エンジェル田中のホボ毎日記

☆私たちは何を知り、何を祈り、何を伝えるべきなのか? 大衆伝導師“エンジェル田中”が語るレアな聖書メッセージ!

日本宣教報告

2011年04月25日 | 日記
 名古屋を朝7時に出発し、最初に入った被災地が岩手県陸前高田。既に夜10時を回っていた。瓦礫の間にある道なき道を案内してくれた笈川兄が、「確かローソンを左に入った道なんだけど・・」車のヘッドライトが照らし出す外観はとても現実のものとは思えない。大体、ローソンどころか、周りは見渡す限り、瓦礫に山だけで、いったいどこをどう走ったら良いのかも分からない状態であった。

 幸い、現地の人からの情報で、警察も未だ把握していなかったその日に普及したばかりの道に入り、大船渡に向う高速を使うことが出来た。(タダの高速道路に入ったのも初めて)。電気も水道も使えない宿泊先の教会に到着したのは真夜中で、車を出た途端、海水と下水が混ざり合ったような強烈な異臭が鼻をついた。これは映像を見ているだけでは分からない。

 今回の伝道旅行のメインの一つが、大船渡の避難所での炊き出しだったのだが、避難所の責任者の方から、「くれぐれも宗教の話しはしないで欲しい。神様のカの字。キリストのキの字も絶対厳禁!」と、何度も念を押されていた。にも関らず(アタシもかなり悩んだが)、結局、アタシと今回の団長である韓国人の牧師さん2人で約20分間、100人の聴衆を前に大胆に福音を語った。

 ところが、語っている間はヤジも飛ばず、途中で退場する人もおらず、みんな真剣に聴いてくれた。話しが終わった後、「ちょっとすみません・・」と責任者に呼ばれた時は、「アッチャー!!」と思ったが、「食事は避難所にいる人だけに限りますと、アナウンスしてください」と言われてホッとした。あんなに念を押されたのに、何故か誰からもクレームを受けなかった。真心は宗教を包括するのである。

 そのような状況下、韓国人と日本人の合同チ-ム12人で、岩手、宮城、福島三県の被災地と避難所を数十箇所、伝道して回った。決して現地で自由に福音を語れたワケではない。しかし、結論を先に言うと、この一週間で、初めてキリストの話を聞いたにも関らず、キリストを受け入れた人は30人以上。アタシは避難所で二人の兄弟に洗礼を授けることが出来た。


 今回、日本人だけなら、周囲の状況を憚って絶対に出来なかったことを、全く臆せずに実行することが出来た。日本の常識や、日本人向けのアプローチなどを超越した常識外れのゲリラ伝道が、逆に功を奏したのだ。とにもかくにも、「今、福音を伝えなければ、彼等は滅んでしまう!」という彼らの真摯な伝道魂を、日本人は見習うべきである。これは特殊な例でしょ。と捉えられてしまうとろに、日本の教会の問題点があるとアタシは思う。

 今回 東北の教会が受けた被災は、阪神大震災の時よりも少なくて済んだ。と言うより、教会自体の数が少なかったのである。事実、「東北人は融通が利かない頑な人々で、仏教が深く根付いた東北伝道は難しい」と言うのが定説である。しかし、アタシがお会いした方々は皆、素朴で素直な人たちばかりだった。勿論、状況が状況だということもあるだろうが、トラクトを差し出すと、「ありがとう」とお礼を言いながら、ほとんど人たちが受け取ってくれた。ちなみに岐阜や愛知では、ほとんど無視である。

 とにかく、3-11以降、日本の教会は大きく変わることになるだろう。以前から皆さんにお伝えしていた、日本のリバイバルの前に起こらなければならない2つのこと(日本人の悔い改めにつながる日本政府による韓国への公式謝罪と、かつてない大地震)が起こったからである。

 千年に一度、起こるか起こらないかという被災地のど真ん中に立って考えた。街全体が壊滅してしまった。誤解を恐れずに言うと、パチンコ屋も風俗店も全て流されてしまった後、これは教会を街の中心に建て上げ、日本初のクリスチャンCITYを構築する千年に一度のチャンスなのだ。

 今後、自分のために教会生活をおくっている人と、神様のために教会生活をおくっている人。この二通りの人たちが、はっきりと分かれることになるだろう。残念ながら、後者の人があまりに少ないのだ。しかし、これから自分の人生をキリストのために賭ける数少ないレムナント(残りの民)によって、日本のリバイバルは起こされて行くのである。


主なる神はこう言われる。わたしがお前たちをすべての罪から清める日に、わたしは町々に人を住まわせ、廃虚を建て直す。(エゼキエル36:33)



〔写真:石巻キリスト教会にて。大阪と静岡から来られた兄弟姉妹と〕

                          

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仙台より

2011年04月18日 | 日記
 栄光在主

 仙台の教会にあったPCからの報告です。(未だ写真が入れられませんが)

 水も電気もない生活が続き、被災者の方々の気持ちがほんの少し分かったような気持ちがしています。

 しかし、人々が救われることを考えたら、何の苦もありません。

 引き続き、祈りのバックアップをよろしくお願いします。

 明日から福島に入ります。

 
 田中

 


 


祈りのバックアップ

2011年04月11日 | 日記
「今のこの苦しみは必ず益となります。」

 しかし、目の前で苦しんでいるのは、愛する家族を一度に亡くされた人なのだ。

 そういう人に、いったいどうやって福音を伝えたら良いのか?

 「神は素晴らしい!」、「主に信頼せよ!」安全な所ではいくでも叫べるのだが・・・。


 GNSのメンバーは、このことを真剣に考え、実際にアプリケーションしてください。

 何より、自分の信仰を吟味してください。(聖書塾はそのためにあります)


 アタシは明日から名古屋のクリスチャンチームに加わり、被災地へ支援伝道活動に行きます。
 
 椎間板で瓦礫もロクに運ぶべないような者が行ってどうすんだ?と自分でも思う。

 しかし、今現場に立たずして何かを語るなら、アタシは自分が偽善者になってしまうような気がするのだ。

 (来週末)帰ったら、現地の情報と共に聖書塾で共に主の御声を聞きましょう。

 祈りのバックアップ、どうぞ宜しくお願いします。



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聖書塾 ルツ記編

2011年04月09日 | 日記
 どこの被災地だったか、多くの人々が集まって一生懸命何やら掘り出していた。土の中から出てきたのは大きな石地蔵。それに手を合わせて喜びながら拝んでいる人たち・・・。

 あれからずっと地震が続いている。余震という表現は実は間違いで、3月11日以降、実に1000回近く新しい地震が起こっているのである。この地震は何時東京に降りて来ても不思議ではない状況だと言うのに、あるのは哀しみ・憤り・不安ばかりで、悔い改めがない。

 一瞬にして3万人の同胞の命が失われたことにアタシたちは戦慄する。だが、日本では毎年3万人以上の人たちが自殺をし、やはり3万人以上の人たちが孤独死しているのだ。

 彼らがどうのというのではない。問題は、霊的覚醒を促されているアタシたちにある。アタシたち一人一人のリバイバルなしに教会が変革されることはなく、アタシたちの考え方、生き方を変える情熱がなければ、日本のリバイバルはあり得ない。


 新車を買って、夫婦でドライブすることより、主を知ることの方が深い満足感を得られることを、あなたは本当に信じているだろうか?車を諦めることで、主に近付けることが出来るのなら、あなたは喜んで車を買うことをやめるだろうか?

 自分の子供がピアノの世界コンクールで優勝することより、子供の人生を豊かにするのは、主を知ることなのだということを、あなたは本気で信じているだろうか?

 性格と容姿さえ良ければ、クリスチャンでなくとも自分の配偶者としては十分と考えているのなら、あなたは主に近い者へと変えられることを求めているのではなく、ただ自分の生活の改善を求めているだけのだ。

 何故、アタシたちは日々、主との深い交わりよりも、実を結ぶことがないと分かっている粗末な欲望の方を選択してしまうのだろう? 祈り求めていることが、自分の生活と健康と家族のことだけだとするならば、あなたの祈りと未信者の人たちの願望と、いったいどこが違うのか?
 
 もし、アタシたちにキリスト以上の楽しみがあるするならば、アタシたちの信仰生活は義務感の域を出ることはなく、祈りも主を利用することだけに終わってしまうのである

 聖書塾を続けよう。クリスチャンが持つべき人生観とは? 神を知る喜びとはいったいどういうことなのか?今回はそのことを、『ルツ記』から取り上げて見る。

 先ず、「何故、今ルツ記なのだろう?」ということを考えながらルツ記を読み、本書の『主題』と、あなたの「観察」・「解釈」・「応用」を、コメントに記しておいてください。

 知識を求めて正解を書こうとするのではなく、本書に秘められた霊のメッセージを受け取ることに集中するように。

 主の霊が、あなた方の上に豊かに注がれますように。



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終わりの時

2011年04月05日 | 日記
 今日は我が盟友、S師がわざわざ岐阜にまで来てくれた。ゆっくり食事をする時間もなかったが、互いに祈りと励ましの時を持つことが出来た。

 彼の仕事は中国と北朝鮮での地下教会伝道。その現場は2千年前のローマ圧制時代さながらの世界である。

 何時収容所送りになるか分からない彼らの場合、暗誦聖句ではなく暗証書簡。訓練を受けている若者たちは、獄中書簡など全て暗記しているというのだから驚きである。

 悔い改めのないリバイバルはあり得ず、また、リバイバルと迫害はワンセット。迫害が激しくなると、聖霊の雨も激しく注ぐ。教会はそうやって成長して来たのだ。日本も今が新しいスタート地点である。


神は言われる。終わりの時に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。(使徒言行録2:17)



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