エンジェル田中のホボ毎日記

☆私たちは何を知り、何を祈り、何を伝えるべきなのか? 大衆伝導師“エンジェル田中”が語るレアな聖書メッセージ!

1Q84

2009年07月31日 | 日記
 「こうであったかもしれない」という過去を浮かび上がらせるのは、「そうではなかったかもしれない」という現在の姿である。

 …何だか分かったような、分からないようなこの言葉は、ジョージ・オーウェル「1984」の日本版、村上春樹氏の「1Q84」である。本が売れない時代に、この分厚~い純文学(?)が、何故か異例の売れ行きを見せ、ここ2ヶ月間、売り上げ連続第1位。今や、日本は『1Q84現象』とも言うべき社会現象が発生しており、それに便乗したTVや映画、ゲームなどの『1Q84商品』がワンサカと出てくる気配である。

 ごく普通の人間が、組織の中の流れのままに、何の罪悪感のなく人を殺し、気付いた時は、全国指名手配の殺人者になっていた…。地下鉄サリン事件で、一番多くの人を殺して逃亡した林泰男死刑囚が、この本のモデルだと言う。「僕が今、一番恐ろしいと思うのは特定の主義主張による『精神的な囲い込み』のようなもの。多くの人は枠組みが必要で、それがなくなってしまうことに耐えられない。」とは、村上氏のコメント。何だか、今の日本を煙に巻いているカオス(混沌)の世界である。

 しかし、こういった類の本をいくら読もうが、解放もカタルシスも得られるはずはなく、返って話しはヤヤコシクなるばかりである。人は放っておいたら、自然とヤヤコシクなる存在なのだ。ただでさえ、人はヤヤコシイのに、何でことさら進んでヤヤコシクならにゃあかんのか? アタシには、サッパリ分からない。


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天才

2009年07月30日 | 日記
 天才には一つ共通点がある。それは、安定した作品を継続的にこなすことが出来るということである。ピカソが生涯に描いた作品数は実に15万点。彼は16才のデビューから、75歳で死ぬまでの間、1日に5つ以上の作品を描いたことになる。手塚治虫が書いた原稿も15万枚。それは、コマ数で言うと、80万コマの漫画である。ゲーテがシャルロッテに書いたラブレターは1800通。ゲーテはラブレターを書きまくっている内に、文章が上達したのだ。

 天才とは何か?? それは、「数」である。最初の1枚で見事な作品を描ける人など誰もいない。たとえ、最初はまぐれで当ったとしても、二作目となれば必ずボロが出る。しかし、彼らは、作品が完成するまでの間、気が遠くなるほど描いて描いて描きまくり、それでも飽きずに描き続けた。それが、彼らを天才と言わしめる所以である。不安や不信をぬぐい去り、納得のいくまでひたすら作品に打ち込んでいく。そうすることによってはじめて、一つの作品・人間がものになっていくのである。



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愛を読めないひと

2009年07月29日 | 日記
 「The Reader」という映画を観た。これは、「500万人が涙した」という有名なキャッチコピーの本が原作で、邦題は、本が「朗読者」、映画は「愛を読むひと」と言う。全然家族向きの映画ではなく、ましてや牧師がすすめるような映画ではもっとない。と言うか、教会関係(?)の人は、こういった(どういった?)映画を知らない。だが、この映画は改めて、クリスチャンと世の中の人々との視線のギャップを、まざまざと知らしめてくれたという意味で価値があった。その驚きを一部書き記しておく。(●はこの映画への批評。話しの内容を知らない人は、Wikipediaか何かで調べてちょうだい)


●「幼い頃に恋に落ち、数年後に劇的な再会を果たした男女が、本の朗読を通じて愛を確かめ合うラブストーリー。」
→先ず、いきなり、映画のタイトル・コピーからして、的が外れまくっている。話しの結末から明白なように、彼らは全然、「愛を確かめ合えていない」のである。


●「愛する者の罪を許すことも、弁護して救うこともできないけれど、一緒に苦しみを抱えて生きることはできる。そうすることで歴史に対する責任を取ろうとする真摯な生き方に、ドイツの戦後世代の誠実さに胸を打たれた。」

→人はこんなこと考えてんだぁ…と思ったら、何だか頭がズぅ~~ンンと重くなった。もし、彼らがアタシの説教を聞いたら、何言ってんだかサッパリ分からない前に、「私は、ほとんど人のいないところでも絶叫させる、宗教者の蒙昧で壮絶な生き方に心を打たれた。」などと言われてしまうのであろう。


●ハンナは、身近な人間に本を朗読させる事によって、現実世界からファンタジーの世界へ入り込む事によって、現実を直視する事を避けていた。

→これは、「腐りたくないのに、いつも腐ってしまう納豆の悔しさが、あのネバネバを生み出した」ぐらいの??な論法である。


●ハンナは、字が書けない事を死ぬほど恥じており、それは人を何百人も殺した罪悪感より、ずーっと重い価値観をそこに置いていた。

→ここまで来ると、「文鮮明のカミさんと息子が主催している天国セミナーに、イエス・キリストが参加している」と言う、カンチガイを遥かに越えたカルトの世界である。

 もうアホらしいのでこの辺でやめておくが、アタシはこの手(どの手?)の映画は決して嫌いではない。この映画が問題なのではなく、この映画に対するアホな批評や解釈が問題なのである。アタシがアホか、世間がアホか、その真意を知りたい人は、どうぞ映画を(福音がないと人間はどうなるかという見地で)ご覧いただきたい。



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人生の夜明け

2009年07月28日 | 日記
「太陽は夜明けを待って昇るのではない。太陽が昇るから夜明けになるのだ!」

 こんな当たり前のことでも、こう正面切って言われると、何か哲学的な言葉に聞こえて来るから不思議である。太陽は、夜明けが来るのを見定めてから登るのではなく、太陽が昇った結果として、夜明けがやって来る。つまり、周りの状況を見計らって、相手の出方を待っている限り、何時まで経っても人生の決断は出来ない。そこで結論、キリストに向かって、自分の足で一歩前に踏み出した時、人生の夜明けが始まるのである。


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ちゃぶ台ひっくり返し世界大会

2009年07月26日 | 日記
 星一徹も真っ青!!「ちゃぶ台ひっくり返し世界大会」が、毎年、岩手県で開催されていることをご存知だろうか?
 
 これは、「ザケンナーー!!」とか、「もうやめて~~!!」 といった絶叫と共に、ちゃぶ台ひっくり返しの豪快さと、日常生活に対する切ない哀愁さを競う、日本の伝統文化が生んだ新しいスポーツである。相当熟練した精神力と体力が要求されるこの競技は、何でも、次のロンドン・オリンピックの正式種目として、新たに加えられることが検討されているという。

 ちなみにウチの奥さんは、来年、岩手に行くことを真剣に考えているだけあって、なかなかスジは良さそうである。だが残念なことに、我が家のキッチンにはちゃぶ台がないので、ウチでは練習することが出来ない。そこで、誰か一緒に練習してくれる人を探しているらしい。でも、ペアってのもあるのかしらん?



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ぼやき説教

2009年07月25日 | 日記
 最近のコラムを自分で読んでいて、一昔前にあった、“ぼやき漫才”を思い出した。、「馬鹿者ぉ!!」、「責任者出てこ~い!」…人生幸朗だっけ、そんな人がいたよなぁ…懐かしいなぁ…などと思ってたら、何とYouTubeに記録が残っていた。 それじゃ、次回はいっそのこと、ぼやきメッセージで行ってみるか!! と、一瞬思ったがやめた。トスカーナで激辛なら、最初からぼやき説教なら、いったいどうなってしまうのか、自分でも分ったものではない。(でも、やってみたいな一度くらい…)


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トスカーナ料理

2009年07月24日 | 日記
 前回のケンちゃん先生のメッセージは、教会の人々に予想以上の反響をもたらした。カヨちゃんにいたっては、今までずっと激辛韓国料理を食べて(食べさせられて)きて、教会の食事ってこういったものなんだぁ…と、思ってたところに出てきた、ホンワカ~としたオムライス。「え〝っ!!世の中に、こんな食事があったのか~~!!」というくらいのインパクトがあったらしい。

 アタシとしては、地中海の香り漂うトスカーナ料理のつもりなのだが、それがどういうワケだか、激辛料理になってしまうらしい。食生活が、その国の民族性を最も顕著に表しているように、教会にも同じようなことが言える。だが、激辛トスカーナ料理と言われるのもヤヤコシイので、ここは一つ、エキゾチック・インターナショナル料理と言うことで、看板を代えておこう。


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マモン

2009年07月23日 | 日記
 「お金さえあれば、いい家に住める」「お金さえあれば、いい車に乗れる」「お金さえあれば、結婚できる」。某リバイバルミッションの実行委員でさえ、「お金さえあれば、リバイバルも起きる」と考えている。イエス様がそれを聞いたら、どう言われるだろう?「あなたが必要なものは、わたしではないのか?」 すると、マモン(貪欲の霊)が出てきて、「神様、この人間は自分の支配下ですよ」と主張する。

 アタシ達は日頃、実に色々なものを欲しいと思っているが、よく考えてみるとほとんどの場合、実際にはそれがなくても、別に生活には別状のないものばかりである。そのような人間の欲望の背後に、諸悪の根源である悪霊が働いていることが分かったら、必然的にお金の使い方も考えるようになる。

 人生において最も難しい決断の一つは、「神の国と神の義を第一に求める」ことである。しかし、そのような人生の中で生きて行く時、本当に自分に必要なものは、全て神様から与えられていたことに気が付く。お金に支配されるのか?それとも、お金を支配するのか? 人生は、神に仕えるか、マモンに仕えるか、そのどちらか一つしかないのである。


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福音への反逆

2009年07月22日 | 日記
 教会内に当たり前のように存在している多くの非聖書的な現実。例えば、自分がより霊的になれば、クリスチャンとしてワンランクアップすることが出来、他のクリスチャンから見下されないようにそれを守り、誇示し、そうでない人を見下し、時には裁くといった具合。異言を喋れなければ、クリスチャンとして認めないと、真面目に考えている教会など、その最たるものである。

 また、異なる教団同士や、同じ教団内における競争意識。大きな教会、小さな教会、大きな会堂、小さな会堂、ここは教会でここは未だ伝道所といった具合に、優越感と劣等感が無意識の内に行き交っている。これはクリスチャンとして本来あってはならぬことであり、もし、アタシ達がそんな価値観を吹聴しているのなら、それは福音に対する反逆である。



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