エンジェル田中のホボ毎日記

☆私たちは何を知り、何を祈り、何を伝えるべきなのか? 大衆伝導師“エンジェル田中”が語るレアな聖書メッセージ!

ギデオンに「卑劣な布教活動」

2010年06月18日 | 日記
 ギデオンの聖書配布に対して、「卑劣な布教活動に苦情」と書いた佐賀新聞。これが一つの日本の現状である。また、この記事に対して、佐賀新聞に抗議された藤野慶一郎牧師の意見書も合わせて紹介させていただく。日本宣教に対する心構えとして、一読しておいていただきたい。


●信教の自由? 中学校門で聖書配る

 佐賀市の複数の中学校で、宗教団体が登校する生徒に聖書を無料配布する行為が相次いだ。

 保護者から「学校は規制しないのか」と疑問の声が上がるが、学校は「敷地外での活動」「信教の自由を妨げることにならないか」と、対応に苦慮する。市教委は「支障を来せば、敷地外の行為でも申し入れすることもあり得る」という内容の見解を各校に通知している。

 関係者の話などによると、5月に少なくとも3校で聖書配布があった。校門近くに「無料配布」というのぼりを立て、胸に「聖書」のゼッケンをつけた数人が文庫本サイズの聖書を配った。

 配布した宗教団体の関係者によると、会員がいる佐賀市や伊万里市、嬉野市などの中学校を中心に年間6000冊ほどの聖書を配っているという。「配布は布教活動の一環。受け取りを拒むこともできるし、中学生ならそれだけの判断はできる」とし、「敷地外の公道での活動。何の問題もない」と話す。

 ある中学校には配布の事前連絡があった。校長は「特定の宗教団体の活動を支援していると誤解を招く恐れがある」とも考えたが、「ほかの業者もチラシなどを配布することがある。敷地外のことで、やるなとは言えなかった」と戸惑い気味に話す。別の中学校の教頭は「信教の自由を妨げることにもなり、駄目と言えなかった」という。

 保護者から「無防備な子どもたちへの布教活動は卑劣」などと苦情を受けた市教委は「支障を来すのであれば、学校の敷地外でも申し入れすることもあり得る」という見解を通知。その上で「宗教活動そのものは否定できないが、学校には勉強に不必要なものは持ってこないよう指導している。その観点で配布には問題がある」と話す。(6/16/10 佐賀新聞)


■この記事に対して、日本バプテスト連盟嬉野キリスト教会牧師 藤野慶一郎師から、佐賀新聞に出された意見書


 意見書

 佐賀新聞御中

 日本バプテスト連盟嬉野キリスト教会牧師 藤野慶一郎

 前略、私は佐賀県嬉野市にあります、日本バプテスト連盟嬉野キリスト教会の牧師で藤野慶一郎と申します。福岡市の西南学院中学高等学校で非常勤講師として聖書を教えています。

 昨日の貴社の記事「中学生に聖書配布 校門近くで布教 保護者ら問題視」を拝見し、疑問に感じましたので記事を読ませていただいた一市民として意見を申し上げます。

 私としては、聖書配布は、ギデオン協会が事前に学校に連絡した上で、学校外で配布したものであるし、佐賀新聞はそこまで書かなくてもよいのではないかと記事の書き方に疑問を感じています。学校の校門では塾や通信講座のチラシなどが配布されることもしばしばです。それらは特に記事になることなく、聖書配布を殊更に問題にし、記事とするというのは、差別ではないでしょうか。

 また、確かに聖書は宗教書ではありますが、全世界の人々の三分の一の人々がキリスト教徒なのですから、国際化の時代にあって、聖書に何が書いてあるか程度の事は知識として知っておくべきものであると思います。その意味では、国際的に通用する人材を育てるためにも、聖書は街頭でではなく、学校でこそ配布すべき(宗教書としてではなく、世界の知識を得るためのものとして)とさえ私個人は考えております。なぜなら以前、佐賀県職員がハラール処理をせずに佐賀牛の肉を輸出したためにイスラムの国と日本国との間の国際問題になったことがありましたが、これも、佐賀県民の私たちが井の中の蛙で、世界の他の宗教の事情を全く学ぼうとしない姿勢の結果、無頓着な行動となって国際問題をひきおこしたものであろうと私は考えております。

 今回の件につき実際に父兄からの苦情があることは事実として報道されることはあったとしても、事実をありのままに伝えてかつ、信教の自由を擁護する方向での記事ならよいのですが、佐賀新聞の記事では、信教の自由ひいては言論の自由を封殺する方向性が感じられます。さらには特定の団体(ギデオン協会)を殊更に弾圧する趣旨が感じられ、この記事を書いた佐賀新聞に私はたいへん不信感を持ちました。こういった、市民の言論の自由を抑止するような報道の方向性では、やがては新聞社自身の首を絞めることになりはしないでしょうか。

 もし公立学校と特定の宗教団体とのかかわりを記事にするとすれば、あのような記事よりも、佐賀県下の公立の小中学校でだけ普通に体育の授業で取り上げられ教えられている、地域の神社に奉納されている面浮立(めんぶりゅう)の踊りの方が問題です。私は福岡市から嬉野町に13年前に転居しましたが、この踊りには常々、異様なものを感じています。特定の宗教団体の宗教行事でなされるものを、公立学校で教授しているのですから、問題性があるのではないかと私はしばしば訴えております。まさしく特定の宗教団体の活動をそれこそ無防備な子どもたちに教え、公立学校が宗教団体を支援していることになります。なぜ、記事にならないのでしょうか。しかし私は自分自身不快でありつつも、これは地域の文化として理解し寛容に受け入れようと努力しています。

 公の場で、学校にも事前に連絡し礼をつくして聖書を配布しているギデオン協会の行動を、寛容に受け入れる社会、寛容である佐賀新聞社ではあり得ないのでしょうか。

 また、佐賀県では秋になると、宗教法人である唐津神社の例大祭である「唐津くんち」を佐賀県として、県が大々的に宣伝広告しています。こういったことの方がよほど、特定の宗教団体への公の機関による肩入れでありますから、問題があると思うのですが・・・・。

 それらは良くて(記事にならず)、キリスト教だけは殊更に、学校外で聖書を配布したことさえも これだけの大きな記事になさるというのは、なぜでしょうか。

 現在日本では一年間に、3万5千人もの人々が自殺をしています。 私どもの教会では、小さな働きですが、自殺を考えていた人が教会にきて救われ、危機的な生活から立ち上がることができ、今、喜んで教会生活をしている人がいます。教会があってよかったと本人も申しておりますし、私たちもそう思っています。イエス・キリストに感謝しています。この国のために、地域のために、人々の心の安らぎと救いのために何かしなければ、自殺者は減らないのではないでしょうか。嬉野町でもここ数年何人もの方が自殺したことを聴いています。聞くたびに胸が痛みます。

 私はめげずに聖書配布の祝福を祈りつつ、これからもギデオン協会に協力していきたいし、自分自身もイエス・キリストの福音宣教にますます取り組みたいと決意を新たにしています。

 今後は記事の書き方にぜひご配慮をお願い申し上げます。貴社の報道活動が、言論の自由を擁護し、人権を守る方向性となるよう、心よりお祈り申し上げます。

 2010年6月17日

キリストの奇跡にいどむ!

2010年06月18日 | 日記
 今、日本のBSで、『キリストの奇跡にいどむ』という番組(BBC制作)が3回シリーズで放映されている。ブロック・ギル(彼自身はバリバリのクリスチャン)というアメリカ人のマジシャンが、イスラエルに行って、キリストの奇跡をやってみよう!といった内容なのだが・・・ご興味のある方はチェックしてみてください。

http://www.bs-asahi.co.jp/bbc/history/hi_09_01.html

嗚呼、エゼキエル

2010年06月17日 | 日記
しかし、見張りが、剣の臨むのを見ながら、角笛を吹かず、民が警告を受けぬままに剣が臨み、彼らのうちから一人の命でも奪われるなら、たとえその人は自分の罪のゆえに死んだとしても、血の責任をわたしは見張りの手に求める。(33:6)


 アタシの希望的観測から言えば、イザヤかエレミア、それとも最も自分のセルフイメージに近いヨナかハバククか? などと思っていた。

 ところがどっこい、神から与えられたのは、アタシがあまり得意(?)としていないエゼキエル...「こう来たかぁ…さっすが神様やな」と、妙な納得の仕方をしている。

 ところでアタシには、「日本人の3%が悔い改めたら、日本はリバイバル(再臨)ぢゃ!!」 という勝手な信念(思い込み?)がある。

 しかし、それを逆に考えたら、「後の97%はもぅ放っとくしかないワ」 と言うことになるのであって、そうなると、当然それは神の御心ではないことになる。

 それは、このエゼキエルの言葉からしても明白である。神は97%どころか、1億2千600万人中、「一人でも!」と言われているのだから、これはもう大変なことである。

 しかし、神がそう言われるのは、良く考えてみれば(考えなくても)、当たり前のことであって、キリストの弟子としては、与えられた御言葉を、ただ信仰によって受け止めるしかない。

 そんなワケで、アタシのリバイバリストとしての任務は、日本の民に警告の角笛を吹くことである。韓国みたくスピーカーでも設置するか?パウロだったら先ず最初に何をするだろう?などと考えている今日此の頃である。



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パウロ秋元

2010年06月15日 | 日記
 岸師が秋元師の集会に参加したと聞いて、大川師が、「勇気あるよねぇ」と、言ったそうである。そして、此間大川師が秋元師を大和カルバリーに招いたと聞いて、今度は岸師が「勇気あるよねぇ」と言ったそうである。

 確かに、前回ウチの教会に秋元師を招いた時も、興味津々なんだけど、ビビッテ来なかった人が何人かいた。その秋元師とはいったいどんな怪物なのか?実は、アタシの右隣にいるどっかの会社の経理部長さんみたいな人がその人である。

 彼は、この写真(本日撮影)通りの、おっとりした飄々とした人である。その彼を、何故日本の教会(牧師)が、それほどまでに恐れているのか? アンタラ恐れる相手を間違えてんじゃないの?とは思うものの、その辺りの事情はLAの田舎モンのアタシにゃ、サッパリ分らない。

 ただ、それが、日本のリバイバルを阻んでいる要因の一つであることは、どうも確かなようなのだ。ノンクリ伝道の前に、日本のクリスチャンのカンチガイ治療に時間と労力を費やすのは、何だかもったいない気もするが、それも仕方ないか...。などと否定的なこと言っちゃいかんのよね。



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三人の献身

2010年06月13日 | 日記
 あなたは“マリア・タイプ”? それとも“マルタ・タイプ”? いや、ユダ・タイプかしら?「そんなぁ、失礼なこと言わないでくださいよぅ!!」と思ったあなた。あなたはこのメッセージを聞いた後も、同じことが言えるだろうか?あなたの本音が分かる目から鱗のメッセージ。


メッセージ(音声)はこちらをクリック!↓
http://goodnewsstation.com/celebration.html



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信仰のインスピレーション

2010年06月12日 | 日記
 世の中には、「あの人は生まれながらのクリスチャンですよね。」と言いたくなるような人がたまにいるが、実際には、生まれながらにクリスチャンという人は、この世には一人もいない。また、洗礼を受けたからといって、クリスチャンだとも一概には言えない。

 クリスチャンの信仰というものはある種、結婚のようなものであり、第三者にはなかなか計り知れない所がある。傍目からは「どうしてあんな人と!?」 と思わず疑いたくなるようなカップルでも、当人たちは結構幸せにやっているのである。まぁ、ある種のインスピレーションとでも言うべきか。

 ところが、このインスピレーションとは全く無縁と言いたくなるような人たちがいる。それは、頭がいいとか悪いとか、お金持ちとか貧乏とか、親切だとか不親切とか、刺青を入れているとか入れていないとか、そういったこととは全く関係がない。

 そう考えると、救われるべき人は最初から決っているのだとする改革派の人たちの主張も、まんざら分からないでもない。しかし、それが神の意志だと考えると、おかしなことになって来る。

 ただ神の憐れみによって、ある時、真の神と出会った。そうした体験をした人がクリスチャンである。神の憐れみにえこひいきはないのだから、問題はその憐れみを憐れみとして認知するかしないか、それを受けるか受けないか。そこにかかって来る。

 いずれにせよ、救いの責任は、神様側にではなく、人間側にあるのである。



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龍馬バーガー

2010年06月11日 | 日記
 「K介先生って、何でそんなこと知ってるんですか?日本は今、龍馬ブームで騒いでますけど、クリスチャンだって誰もあんなこと知りませんよ。」

 口では一応誉めてはいるものの、アタシを見る眼差しは、尊敬の眼差しと言うより、飛騨高山出身のエイリアン(つまり珍しい生き物)を見るような目付きであった。そういった非言語メッセージを、アタシは決して見逃すことはない。

 そこまで言われるんなら、もはやダメオシにこれを出すしかないだろう。何をかくそう、「龍馬バーガー」である。龍馬せんべいや龍馬モナカぐらいなら、四国に行けば、探すのにそれほど苦労はしないだろうが、龍馬バーガーとなるとそうはない。

 ちなみに龍馬バーガーの中味は、カツレツとキャベ千と卵焼きで、味付けはデミグラスソース。そして、これを売っているお店は、土佐ではなくて何故か佐世保。新しモノ好きの龍馬が、佐世保に行った時にカツレツでも食べたのかしらん?

 どなたか龍馬とカツレツと佐世保の関係をご存知の方は、是非、ご一報くださひ。



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宇津井健さんの受洗

2010年06月09日 | 日記
 先日、俳優の宇津井健さんが、NHKのインタビュー番組で、自分はクリスチャンになったことを告白していた。

 彼の座右の銘は、「才能の器は小さいが努力の器は大きい」。芸の世界では、天性の才能に恵まれた人もいるが、自分の才能におぼれて努力しない役者は、長い目で見たときに大成しない。少々才能で引けをとっても、努力を積み重ねていく人がやがて大きな器になる。この言葉を信条に努力を積み重ね、息の長い役者人生を築いてこられた彼には、「努力が通じない世界はない」という信念があった。

 ところが数年前、彼の奥さんに膵臓癌が発見された。彼女は自分の余命を知っていたにも係わらず、全くパニックを起こすことなく、狼狽することもなく、彼に簡単な料理の作り方を伝授し、アイロンの当て方を教え、息子さんとの二世帯住宅の手続きを済ましてから亡くなられた。

 死という現実だけは、人間がどんなに努力しても免れることは出来ない。死ほど人の手に余る大問題はないのだ。それなのに、どうして彼女はこんなにも冷静でいられたのか?

 その理由が、「自分は必ず天国に行けるから。」という彼女の明確な確信にあったことを知った彼は、クリスチャンだった奥さんに習い、自分の誕生日に洗礼を受けたのだった。彼の奥さんは天国でさぞ喜んでおられることだろう。ハレルヤ!!



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夢十夜

2010年06月08日 | 日記
 こんな夢を見た。

 私は、大きな豪華客船に乗っていた。その船は、凄い勢いでどんどん先へ進んでいく。船上では心地よい音楽が奏でられ、豪華な料理が並び、人々は皆、楽しそうに笑いながら酒を酌み交わしている。

 ところが、私だけが不安で一杯なのだ。私はとても重大なことが分からないまま、この船に乗っていたからだ。私は、この船がいったい何処に向かっているのか知らないのである。

 それで私は、船の乗客たちに尋ねて歩いた。「あの、この船の行き先は何処なのでしょうか?」ところが、人々は皆、不思議そうな表情をして口々にこう言うのだ。

 「あなたはどうしてそんなことを聞くんですか? せっかく船に乗っているのに、何故今を楽しまないんですか?」と。



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