ださいたま 埼玉 彩の国  エッセイ 

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秩父の三峯神社

2012年11月30日 20時01分05秒 | 寺社



たまたま梅雨の晴れ間に恵まれた10年7月10日の土曜日、いつもの仲間と秩父の三峰神社に出かけた。もう何年、いや何十年ぶりのことだろうか。

この神社には、日本神話の中で私が最も興味を持っているヤマトタケルノミコト(日本武尊)の巨像がある。いくつもの巨石の上に1970(昭和45)年に建てられたこの銅像は、本体は5.2m、地上15m。左腰に剣を指し、5本の指を開いた右手を差し伸べている。

東征の際、横須賀市走水を船出して東京湾を千葉に向かって渡ろうとした際、襲ってきた嵐を鎮めようと、自ら入水して果てたオトタチバナノヒメ(弟橘媛)に、「ああ、わが妻(吾が妻)」と呼びかけている姿であろう。

オトタチバナノヒメが、入水時に詠んだ「さねさしさがむのおのに もゆるひの ほなかにたちて とひしきみはも=さねさし相模(さがむ)の小野に 燃ゆる火の火中に立ちて 問いし君はも」という有名な歌がある。

相模の野でたぶらかされて、火攻めにあったミコトが、東征の前に叔母のヤマトヒメ(倭姫)からもらった剣(草なぎの剣)と火打ち石を使って難を逃れた時、オトタチバナノヒメの身の安全を気遣ってくれたミコトに応えて詠んだ歌である。

「愛のために一身を捧げる」。日本の数多くの恋の歌の中で最も素晴らしいものの一つではあるまいか。

三峯神社には、山梨県から群馬県の碓井峠に向かうミコト一行が埼玉・山梨県境の雁坂峠で道に迷ったとき、山犬(狼=日本狼)が道案内した。ミコトは、そこに日本国の「国生みの神」である「イザナギ(男神)」「イザナミ(女神)」の国造りをしのんで神社を創建したと伝えられる。

三峰とは、神社の奥の宮がある「妙法ケ岳」(1329m)、「白岩山」(1921m)、東京都の最高峰「雲取山」(2017m)のことだという。

修験道では必ず顔を出す役小角(えんのおづぬ)がこの三峯で修業したとの言い伝えがあり、修験道の道場として知られた。山また山、ぴったりの道場である。

昔は埼玉県の行き止まりの辺境だったのが、国道140号線の雁坂峠に「雁坂トンネル」ができ、山梨県に抜ける「秩甲斐街道」となったので、せっかくの秋の「秩父もみじ街道」も通り抜けの道になった。

神社に通ずる「三峯ロープウエー」も老朽化で廃止され、今ではバスだけ。

しかし、訪れる人が少なくなった分、昔の神秘性が戻っている。標高1102mのこの神社には、梅雨も明けないのに、早くもセミのカナカナが鳴き、山萩が咲いていた。雲取山への登り口では、雨上がりとあって初めて「ギンリョウソウ」も見た。

「狛犬」ならぬ「山犬」が守るこの神社は、女性にも人気の新しいパワースポットになった。絶滅したといわれる山犬(おおかみ)を探し続けている人もいる。年に100万人が訪れるという。社殿も見事に復旧されていて、都会の喧騒が嫌いな人に向いている。



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