エンジェル田中のホボ毎日記

☆私たちは何を知り、何を祈り、何を伝えるべきなのか? 大衆伝導師“エンジェル田中”が語るレアな聖書メッセージ!

ちょっとかんべん・・・

2012年10月30日 | 日記
 テレビを見ながらブツブツ文句を言うようになったら、人生ヤキが回って来た証拠である。

 今のアタシが正にそう。

 世の中おかしいことは分かっている。しかし、おかしくなかった時代など過去の歴史上、一度だってないのだ。

 従って、世間の様々な事象に対し、怒ったり、罵倒したりするのは、周りがどうのと言うより、本人の精神状態の問題である。

 どうせ人生に苦悩は付きものなのだから、苦悩しがいのあることに苦悩すべきなのだ。

 そんなワケで、「もう、怒るのはやめ!」と、昨夜、スーパー銭湯の湯船の中で決意をしたものの、その翌朝、「何だ、その否定的且つ批判的な態度は!」と、妻を否定的に批判してしまった。

 小学生の夏休みの宿題じゃあるまいし、「今度こそやろう!(休み前)」 →「忘れたぁ!(休み後)」 じゃ、未発育を超えてアホである。

 いずれにせよ、痩せ我慢をしても続くはずはなく、「少しガス抜きしたらぁ?」と、妻から提言された。

 確かに怒ったところで意味はない。が、「それにしても、なんかもう本当にかんべんして・・・」と、最近実に思ったことをいくつか書いてみる。(あくまでアタシ個人の見解なのであしからず)


 ハローウィン
 今後日本でお菓子を配る習慣が根付くとは思えない。おそらく子供のコスプレイベントで終るのだろうが、それにしても子供にガイコツのシャツなんか着せんなよ!


 内閣交代
 自分たちが政権を握ることだけで必死で、「日本の首相や大臣って、一年交代の生徒会長みたいなもんじゃん」と海外から呆れられていることを、当の日本の政治家たちは知らない。


 脅しCM
 「あなたのお肌!こんなに老化!」、 「あなたの口の匂い、みんなの噂!」
「あなたの家、カビだらけ!」 物がちっとも売れないせいか、日本では、こんな人の脅迫観念に訴えるような宣伝が増えている。


 情報番組
 情報番組という言葉は日本にしかない。そもそもテレビ放送自体が情報番組なんだから。あえて情報と銘打つほどの情報でもない情報番組で、「へぇ~サンゴって生き物なんですかぁ~?」って、こんな番組をつくる方もアホだが、見てる方はもっとアホである。


 マニュアル接客
 「こんにちは~~!いらっしゃいませぇ~~!どうぞごらんくださぁ~~い!」と、
煩いくらいに言いながら、絶対に客と目を合わせないお店の従業員。


 中高年女性の車
 行きたいのか、止まりたいのか?右なのか左なのか、はたまた横なのか?このような動きが予測不可能な車をアタシはユーフォーと呼び、極力避けるようにしている。


 車の維持費
 車検が高いことは聞いていたが、日本には収得税やら重量税やら、ワケの分からない税金が山ほどあり、年貢を車の税金で払っているような観がある。何で日本で革命が起きないのか?アタシはマジで考えている。



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怖いもの

2012年10月27日 | 日記
 水が怖い。飛行機に乗れない。カエルがダメ。ネコに触れない等々・・・。

 人には、何だか分からないけれども「怖い」ものがある。

 アタシの場合、怖いという感覚ではないが、かなり強力な嫌悪感を感じてしまうものがある。

 足が長く羽根のある昆虫。特にマンティス。あえて英語で表するのは、カタカナで書くだけでも抵抗があるからである。

 おかしいことは分かる。

 彼等からすれば、アタシはゴジラのような存在だ。

 ところが、対面しただけで、ゴジラが悲鳴をあげて逃げて行くのだから、その光景はかなり滑稽である。

 しかも、彼らはアタシに対し、何ら直接的被害をもたらす存在ではない。

 なのに、アタシは彼らと庭で遭遇する度に、一日中、嫌な気分になり、何とか彼らを己の領域内から排除出来ないものかと、思い煩っている。(ウチの庭は山脇に位置する虫の楽園である)

 この理不尽な感覚を、自分でも何とかしたいと思のだが、彼らを目にした途端、条件反射的に拒否反応が起こってしまうので、その先に進むことが出来ない。

 よって、この問題は、実に32年間の空白を経て、再び浮上して来たのである。


 「こ、殺せぇ~!キンチョールは何処だ!? また出てきたらどうするんぢゃぁ~~!!!」 

 「何言っての?可愛そうじゃないの。」

 一人で騒いでいるアタシを横目で見ながら、彼等をつまんで庭の外に放っている妻の様。思えばここに、現代社会にはこびる多くの精神病に通じるものがあるのではないか。

 虫が嫌いでも社会生活に支障はないが、人が嫌いだと生活が出来なくなってしまうからである。

 「オレの病気を虫なんかと一緒にするな~!!」と、また怒られてしまうかも知れないが、アタシとしては、真剣に共感しているつもり。

 いずれにせよ、人生における様々な問題に対し、「諦める」、「忘れる」、「目の前にいなけりゃいいや」 といった態度でいる以上、何時まで経っても根本的解決には至らず、ことある毎に浮上してしまう。

 この霊と身体のギャップを埋めるべく、解放を信じ、請い願うのである。そのきっかけとなれば、あのマンティスをも益へと変えられるという・・ことになるのだ。



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貧すれど鈍せず

2012年10月25日 | 日記
 引き続き、ビート・タケシのコメントから。

 彼曰く、昔は列をつくって、物を買うとか、食べるとかという行為は、あさましい行為だったと言う。 

 「いくら旨くたって、安くたって、並ばなきゃ食えないなら食うな!」と、よく母親に叱られたらしい。

 アタシが並ばないのは、単にせっかちなだけの話しなのだが、配給時代の名残りなのか、たまたま昨夜TVで見ていた「三丁目の夕日」でも、「並んで買うほどおちぶれちゃぁいねぇや!!」みたいな台詞があった。

 「貧すれど鈍せず」。 

 おそらく彼の母親は、こういった大和心を持った女性だったのだろう。


 彼はベネチア映画祭で、「筋を通す」とか、「顔を立てる」とか、「マフィアとヤクザはどう違うの?」とか、「仁義って何?」とか色々聞かれたと言う。

 つまり、欧米人たちが興味を示しているこのような日本固有の精神性を、当の日本人が忘れてしまった。つまり、今の日本人には「品格」というものがないと....。

 では、品格を持つにはどうしたら良いのか?

 一つ、前回の話題で出た子供の頃からの躾。(ぉぉ!「身を美しく」と書くではないか!!)

 二つ、聖霊による内側からの変革。

 ちなみに後者は、「もう自分ではダメだぁぁ!」という悟り(悔い改め)から端を発した他(神)力本願なので、アタシとしてはこちらを強く勧める。

 いずれにせよ、品のあるないは、本人には分からないことので、とりあえずどなたも品格の向上を目指す方向で考えていただきたいのである。



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諸悪の根源

2012年10月24日 | 日記
 日教組かなんかが、『人間は生まれながらにみんな素晴らしい』なんて言ってるけど、そんなのは嘘っぱち。オイラは『人は放っておいたらみんなワル』だと思ってる。

 これは、最近の雑誌に掲載されていたビート・タケシのコメント。アタシもこれに同感である。

 昔の日本人は、武道や礼儀作法などを子供の頃から叩き込まれることで、何とか一端の人間になった。

 それが今では、物心付く頃からテレビ漬けのゲーム漬け。これぢゃアホになって当然。

 子供だって放っておけば、楽なことか、悪いことしかしやしない。

 なのに、『子供の人権を守ろう!』などと、親が政治家の公約のようなトボケたことを言ってる内に、日本にはウツや、引きこもりや、自分のことしか考えられない人間たちが大量発生してしまった。

 諸悪の根源は、放任と過保護。

 この事実を聖書で証明してくれたのが、他ならぬダビデである。

 ダビデは実に傑出した人物であったが、女性と子育ての面においては見事に失敗した。

 その結果、親の因果が子に報い、彼の息子たちは、血肉の争いで殺し合い。

 過保護が身に染着いてしまった人間に、「日本人は武士道だぁ!」と言って、果たして効果があるだろうか?

 「キリストは愛だぁ!」と言って、聞く耳を持つだろうか?

 一度放蕩息子のニッチモサッチモ状態にまで落ち込めば、悔い改める機会も与えられるかだろうか?

 とにかく、健康で裕福で地獄に行くより、病気で貧乏でも天国に行った方が良いだから。



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What Wouldn't Jesus Do?

2012年10月22日 | 日記
 すべてのクリスチャンには、聖霊の内在があるが、
 
 すべてのクリスチャンが、聖霊に満たされているわけではない。

 すべてのクリスチャンは、イエスを救い主だと信じているが、

 すべてのクリスチャンが、イエスの弟子というわけではない。


 同じクリスチャンでも、宣教に対する温度差の違いは、人生の優先順位が何処にあるか?によって生じる。

 それは、当人がキリストの福音によってどれだけ解放されているかによるが、この解放度は福音理解とほぼ比例する。
 
 そんなワケで、アタシが企画している家の教会では、「学び」がかなり重要な位置を占める。

 集会を行なう際には、この人たちに!と思う人々に声をかけてみるのであるが、返ってくる返事の8割以上が、「忙しくて来れない」、「他に用事がある」である。

 ノンクリの人たちにこう言われても当然。

 しかし悲しいかな、クリスチャンにも同じようにこう言われてしまうのは何故?


 アタシは、「時間があるから」集会をしてるワケじゃないし、

 「それより大切な事」って何?って逆に聞きたいのね。余計なお世話だけど…。


 いずれにせよ、自分が犠牲を払うのはイヤだけど、お膳立てを揃えてくれたら、やってもいいですよ的な人にいくら時間をかけても、実を付けることは難しい。


 100人のお客さんより、一人の霊的覚醒者!

 戦意のない者をいくら集めてみたところで、戦力にはならないからである。


すなわち膝をついてかがんで水を飲む者はすべて別にしなさい。(士師記7:5)



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どっちが得?

2012年10月17日 | 日記
 「聖書が語る「幸い」とは、出来事や環境の変化とは関係ない!

 もし宝くじが当たってハレルヤ!なら、財布を失くしたら神を呪ってしまうでしょ。」

 …という話をした二日後、息子が教会の前で財布を失くした。

 此間、職場で怪我をして14針縫い、ン千ドルの請求書が来た矢先であった。


 「神なんかに祈って、何になるんだ、バカヤロー!!」 とも考えることが出来るし、

 「それでも神はいる!これはきっと益に変えられる!」 とも考えることが出来る。

 どちらを選ぶかは本人の自由なのだが、聖書には何と書いてあるのかと言うと、

 「感謝しなさい」 である。しかも、命令形で。


 なんでまた聖書はこんなムチャなことを言うのか?

 そもそも、怪我したり、財布なくして感謝するバカがどこの世界にいるのか?


 長い話を短くすると・・・

 要するにそうした方が、その後の人生が、うまく行くからなのである。

 「どうして?」

 「誰のせいで?」

 「いったい何時まで?」

 人々は、世の中の様々な不幸に対して、必死でこう考えているが、これらは皆、不毛な質問であり、こんなことをいくら考えても、人間には答えを出すことは出来ない。

 イエスもまた、このような質問に対しては、一切答えられていない。


 ヨハネ福音書の冒頭、「神の業がこの人に現れるため」とイエスが言われたのは、
このような弟子たちの質問に対してではなく、人生の生き方について答えられたのであった。

 幸不幸の概念が、世的現象の枠から離れることが出来なければ、話はまた振り出しに戻ってしまう。

 自分の人生観に立つか、聖書の人生観に立つかか、どっちが正しく、どっちが得かと思うか?

 結局世の中は、この二つの価値観に二分されているのである。


  イエスはお答えになった。「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである。」 (ヨハネ福音書9:3)



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日曜の朝

2012年10月12日 | 日記
 「あ、こりゃ、えんぢぇる一人では絶対着けないワ」

 この確信により、アコがわざわざ東武池袋線・鶴瀬駅のホームで待っていてくれた。

 経路は、東武線→山の手線→京成本線でトータル4回の乗換え。なので約束より約1時間早く出て来たものの、電車が見知らぬ京成線上の駅でピタッ!と止まってしまった。原因は3つ先の駅で起きた人身事故。

 車内放送が状況を説明をしているものの、「じゃ、どうすりゃいいの?」ということに関しては、個人判断。 

 このまま動くのを待っているだけの情報も根拠もないので、キップ払い戻しの行列を横目で見ながら、とにかく駅を出ることにした。


 「日曜の朝に、飛び込み先が違うダロ!? 線路じゃない、教会だよ教会!! 日本じゃ教会より線路の方が身近なのか!? 」(実は2日前の前夜式の時も人身事故に遭遇していた)

 と、悔しさとも哀しみともつかない、何とももどかしい思いを抱きながら、小雨の降る中、足早に急ぐ人々の群れの中に紛れてJR市川駅まで歩くこと10分。


 何とか飛び乗った電車の中からアコが電話で教会に状況を説明し、教会スタッフが津田沼駅まで迎えに来てくれることになった。

 そして教会に辿り着いたのが、滑り込みセーフの礼拝5分前。

 しかし、教会は慌てず、騒がず、礼拝は通常通りに始まった。

 お詫びの後の開口一番、「サタンの邪魔が入っただけあって、今日の礼拝は祝されることを確信しました!」

 この牧師さんの一言が、実籾教会全体を現していた。

 また、仲間が二人、遠~いところから来てくれた。


 主にある交わりと学びは、正に至福の時。

 メッセージとセミナーの内容については、自分で言うのもおかしいので、次回お呼びがかかるか否かの判断に任せることにする。

 とにかく皆さん、大変お騒がせ致しました。感謝! {写真:午後のセミナーにて}



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画期的発見!?

2012年10月11日 | 日記
 さて、前回の葬儀の時、現場には目立った強敵が約二名。

 一人は無神論者のAさん。

 無神論を自称する人は少なくないが、そのほとんどは、単に興味がないか、理解出来ないか、金儲けに忙しいだけの話で、「論」にまで至っていないのが現状である。

 しかしAさんは、結婚する際、フィアンセがクリスチャンだったにも係わらず、あえて一切宗教性を排した結婚式を願いそれを貫いた、信念を持った無神論者だった。
 
 ところがそのAさんが、終始微動だにせず、アタシの話を、真剣な眼差しで聴いてくれたのだ。


 もう一人は、足を組んで斜に構え、「こぉの人、なぁ~に言ってんのかしらねぇ~~」といった表情で、最前列に座っていたBさん。

 「おぉ!! 来たかぁ、創価学会・・!!」 アタシはこういったパターンは割と馴れてはいるものの、こう最前列に陣取ってふんぞり返られると、かなりのプレッシャーである。

 ところが、式の最後にBさんを紹介されてビックリ!! 創価学会と言うのはアタシの勝手な独断で、な何と、その人は牧師さんなのであった!?


 まさか葬儀の席でアプリケーションするワケにも行かないので、彼らがアタシのメッセージをどう聞いて、どう感じて、どう捉えたかは全然分からない。 

 別にBさんを悪者扱いする気はない。牧師が気に障るような話だったのかも知れないし、否定されるとしたら、どちらかと言えばAさんだろう。ま、普通に考えて。

 だが、少なくともあの場で、アタシの話を真剣に聴いてくれたのは、Aさんの方だった。たとえ否定されたとしても、アタシはAさんの態度が嬉しかった。

 つまり、「福音を聞くのに、聖書知識のあるないは関係ない!」 

 これは、アタシにとって、かなり画期的な発見であった。



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居心地悪・・・.

2012年10月06日 | 日記
 誰だって、居心地が悪い場所からは、一刻も早く退散したいと考える。

 たとえば、教会で説教をする時、信徒さんたちは「これは神様からのメッセージである!」という前提でいてくれるので、

 たとえ牧師が人間的至らなさによって、江戸末期に流行ったようなオヤジギャグを連発したとしても、

 「ハ、はははァ・・・」 と、取りあえず受け入れてもらえる体制が整っている。

 もし、牧師が一般の席で、そんなことを言おうものなら、おそらく国外追放モノ。

 世の中、そんなに甘くはないのである。

 
 ところで昨日の葬儀の時もそうだったが、今年の仕事初め(?)だった長浜での五十回忌。

 お坊さんと20人の檀家を前に牧師が説教をするのは、居心地云々の前に一種異様な光景である。

 アタシはこのような状況を前に、さすがに逃げはしなかったものの、決して喜んでもいなかった。

 
 だが、居心地の良いところにばかりにいたのでは、人が成長することは難しい。

 居心地が悪いからこそ、「えっ、何でぇ!?」と言う、疑問や問題意識が生じるからである。

 つまり帰国後、ど~も居心地が悪い場所にばかり遭遇していたのは、実は神の恵みだったのだ!

 己の了見狭さに深~く反省・・・・。


 さて、そのような状況だった昨日の葬儀で、アタシは一つ驚くべき発見をしてしまった。

 そ、その発見とは…  


 (待たれよ、次号!)    いつになることやら…

集会のお知らせ

2012年10月02日 | 日記
10月7日

10時半から『礼拝メッセージ』

午後1時半から『仏教と福音』

実籾キリスト教会
〒275-0002
千葉県習志野市実籾 5-27-16
TEL&Fax: 047-472-0686 
http://hcmimomi.jimdo.com/


10月5日 午前10時半から

吉野千次兄弟葬儀
復活メッセージ

坂戸バプテスト教会
〒350-0257
埼玉県坂戸市小山257-1 
TEL&FAX: 049-284-4749



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