

(いよいよ山道への道標)                     (若干ぬめる山道)


(崖崩れで道が塞がってた・・・)                 (こんな履きもんで来たのに・・・)


なんだかんだとボチボチ登って、やっと方丈石だと記されたよれよれのしるしがあった。
まぁー方丈って言うぐらいなんで、3メートル四方の庵が乗っかる石である。
ふ~ん!って、ご隠居素直に・・・・
記念の碑と解説石が建ててあったんでUPでご紹介しまっす!

(はぁーはぁーふぅーふぅー・・やっと辿りつく、下から)     (上から・・)


こんな山ん中まで入って見に来る奴もご隠居だけのようなので、すぐにスタコラ下る。

今度は下り坂なんで、 での移動の気持ちが良いこと! 颯爽と風を切って・・・
次に遭遇したのはこじんまりしたお寺? みたいな建物があったんで寄ってみた。
碑によると、あの親鸞さんが生まれた地だって! へぇー・・・

(親鸞生誕の地の碑が・・・)                   (かわうそ?んっ・・なんだ犬か!)


お寺は親鸞さん誕生の地にちなんで、日野の誕生院だって! すぐ側には法界寺と
いう日野氏の菩提寺があったが、拝観料が要るんでグルッと周りを見ただけで帰る。

帰り道は川沿いで、んっ!かわうそ?と見てると、なぁーんや犬やった

12時丁度に帰宅出来た歴史散策ツアーでした。 ちゃん チャン!
やっぱ!京都は歴史の宝庫やナぁー・・・平安時代から現在までぇ~

  


洛中洛外散策

2006年07月25日 21時38分06秒 | 京都散策
今日はハローワーク認定日(失業状態か否か)で、良い天気の中、出掛ける。
金融機関と補聴器清掃も済ませるコースを含めて、地下鉄 市バスを利用し
洛中洛外の散策へ・・・

地下鉄烏丸線で北大路駅まで、そこから市バスで上賀茂神社に久しぶりに出掛けた。
市バス 御園橋前(?)で下車。史跡の立て札が・・・「お土居」・・・

注)秀吉による京都都市改造の一つとして,天正19(1591)年,御土居と呼ばれる土塁が構築されました。
御土居は軍事的防衛や洪水対策とともに,洛中と洛外を明確に区別する役割りがありました。(都市史18より)

その名残りがバス停のまん前にあり、「ふ~ん」と理解する。
と、言うことは上賀茂神社は洛外(?)って事になるんやなぁーとつぶやきながら
歩を進め、御園橋を渡ってすぐに到着。

やはり平日だし、祭り時期を外すと一般の観光客はそんなには訪れない。
でも、そんな時はゆったり散策できるし、ご隠居としてはありがたい。
京都の大きな祭りには、下賀茂神社と共に脚光を浴びる神社でその歴史は京都最古の神社だと・・・

(境内との境界・・・大鳥居)                    (立砂と重要建物群)


立砂(たてすな、又は、もりすなとも言う)は、神代の昔に神が降臨した神山にちなんだもの
鬼門、裏鬼門に砂をまき清めるのは、この立砂信仰が起源とのこと・・・由緒書き

中の鳥居の前で近所の子供たちがお絵描き、大胆な鳥居と朱色が鮮やかな色使いに
目を見張る
手、口をすすいで、朱色の門をくぐり本殿前に・・・

(本殿前の門・・・)                         (上賀茂神社本殿・・・この奥)


しばし、拝観見学して外に出て、静かな雰囲気がいい、好きなエリアである社家が
立ち並ぶ一角に立ち寄り、何時か絵に描きたいといろいろなショットを写す。

(社家の並ぶ一角・・・)                      (社家西村家・・・)


いいでしょう?・・・川が流れ、水を屋敷内に引き込む仕掛けがあり、優雅な住まいの様子が羨ましいですなぁー!

注)社家 (1)神職を世襲する家柄。
     (2)神主(かんぬし)。神職。
 
最後にこの一角にある漬物店「なり田」さんで、すぐきと白菜の一味漬けを買い求めて、立ち去る。

鴨川沿いに出て歩いて下り、地下鉄北山駅(植物園前)から洛中烏丸御池駅まで一気に向かう。
ここから、三条通りを通って京都市役所前までぶらぶら歩いて、古い建物を中心に
写真撮影して歩いて来た。

石造りの重厚な建物が、今は流行のショップに変わって若者に新しい町として支持
されているエリアである。

地上に出て、東向きに進んでいると「吉忠株式会社」のビル脇に碑が建ってある。
あの有名な平安時代の男前、在原の業平邸跡・・・トコトコ過ぎて三条通に入り
東に進むと、歴史を感じさせる「足袋屋」さんが・・・いいなぁー!

(在原の業平邸跡の碑)                      (ビルの谷間に歴史ある重厚な建物の足袋屋さん)


旧日本銀行京都支店は、現在京都文化博物館としていろいろな展示品を提供して
くれている。・・・UP写真


(日本生命ビルにリサイクルショップが・・・)           (昔のままの医院)


足や腰がしんどくなる頃、やっと市役所前に到着し補聴器の清掃をしてもらいに
販売店に寄り、帰宅。
そんなに暑くもなく、日差しも時々出るくらいの天気で、ここんところの運動不足が
解消できた1日でした。
 

宵々山・・・京都祇園祭り

2006年07月15日 19時21分23秒 | 京都散策
祇園祭も3連休にクライマックスがやってきます。
昨日から山鉾巡行(17日)までが、見学者にとっては祭りのようなものですが、
山や鉾を飾る各町内の方々は、7月1日からいろいろ準備をこなして大変やと
思います。

で、今年もその山や鉾を見て来ようと10時頃から出掛けました。
もう夏空本番の中、地下鉄四条駅で下車して四条通を河原町交差点に向かって
歩き出すとすぐに、祭りのクライマックス「山鉾巡行」の先頭を切る「長刀鉾」が
大きな姿で見えてくる。

近くで見上げてもカメラに入りきらないので、反対側に渡ってから撮影。
鉾の様子はアップで載せます。
全景はチョット小さいけれど、ご勘弁下され!

(長刀鉾の全景・・)                        (函谷鉾と月鉾)


そもそも、祇園祭りの由来は869年疫病の災厄除去を祈ることから始まったそうで、
今の形になったのは応仁の乱後、1500年に再興した時以来だそうです。
(配布パンフレットから)

いくら宵々山とはいえ、昼日中では人も少ないだろうと思ってましたが、なるほど
夕方涼しくなり、歩行者天国となってからの賑わいはないですが、結構人出はある。
それぞれカメラで撮影する人、早い開店の屋台の食べ物を食べながら歩く人と
それなりにウロウロしていた。

(面白い名前の”鶏鉾”全景)                  (鶏鉾アップ)


そんな中、かわゆい集団に遭遇・・・どこかの保育園児(?)が、はぐれないように
ロープを持たされて鉾の見学に来てた!

(かわゆい集団の見学者)                    (こちらは色気が出始めの浴衣娘っ子)


山車には「山」と「鉾」があるそうで、両方併せて32基が17日の巡行を行うようです。
今年はお休みの日の巡行なんで、すっごい人出になるでしょうなぁー・・・
では、そんな32基をすべて紹介できませんが、本日ウロッと回って写した物を
まとめて紹介します。

(白楽天山)                            (縁起物を販売してたぞ!・・・各、山や鉾で)


(船の形をした、船鉾)                      (岩戸山)


(祭りに併せ、目一杯開いてたお店)               (綾傘鉾)


みんなこんなに狭い路地に、釘を一本も使わないでくみ上げられたものです。
巡行も大変でしょうねぇ・・・あっちこっちこすったりしてねぇー!

あっ!祇園祭りの頃は京都は目一杯あっつい時期でもあり、必ず一回は夕立が降る。
今日もザァーと来てた・・・浴衣、ウチワ、コンチキチン~・・・いいですねぇー日本の夏  

と、この辺であきらめて帰って来ました。
それから、昨日約束の「三年坂」スケッチは明日にUPしますね!

京都東山界隈、絵画つきミステリー散策!?

2006年07月08日 20時13分13秒 | 京都散策
朝、青空が見え久しぶりに東山界隈をワイワイ散策してこようと思い
カミさんの了解をとって、地下鉄東西線東山駅まで一気に進む。
自宅から地下鉄駅まで6分程度、地下鉄で5駅目で年間4700万人の
観光客を引き付ける有力な場所に到着。

日差しは半端でなく、また、湿気が凄く汗が「わっ!」っと噴出す。
持ってるタオル地ハンカチなんか、ひと拭きでびっしょり!

地上に出るとすぐ白川(あのロケで良く出てくる、祇園たつみ橋が架かる川)
が流れていて、柳の誘いに乗って少しだけ沿って歩くと、明智光秀の首を
埋葬している塚の案内板があり、路地を入ってすぐのところにそれがあった。

本能寺の変後、秀吉と山崎の合戦で負けて逃げ延びる途中、伏見(山科の真南辺り)の
小栗栖の竹薮で農民に襲われ自刃、家来が首をこの辺りまで持ってきて
埋めたと解説板に書いてある。ふ~ん!

(白川にかかる三条橋から・・・川はこの先、祇園の情緒たっぷりの界隈に・・・)


(光秀の塚への案内板)                     (光秀塚)


おっと、こんなにしっかり説明してると今日中に終わんないね・・・ちょっと急ぐ。
東山のこの辺りから清水寺までの寺では、1番好きな「青蓮門院」に着き、ここの
大きなクスノキは何時見ても凄いなぁーと感動する。

(青蓮門院山門と大楠)                     (解説付きの大楠)


ちなみに、解説によると樹高は最大26.1Mもあるそうですゾ!

今頃は土曜日でもこの辺りはウロウロ観光している人も少なく、落ち着いて散策できた。

ズンズン南へ南へ進むと、でっかい山門!華頂山知恩院のもので、それはそれは凄い!

(知恩院山門)                           (山門から本堂に続く階段を望む・・いい雰囲気でしょう?大好きです!)


あまりの暑さに、売店でアイスクリームを買ってしばし休憩した。

裏道を通って円山公園に抜け、竜馬と中岡慎太郎の銅像をパチリ!

(円山公園で永いこと立ってはる竜馬はんと慎太郎はん・・・)


しっかし、円山公園は完全にカラスに占領されている感がするぐらい、かぁ~かぁ~と
不気味やナぁー・・・それにほんまに大きいなぁーカラスって 

水をぐびぐび飲みながら、ねねの道に差し掛かる。
高台寺の参道に入る手前で、以前、描いた場所をパチリ!(時期による木々の違いは勘弁ね!)

(本日撮影したショット!)                    (以前描いたショット!)


ところで、この先「二年坂」「三年坂」と続くのは知ってるやろうけど、「一年坂」って知ってる? あんまり観光客が歩いてないんで、
知られてないと思い紹介するね!

ほんの短い路地道なんでねぇ~・・・入り口は、あの有名な日本画家「竹内栖鳳邸跡」があるんですヨ!(碑が建ってる)

(一年坂入り口にある竹内栖鳳邸跡)              (一年坂風景)


で、今日は通常ルート(二年坂~三年坂への)ではなくて、竜馬の墓がある霊山歴史館方面へ向かって「維新の道」を上った。

(維新の道)                            (竜馬等の維新の志士の墓がある所)


竜馬ファンの皆様、お墓参りは確か200円ほど要ったと思いますよぉ~

墓所を過ぎて、どんどん上って行くと道は自然に下りになり、道なりに進むと
直角のカーブになっており、そこが、西村京太郎邸と山村美沙邸となる。
知ってたぁー? アンノン族全盛の頃は、かなりのミーハーが押し寄せてたらしい
が、今はご隠居1人でしたぞ! で、西村京太郎邸は「借家」の看板がかかって
いた・・・ まぁー美沙さんが亡くなって、つまんないやろうしなぁー・・・解る 解る!

(左西村邸と右山村邸)                     (同じ別角度から)


(西村京太郎表札)                     (山村美沙表札)


さぁーいよいよ三年坂に差し掛かり、清水寺参道に入ると、さすがにここは何時でも人込み溢れている。
良く観察すると外人さんが多い!それも、東南アジア系の方々・・・

(三年坂・・・空いてるねぇー)                  (清水寺前)


清水寺の前は、修学旅行生が集合写真を写していた。
例によって、境内には入らず出口に向かう。
裏では、観光客に人気の模擬舞妓の人が観光客の求めに応じて、写真撮影に協力してた。
ご隠居もご相伴に・・・ 

(擬似舞妓ちゃん・・・思いっきり白塗りの顔!・・七難かくす?・・UPで)

空模様も不安定だし、暑いので引き返し帰りの途にブラブラ
途中、二年坂へ向かう別れでそのまま直進・・・ロケなどで使う場所、八坂の塔を
目指す。

(八坂の塔を望むベストショット)                (昔描いた絵)


もう少し進んで、やっぱり西村京太郎や山村美沙原作の京都ミステリーシリーズで
良く出てくるポイントを・・・

(一番多い八坂の塔のショット!)               (やっぱり以前描いた絵)


もっと軽いタッチで描きたいのに、根がまじめやからコテコテになっちゃった。

ねねの道にまで帰って来て、石塀小路をパチリ!

(石塀小路・・この奥、いい風情です)             (初めて人を絵に入れた作品で、しかも舞妓ちゃん・・・いいでしょう!)          

てな訳で、東山散策も終盤ですがあんなに西村京太郎や山村美沙原作のドラマで
殺人事件が多いのに、一度も遭遇しないなぁー・・・そうか、フィクションかぁ~!

ふぅ~!本当に疲れた! 肌も焼けて・・・ガックリ!
でも、懲りないもんねぇ~だ 
         

京都哲学の道ミステリー蛍狩り事件・・・

2006年06月07日 22時21分26秒 | 京都散策
んっ! てな、怪しいもんは、山村美沙か西村京太郎原作の火曜ミステリーか
土曜ワイドのタイトルや!

たった今、帰宅しました。
そうです・・・ホタルを見たいという衝動にかられて、京都市内、哲学の道に
ホタルが飛ぶということは、何度もここを歩いていて碑に記されているので、
いつか見に来ようと思っており、行って来ました。

で、夕方は6時40分頃に家を出て、地下鉄東西線蹴上駅で下車、ここから
歩いて、南禅寺→チョット裏道に入りお屋敷地帯に・・・日暮れてかなり暗い
中、歩いているのは小生のみ! 

ふっと出会ったオープンカー・・・きれいな女性を乗せて、運転している男性も
すご~く男前であった、まるで絵に描いたような・・・

門灯や街灯の薄明かりに浮ぶ、邸宅の木々・・・固定資産税が大変やろナぁー!
と、馬鹿なことを考えている!

(そんな雰囲気をと写真撮影・・・見にくいねぇー! 


南禅寺から永観堂に至る道沿いに「野村美術館」があり、この野村別邸の裏に
今時分咲く、杜若?・・・今日は夜なんで一応フラッシュを焚いたが、やっぱり
無理があった!(UP写真で)

哲学の道にかかった頃は、もう日も暮れてかなり薄暗く、シメシメこれならホタルが
飛び回ってるやろナぁー・・・と、ほくそえむ

 でもぉ~人がいないのはどぉいう訳ぇ~!っと、突っ込むぐらい
だ~れもいない 
ちょっとこわっ!っと、思いつつ歩き始める。
途中に、遠い昔の皇族のお嬢様のお墓がある! 
ちょっと足早に通り過ぎた・・・

薄暗い中、やっと向こうの方から人影が・・・あっ!間違いなく不倫カップルや!
と、思いましたねぇーとっさに! 不自然に手ぇーつないでた

ジッと川面や向かい岸の草木を見つめながら進んで行くも、1つもホタル特有の
点滅するなんとも言えない青っぽい灯りがない
たまぁ~に見つけるのは、時々すれ違うアベックばっかし! 

こんなに遅く、犬の散歩をしていたばぁーちゃんにホタルの出の様子を聞いた。
「気候の所為か今年はまだ見ませんよぉー」って、なんじゃこりゃー!
途中でやっぱし犬の散歩のじーちゃんが入って来て、本当に今年はダメじゃー!って
くぅ~ ばぁーちゃんが言うには、4~5年前までは怖いくらいホタルの飛ぶ
灯りがあったそうです。

本当にホタルの乱舞があるんやなぁー! なかば、碑に書いてあるのは大げさやなぁーと
思っていましたが、今夜の話で信じました!
じーちゃんが、ホタルが飛び出すと京都新聞の朝刊に出るよ!って!
そうなると、人の波が押し寄せてこんなひっそりとする事はないってさ!

て聞いたんで、帰ることにして心残りの気持ちで川面を眺めていたら、居ました 
青白い灯りがふわっふわっと飛んでいました 1匹だけやけど!
おぉ~! 小学生の頃以来に自然のホタルが飛ぶ姿に遭遇! 感動!
デジカメで撮影をと構えるも、あまりにか弱い灯りなんでファインダーに写らない!
でも、もしかしてと何枚か勘で位置を決め写すも、残念!写ってなかったよぉ~

帰り道もすれ違う人は無く、時折涼しい風が襟元をかすめる! 怖わっ! 
ミステリーやのぉ~!  



芸術三昧!

2006年06月02日 19時10分22秒 | 京都散策
昨日から補聴器の調子が悪く聞こえなくなっていた。
毎月初はいろいろ金融関係と、補聴器清掃等のため街中に出て行く
ことにしており、昨日気分変更で今日こなしてきた。

まず、補聴器の清掃をして貰いに販売店に寄って、その後、四条烏丸にある
金融機関まで久しぶりに街中を歩いて向かった。
市役所前から寺町を三条に向け歩くと、すぐに「本能寺」があり、この土日に
「信長まつり」が開催されると、ポスターが貼ってあった。
その準備に、もう屋台を組み立てておりやした!

6月2日、今日あの本能寺の変で信長が自害した日だそうです。
実際に襲われた時の本能寺の場所は、ここより西にあったそうです。

次に、三条通りに出て西に進路を取り烏丸通りへ向かう通りは、今次第に若者に
うけるショップが増えてきています。
古い時代の重厚な建物、銀行や官庁等だった後に、今風のファッションショップや
カフェー・・・また、そのまま古い佇まいで古風なお土産や、歴史ある商品を販売
しているお店もあり、なかなか良いもんです。

六角通りにかかり、久しぶりに「六角堂=正式には紫雲山 頂法寺」を参拝。

(ビルの谷間に建つ、聖徳太子建立(587年)の古いお堂)


この六角堂のもう1つの有名な事としては、華道「池の坊」があります。
小野妹子が太子の教えに従い、宝前に花を供え、代々の住職が伝え生け花の名手を
輩出したと・・・
六角堂の側に、池坊関連のビルが建ってます。

また、ここに「へそ石=京都の中心=写真」がある。


桓武天皇が遷都の時、このお堂が道の真ん中にあり、遷座を祈願した時お堂が
北に移動し、礎石だけが残ったものとか・・・

無事、金融関係の処理を終え、京都駅前に移動・・・カミさんの用事を済ませ
本日の狙い、「藤田嗣治展」を見るべく平安神宮前にある、京都国立近代美術館に
行く。

それなりに入場者もありましたが、比較的ゆったり見れた!
小生が通ってる絵画教室の先生一押しの画家!
あんまり好みの画風ではないけれど、墨による線描は凄いものがあった!

やっぱりばぁーちゃんが多い! でも、結構じーちゃんも入ってたなぁー
それなりに堪能して、今度は京都市立美術館の別館で展示している水彩画を
見に行った。

こちらは素人さんの発表会で無料でした。
かなりレベルとしては高いなぁーと、ちょっと驚く!

2階では、水墨画と一部南画の展示。こちらも素人さんの発表会で無料!
かなりの数が展示されていて、これもかなりの力作が一杯!う~む

しっかり芸術を堪能して帰途に・・・結構疲れた!

帰宅後すぐ、  に乗ってカルガモ親子と、カワセミを見に行った。
昨日の場所に、I さんと、プロカメラマンが仲良く頑張っていた。
カワセミの出は調子悪いらしい・・・

しばし並んで待っていると、カルガモ親子がすぐ近くで遊んでいた。
ちょっと急流の中を、かぁーさんを先頭に一列に並んでエッチラおっちらと
遡ってやって来た。・・・UP写真

(急流をうまく避けながら遡ってる図です)


(やっと静かなたまりに入り、子カルガモは夕食を・・・かぁーさんカルガモは見張り!を)


もう子カルガモも大きくなってるので、今後の成長は問題なく生きていけそう

カワセミも結構写せたが、やはり小さくしか写せなかったんで、今日は載せない!

明日はお絵かきをしよっと・・・いつも思うんやけどねぇー

ゆったり、でも、結構歩いた!

2006年05月25日 18時59分50秒 | 京都散策
久しぶりに朝の散歩を6時30分からスタート!
キッチリコースをこなして7時50分頃帰宅し、朝食たっぷり食った
もう矢でも鉄砲でも持って来い!って感じ・・・検診では体重68.6㎏で
先生から「これくらいでは正常範囲です」って言って貰った 

一息入れて、良い天気なのでチョット遠出でもと地下鉄駅に・・・1dayチケットを買って、
いろいろな場所を散策しようとスタート!
まずは、地下鉄東西線御陵駅で下車・・・「天智天皇稜」に初めて入ってみた。

道から参道へ入ると、うっそうと樹木に囲まれ静かで涼しい。
犬の散歩をしている女の人が1人と、リタイヤ組みのジーちゃん5人組が居てた。
150m程入ると仕切りの塀があり、まぁーここからが稜内って感じでまた150
メートル程の参道(ここは石畳)、トコトコ歩いて入って行く、小生1人だけでした。

(稜に向かう参道・・・静かで涼しかったです)


稜の感じは何処の誰の稜も造りは一緒です。
(UP写真で・・・1月の飛鳥散策で紹介した、天武持統稜と比べてみて下さい・・・めんどいか・・

帰りは途中から木々の間をぬって疎水へ抜けた。(抜け道があったんで)

疎水の散歩もそれなりの人達がやってた!

(天智稜の裏が疎水の散歩道・・・右の石囲い部分が天皇稜の囲いです)


再び、地下鉄御陵駅に行き、今度は烏丸線に乗り換え北山に向かった。
ここは、おしゃれなブティックやレストランそれに教会が多く、感じの良い通りで
小生、京都営業所時代に走り回った頃と趣が随分変わってる。

早々に立ち去り、また地下鉄に乗り今度は北大路で下車、東へ東へと歩き高野川に
行き当たり、初めてこの川の川原を歩いて下った。(南行き)
鴨川に比べて、川原でウロウロする人も少なく水もきれいに感じた。

(高野川から北を望む・・・右に見えるとんがり山が比叡山)


この川は、上流は三千院方面から流れてきており、下鴨神社の下流で鴨川と合流しています。

下鴨神社の近くで、鯉のぼりの川渡しがそのままにしてあった・・・もう6月になろうとしてるのに

(高野川の鯉のぼりの渡し風景・・・鯉に見えないのも多かった!


かなり足と腰にきましたが、ぐんぐん南へ・・・やっと二条橋まで辿りつき、木屋町通りに上がった。
ここから三条通までには、維新に関係する史跡がわんさかとある。
普通、観光客は三条と四条の間をウロウロするけどね!

二条木屋町には、島津製作所創業に関する資料館(博物館?)があり、高瀬川開発の角倉了以の屋敷跡と、一の舟入りが有ります。

 (高瀬川一の舟入り・・・舟入り(荷揚げや荷積みが行われた場所))


今、がんこ寿司二条店がある向かい側。
三条に向かって下っていると、あの有名な「桂小五郎と幾松」が住んだ跡地に
料理屋「幾松」が、今も営業しております。

(料理屋 幾松・・・幕末の有名人「桂 小五郎」=木戸孝光と幾松が住んだ場所)


どうです!風情あるでしょ! まぁー勝負しに行く時しか利用できんなぁー・・
夕食の平均予算・・・1万7千円!ってさ

あっ!、もう1つ紹介しとくねっ!
佐久間象山と大村益次郎が遭難した碑が高瀬川沿いに・・・

(ちょっと解り難いかも・・・2人の遭難の碑が・・)


てな訳で、今日も体にきつい位の散策になりました。
帰り、久しぶりに三条のBOOK OFFで2冊買った!

明日はゆっくりしよっと!