さいたま市の桜を語るなら、ソメイヨシノがほとんどだが、約千本のサクラがある「大宮公園」から始めるのが当然だろう。日本さくらの会の「日本さくら名所百選」にも選ばれているのだから。しだれ桜は樹齢120年のもあるとか。
旧浦和市の住民なので、近所から回っただけで、旧大宮市のこの有名な公園が最後になったのには他意はない。
ここは何度訪ねたか分からない。満開の花見に来たのは、今度が初めてだった。
満開時なら、その豪華さはソメイヨシノの右に出るものはない。なにしろクローンなので一斉に咲くのだから。私がソメイヨシノに抱いている偏見は、満開のソメイヨシノをあまり見ていなかったせいかもしれない。さすがに素晴らしかった。(写真はボート池付近)
この公園は、そこらの公園とは違う。大宮駅の開業とともに1885(明治18)年開園だから、すでに130年近い。氷川神社の裏にあるので、当時は「氷川公園」と呼ばれた。
夏にはホタルが飛び、秋にはハギやススキが茂り、虫がすだく。武蔵野の面影の濃いアカマツの雑木林で、東京から30分の風流な奥座敷だった。それに魅かれて、正岡子規、夏目漱石、樋口一葉、永井荷風、国木田独歩、森鴎外、正宗白鳥、与謝野鉄幹らの文人も訪れている。
日本初の林学博士で造園学者、日本の都市公園第一号の日比谷公園などを設計(明治34=1901年)した埼玉県菖蒲町生まれの本多静六が大正10(1921)年、現在の公園の骨格を定めた「氷川公園改良計画案」を作成した。
大正末期ごろからサクラが積極的に植えられた。「サクラとアカマツの風景」が売り物だったのに、1964(昭和39)年の台風で、120本のアカマツが倒れ、代わりにクロマツが植えられた。アカマツには百年を超すものもある。
そのクロマツにもサクラにも衰えが見えてきたので、120周年を契機に、公園では2005年から「大宮公園桜守ボランティア」の協力を得て、「サクラ活性化対策」を始めた。
密生しすぎて 日当たりが悪いきらいがあるので、思い切って伐採したり、サクラの根元の土壌改良作業が進められている。
ソメイヨシノの寿命は短いとされるものの、弘前城のサクラのように手入れが良ければ長持ちすることが分かっているので、楽しみだ。マツも770本あるとか。
サクラだけではない。大宮公園の一角にある野球場では、立替前の球場の竣工試合では、日米親善野球第17戦があった。ベーブルースやルー・ゲーリックなどが10本もの本塁打。23対5で全日本に圧勝したものの、当時北海道旭川中学4年のスタルヒンが8回裏に登板、零封した。
スタルヒンの名はよく覚えている。昔の野球ファンには懐かしい話だ。
1953(昭和28)年の高校野球南関東大会で熊谷高との試合で、佐倉一高の長嶋茂雄がバックスクリーンに特大のホームランを放ったのもこの球場だ。
スタルヒンも長島もこの球場から育っていったのだ。
NACK5スタジアム大宮は、日本初のサッカー専用球場として1960年に誕生し、64年の東京五輪のサッカー会場となった。
この原稿は、ほとんど公園事務所でもらった資料に基づいている。感謝したい。