悠遊自適

団塊世代でいち早く世捨て人に・・・!
ゆったり遊び、何事にも心煩うことなく過ごす術の開発と
記録を綴る。

山科界隈歴史散策・・・明智光秀

2006年08月01日 18時41分48秒 | 京都散策
朝は曇り空で気温もそんなに高くない中、 に乗って南に向かう。
歴史大好きなご隠居、この地に来てから小栗栖にある竹薮で明智光秀が農民に襲われ
落命したことは知っており、何時かは訪ねてみたいと思っておりました。

7月8日の記事で紹介した明智光秀の首塚の由来と関連する事になります。

小栗栖界隈は愛車の  で15分程度南に下った辺りで、目星をつけていた
地域について手がかりを探した。
区域地図を見つけて、あまり期待しないで見つめると”ありました!”「明智藪」と 

大体の見当をつけて住宅地に入ると、有りました・・・道標が。
こんな住宅地の中に入った所に建てられてもナぁー・・・それなりの道端から誘導してくれないと、
分かりにくいよなぁーと毒づく!

(明智藪への道標・・・お地蔵さんを祀ってある側に)


道標に従って進むと、2つ目の道標がすぐ近くにあり(親切なこった)、グングン進むと民家の庭に入る感じで
その場所が有りました。

例によって目的の碑と、由来を書いた石碑が畳半畳ぐらいの区画に、並んで立っていた。UP写真で・・・

その内容によると、1582年6月2日早朝、中国地方へ出陣のため上洛していた
織田信長を本能寺にて襲撃、自刃させ、その後、豊臣秀吉と山崎で戦うも破れ、夜陰に乗じ
近臣十数名と共に、居城のある近江を目指す途中、小栗栖付近で信長の近臣小栗栖館飯田一党の
武士集団に襲われ、あえない最後を遂げた。とある。

現在の周りの状況は当時と比べることが出来ないが、民家が結構密集しており道標にあった
本経寺の裏になり、本経寺の所領だという事です。
藪はそこかしこにありますが、うわっというほど繁った状況ではありません。

で、この後、7月8日の記事にある京都三条白川沿いにある明智光秀首塚へとつながる
訳ですが・・・ご隠居、ちょっと腑に落ちないがまぁー良しとすっか!

周りの民家の表札を見ると、由来書きにあるように飯田姓のお家が結構あった!

午後から絵画教室があるんで、そこそこに納得して帰途に・・・川沿いの道に
百日紅が満開でした。
本当に四季折々の草花が、規則正しく順番に咲きほころび心優しくさせてくれます。

(満開の百日紅=さるすべりの花)


もう1つ、まさかとは思いながらもカワセミ君を探しながら  を漕いで帰っていたら
”いたっ” 川原の草が刈り取られ、見易くなって居たお陰で・・・でも、カメラを構えてあと少しというところで逃げられた! 

やはり草がなくなって、敵にも見易くなってたってこと・・・がくっ!

まぁー読者の皆様にはいま少しお待ち頂くということで、ご隠居はひさしぶりに
爽やかなブルーに遭遇できて満足 満足!


                    

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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
半ばGOOD (しゅん吉)
2006-08-02 18:31:28
画面からはみ出さなくなりました。

もう少し小さい方がバランスがいいかなー。
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入ったかー・・・ (しゅん吉さんへ)
2006-08-02 20:39:51
ご隠居のソフトやとこれまでですわ・・・

まぁーこれですと細かいとこまで見えるし

良しとしょうっか!
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