ださいたま 埼玉 彩の国  エッセイ 

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平林寺 新座市

2009年12月10日 17時42分04秒 | 寺社

平林寺 新座市

「灯台下暗し」という言葉がある。このことを実感する機会があった。新座市野火止にある平林寺の紅葉である。春や夏には何回か訪れたことがあるのに、秋の紅葉についてはまったく知らなかったのだ。

きっかけは新聞の県版記事だった。両陛下が紅葉狩りに平林寺においでになったというのだ。これほどの紅葉を半世紀近く知らなかったのだから恥ずかしい限りである。

燃えるように紅色が鮮やかなイロハモミジが主で、山門や仏殿、本堂、鐘楼などを背景に、陽に当たると美しく輝く。京都のモミジにひけをとらないほど。順路は一周2.5km、ざっと1時間の秋の絶好の散策路である。

約56haの広大な境内林は、クヌギやコナラの雑木林で、武蔵野の面影を色濃く残し、国の天然記念物に指定されている。昔の武蔵野は、今はほとんど無くなった。「武蔵野とはこんな所だったのか」と思い起こすにはもってこいだ。

雑木林の芽吹きの時もいいし、野鳥が30種類以上いるというからバード・ウオッチングにも最適。境内林の外には、野火止用水が流れ、緑道になっているのでウォーキングを楽しめる。春には、梅も桜もある。いつ訪ねても素晴らしいお寺だ。昔、子規や虚子も吟行に来た。

今も修行道場のある臨済宗妙心寺派の古刹。別格本山である。野火止用水の開削、島原の乱の鎮圧で知られ「知恵伊豆」と呼ばれた老中松平信綱などの墓があることで知られる。信綱の遺命で1663年岩槻から移った。島原の乱戦没者供養塔もある。

「電気王」「電気の鬼」と言われ大実業家松永安左ヱ門や、歴史学者の津田左右吉も、ここに葬られている。

最近気になっているのは、境内の野火止塚や業平塚である。在原業平がここに実際に来たのかどうかはさておき、いま評判の東京スカイツリーの最寄り駅は、東武伊勢崎線の業平橋駅だということから分かるように、業平は武蔵国に足跡を残したようなのだ。

野火止塚には地元にひとつの言い伝えが残っているという。平安時代、この一帯を治めていた郡司長勝が旧知の当時の最イケメン業平を館に招きもてなした。ここに足を止めているうちに業平は長勝の娘の青前姫にひかれ、結婚の約束をして二人で野原で密会していた。

長勝はこれを許さず、追っ手が野原に火をつけて探そうとした時、姫が詠んだのが、有名な

武蔵野は 今日はな焼きそ
若草のつまもこもれり
われもこもれり
(武蔵野を今日は焼かないで。主人と私が身を隠していますから)

燃え盛ろうとした野火は消え、その野火が止まった所が野火止塚だという。

業平塚とは、業平が東下りの時、武蔵野に駒を止めて休んだという話から、伊勢物語にからめてその名がついたのではないかという。

二つの塚とも、業平とは直接の関係はなく、野火の見張台があったのではという散文的な見方もある。武蔵野が雑木林ではなく、その字のとおり、野原だった時代のお話。

むかし、男ありけり。人のむすめを盗みて、武蔵野へ率(い)てゆく程に、盗人なりければ、国の守にからめられにけり。女をば草むらの中に置きて、逃げにけり。道来る人、この野は盗人あなりとて、火つけむとす。女、わびて、
武蔵野は今日はな焼きそ 若草のつまもこもれり われもこもれり
とよみけるを聞きて、女をばとりて、ともに率ていにけり。 『伊勢物語』(第十二段)



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