エンジェル田中のホボ毎日記

☆私たちは何を知り、何を祈り、何を伝えるべきなのか? 大衆伝導師“エンジェル田中”が語るレアな聖書メッセージ!

使徒言行録 (30分de一巻 Vol-44)

2017年11月24日 | 日記
イエスと共に生活し、イエスの言動や奇跡を目の当たりで見ていながら、十字架の意味も分からず、復活も信じる事も出来ず、イエスが処刑された後、部屋に鍵をかけ、震えながら祈っていた弟子達が、殉教をも厭わない信仰の勇者へと変えられた。その画期的転換のきっかけとなったのが、使徒の最初に記されている聖霊降誕である。

しかし、その前に何故かあまり取り上げられていない重要な出来事があった。それは、イエスが復活されて昇天されるまでの40日間である。何故、イエスは40日間地上に留まられる必要があったのか?その間、イエスは何をしておられたのか?

ルカのエマオの途上の箇所を見てみると、「モーセと全ての預言者から始めて、聖書全体に渡り、ご自身について書かれている事を説明された(24:27)」とある。つまり、弟子達は復活されたイエスから直々、聖書についてまた一から教えられたのである。

確かに、受霊した彼らは殉教などは全く恐れてはいない。しかし、その言動は未だ律法的な部分が多々残っていた。つまり、聖霊の働きの中で、最も時間がかかる作業が、福音に対する正しい理解なのである。(メッセージより抜粋)




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トランプとハルマフジとイスラエル

2017年11月23日 | 日記
「ウソつくなっ!!ちゅーとるのに..」、「腰部挫傷、左足前距腓靱帯損傷で約1カ月の安静加療を要す」だと..。

これは先場所休んだ時の理由で、本当は「16年ぶり1場所5個の金星配給により休場」である。しかしながら、この稀勢ちゃん連続休場は、日馬富士のせいでほとんどニュースになっていない。

それにしても、格闘技やWWEみたいなエンターテイメントであれば、取り立てて騒ぎにはならないだろう事が、何故にここまで情報が混沌としているのか?それはおそらく、神事とか日本の国技(法令にはないのだが)云々と言った精神性を介在させているからなのだろう。

しかし、永平寺に「おタクで修行してるお坊さん、労働基準法に関して問題があるようなんですが?」と電話しても「ガチャン!」と切られるのがオチで、怪我をした当人以外が騒いでも仕方がない。つまり、アタシが言ってるウソはウソではなくて神事としての建前であり、だから誰も何も文句を言わないのである。(多分・・)

ところが、本当は稀勢ちゃんどころでも、日馬富士どころの話しでもなく、中東どころの話しなのである。特に今月に入ってから大変な状況になっており、先日、レバノンの首相が権力闘争中のサウジ訪問中に「オラ一抜けた!」と、突然首相を辞任。当のサウジは権力闘争の嵐で、トルコとロシア、イスラエルとサウジアラビアという過去の天敵が“敵の敵は友”の論理で互いに手を組み合ったと言う前代未聞の対立構造..。

多くの人はそれがどういう意味を持つのかよく分からないだろうが、例えば韓国の大統領が、中国訪問中に大統領を辞任して、そのまま中国にいついたとすると、何が予想されるのか?? トランプさんが就任後、一番最初に何処に行ったのか? 彼は最初サウジアラビアに行き、そこからイスラエル、バチカンに行った。そこで何を話す必要があったのか?現在起こっている事は当然、その話しの延長線上での出来事である。

「これが時間の現実だ」拉致解決求め 新潟で集会

2017年11月20日 | 日記

1977年に拉致被害者横田めぐみさん=失踪当時(13)=が北朝鮮に連れ去られて40年が過ぎ、現場となった新潟市で18日、拉致問題の早期解決を求める県民集会が開かれ、母早紀江さん(81)は「トランプ米大統領が取り上げてくれた。今がチャンス」と話した。早紀江さんは「米国の強い意志がある間に時を置かず、安倍首相は平壌に行って話し合ってほしい。元気にめぐみちゃんを迎えてあげることだけが望みです」と訴えた。めぐみさんの弟で拉致被害者家族会事務局長の拓也さん(49)は、体調面から欠席した父滋さん(85)に触れ「これが時間の現実だ」と被害者家族の高齢化を強調した。(11/20/2017 新潟日報・写真:拉致問題の早期解決を求める県民集会で発言する横田早紀江さん)

□新潟県HP「北朝鮮による拉致問題」の解決をめざして
http://www.pref.niigata.lg.jp/kokusai/1356865643995.html

横田さん主催の10人程の小さな集会でのお話し。その時出席していた一人の女性に滋さんがこう聞いた。「失礼ですが、ウチの恵みと大体同年代ですか?」 恵さんと2つ違いだった彼女が「そうです」と答えると、滋さんの顔がにわかに “ぱっ!” と明るくなり、「そうですかぁ!恵みは未だこんなに若いんですかぁ、だったらこれから日本に帰って来ても、色々と新しい経験をして、人生をやり直す事が出 来ますよねぇ!」と、とても嬉しそうに話されたそうである。それから10年…。 今回の集会に 滋さんは体調不良で出席されておられない。「これが時間の現実だ」…この言葉がひしひしと胸を貫く。


ウソつくな!!

2017年11月14日 | 日記

「お酒を飲む時にはビール瓶を手元に置かない」、「缶ビールと紙コップとか。花見みたいにする」・・・これが、今回の暴行事件の対応策だと..。

ビール瓶による暴行は今回がはじめてではなかったにせよ、こんなコメントを堂々と記事にするほど、日本のマスコミのバカさ加減はピークに達している。

それより、目(耳)が点になったのは、「日馬富士、左上腕骨内側上果炎、及び、左尺骨神経痛のため、本日より休場」という場内アナウンス。

こんな真っ赤な嘘を、堂々と観客に向けて放送する相撲協会は、いったいどう言う神経をしているのか?

大体、この事件が起きたのは、場所が始まる2週間前。だが、昨日までは、何事もなかった様に興行が行なわれていた。

つまり、この事件を知っていた人達は、見て見ぬフリをしていたのであり、モンゴル出身力士が集まった宴席で起きていたと言う事は、白鵬も見て見ぬフリの一人だった訳で・・

宴席での失態に関しては、アタシがエラそうな事を言えた義理ではないのだが、組織ぐるみでこういった事をされると、本当にむかっ腹が立つ。

政治ネタ、マスコミネタについては、もはや書くまい、怒るまい、と思っていた矢先、やっぱり、別の所で腹を立ててしまったのであった。

 



十字架上で成された3つの業 後編 (30分de一巻 Intermission)

2017年11月11日 | 日記

今やこのキリストを通して和解させていただいたからです。(ローマ5:11)

人は、神がいるのなら何故、この世の悪を放置されているのか?と問う。

確かに神は、エデンの園事件の時、悪を滅ぼすことが出来た。だが、悪を滅ぼせば、同時に人をも滅ぼさなければならなかった。神は愛の対象として創造した人間が、そのまま滅びる事をどうしてもよしとされなかったのである。

そこで神は、愛する一人子イエス・キリストをこの世に送り、人間に執行猶予を与えられた。

従って私達は、生きている間にそのまま悪魔に付くか、神の元に帰るかを決断しなければならない。つまり、私達人間は、この世では保釈中の身の上なのである。(メッセージより抜粋)


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十字架上で成された3つの業 (30分de一巻 Intermission)

2017年11月06日 | 日記

罪が支払う報酬は死です。しかし、神の賜物は、私達の主キリスト・イエスによる永遠の命なのです。(ローマ6:23) 

キリストの福音を伝える上において、中々人々に気付いてもらえない点がいくつかある。一つは、天国に入る為の必要な条件は、人側にあるのではなく、神側にあるのだという事。世の中の人々は、生きている間にどれだけ良い事をしたか、悪い事をしなかったのかと言った事ばかり考えているが、それは、どこかの学校に入る為の基準設定は、学校側にではなく、入学する側にあると考えている様もので、極めておかしな考え方である。

もう一つの点は、“罪の報酬は死”という厳然たる事実である。世の中の人々は、死は自然現象だと誰もが考えているが、聖書的に言うと、人は元来、死ぬ様には創造されておらず、死は不自然な事なのだ。何故、人は死ぬようになったのか?それは人の中に罪が入ったから。罪が入った状態では、神は人と共に生きることは出来ないのである。

この天地を創造された神は、100%聖い存在なので、たとえ0.001%でも、そこに不純物が混ざると、神はそれを受け取ることが出来ない。聖書の神は、罪と妥協したり、大目にみたりするような曖昧な部分は一切ない。もし、ひとかけらでも罪があったら、そこはもう天国ではなくなるからである。では、いったいどうしたら人は天国に行く事が出来るのか?この原点に戻らなければ、十字架の意味を理解する事は、到底出来ないのである。(メッセージより抜粋)


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十字架上の7つの言葉 (30分de一巻 Intermission)

2017年11月01日 | 日記

「成し遂げられた」(ヨハネ19:30)

クリスチャンのシンボル言えば十字架。実際、異端の教会の簡単な見分け方は、異端の教会には十字架がない。とは言え、十字架を身に付けていればクリスチャンという訳ではなく、そもそも十字架は処刑道具であり、本来アクセサリーにする様な性質のものではない。十字架刑は、国家反逆罪等の重罪人にのみ用いられた処刑方法で、苦しむだけ苦しめさせておいて、直ぐに死なせない様によく考えられた、史上、最も残忍な処刑方法であった。

古代社会において十字架刑は、ローマ帝国以外でも行なわれていたが、旧約聖書に十字架が一度も登場しないのは、逆に新約における十字架の登場を示唆していたとも言える。ともかく、そういった歴史的史実について、私達がいくら机の上で考えようが、ネットで調べようが、現実の十字架に近付く事などは出来ない。かと言って、全く知りませんでしたで済まされる事ではない。

私達がイエス様の十字架を見上げる時、それに至らざるを得なかった過程と、十字架上で成された救いの御業を真摯に受け取るためにも、実際の十字架刑が、いったいどの様なものであったのかを知ることは必要なのである。(メッセージより抜粋)


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