エンジェル田中のホボ毎日記

☆私たちは何を知り、何を祈り、何を伝えるべきなのか? 大衆伝導師“エンジェル田中”が語るレアな聖書メッセージ!

信仰的対応

2011年01月27日 | 日記
 アタシの友人に、不治の障害がある子供を持った牧師がいた。

 彼は息子の癒しを、毎日懸命に祈っていた。


 するとある日、「あなたの息子は癒される」という神の声を聞いた。

 彼はその日から、対外的に「自分の息子は癒された」という態度を取った。

 未だ外的な変化は何もないのにも関らず、「大丈夫!息子はもう癒されますから」とか言い出したものだから、教会の人たちは「遂にウチの牧師はおかしくなった」と思ったそうである。


 当時、彼には月4万円の障害者保険がおりていた。実際に病院にかかっていた費用は月5千円ほどだったので、月まるまる3万5千円のプラス。

 この予定外のお金(違法ではない)は、経済的に貧しい牧師家庭にはとてもありがたいものだった。


 さて、その保険の更新日が来たので、彼は市役所に行った。

 勿論、その時点で息子の容態には何の変化もなかった。

 ところが、医師の診断書を窓口に提出しようとした時、神の声がこう聞こえて来た。


 「わたしはあなたに癒すと言ったではないか」

 「え”!? そりゃそう信じていますけど、未だ何も症状は変わってないですし…」

 「わたしはあなたの息子を癒す。あなたはそれを信じるか?」

 「信じます! 信じます..けど…」

 「えぇ””~~~」 


 この世で生きているアタシたちにとって、お金は己の本音が最も出やすい部分である。

 自分に信仰があるとかないとか、この辺りのことはそう難しく考える必要はない。

 クリスチャンでありながら、什一献金が出来ない人は、その分信仰がないのである。


 とは言え、もしアタシが彼の立場に立たされたら、どういう態度を取るか、はなはだ疑問だ。

 彼は結局、悩みに悩み抜いた末、保険の更新をするのをやめた。

 月4万円より、信仰を取ったのである。


 その悩みはあくまで月4万円の悩みである。

 生きるとか、死ぬとかの話ではない。

 しかし、アタシには彼の気持ちが痛いほど良く分かる。

 そしてその時、信仰的対応を取った彼をアタシはかなり尊敬している。

 クリスチャンが取るべき信仰的対応とは、そういうことである。


 それから間もなく、彼の息子が癒されたことは言うまでもない。


あなた方の富のあるあるところに、あなた方の心もあるのだ。(ルカ12:34)



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真面目?

2011年01月24日 | 日記
 ハイチのマザーテレサ、須藤明子師の近況をテレビでやっていた。御齢83歳の彼女は、もうハイチに骨を埋めるつもりで、結核病院再建に身を尽くされている。

 日野原師もそうだが、戦争という波乱の時代を経て来てる人たちってやっぱ強いわぁ・・・と思わざるを得ない。

 クリスチャンに与えられた使命は人それぞれで、決して比較すべきものではないにせよ、やはり彼らの筋金入りの信仰は見習うべきものがある。


 ところで、日本に実際に住み始めて初めて気付いたことがいくつかあるのだが、

 その中でも「おぉ~~そうだったのかぁ..」と思った“目から鱗”シリ-ズの一つ。

 日本のクリスチャンは真面目な人が多い。実際、アタシが知る範囲において、アメリカのようないい加減な人はほとんどいない。


 ところが、真面目な人が信仰深いのかと言うと… 実はそうではない。

 本来、福音というものは、「あんないい加減なヤツぁ絶対ダメだ!」というような人でも救われるための神の奥義である。

 だけど、“真面目である”ということと、“信仰がある”ということとはイコールではない。と言うか、ハッキリ言って関係ないのだ。


 真面目に教会に通い、真面目に奉仕しつつも、信仰的な対応をしていない人。

 実はこういう人たちが一番ヤッカイで、結果的にリバイバルの足を引っ張っている。


 計算よりも信頼、結果よりも動機、建前より本音が大切でしょという当たり前のことが、何故か日本ではなかなか通用しないのである。


人に喜ばれるためではなく、私たちの心を吟味される神に喜んでいただきためです。(Ⅰテサロニケ1:4)



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目標と目的

2011年01月20日 | 日記
 「文句」ばっかり言っている人から、文句のネタを取ったらどうなるか?

 やはりその人は、文句のネタを見つけ来て文句を言っている。

 「忙しい、忙しい」と騒いでいる人から「忙しい」ネタを取ったらどうなるか?

 だとしても、その人の心は忙しい状態のまま。


 何か一つのことを出来る人は、どんなことでも出来る人。

 「あれもしたい、これもしなきゃ」といつもたくさん頭にある人は、何でも出来る人か、何も出来ない人。


 日本の人はみんな目標に向かって実にがんばってる。

 「どうすべきか」、「何をすべきか」、「こうしなければ」、「ああしなければ」etc….

 そうして、「これをやった」、「あれをやった」、「これを達成した!」


 そりゃそうだよ。できなきゃ人生「負け組」レッテルを貼られちゃうんだから。

 だから、日本人の勤勉さと努力は大変なものだよ。


 でも…

 そこには「目的」がない。

 日本人はそのことを見事に分かっていない。

 多分、その発想自体がないから、考えようがないんだろうね。

 「目標」をいくら積んだって「目的」にはならないってことが。



 「目的」って何?

 ちょっと考えてみてよ。自分がやってることの「目的」は何かって。

 「・・・・」 「・・・・」


 それは、「何のた・め・に・」ってことだよ。

 「何のため・・・」


 そりゃ、いい学校に入れば、いい仕事に就けるし、いい仕事に就ければ、

 たくさんお金がもらえるし、お金があれば、いい結婚が出来るし、いい家にも住めるし・・・

 で、その先はどうすんの? いい葬式して、いい墓石でも買いたいわけ?

 でもね、人生最後の買い物って、ほとんど他の人が決めてんだよ。

 (余計なことだろうけど)


 それとも、誰かに認められたいから?

 やめなよ、そんなこと。人間関係の難しさは分かるけど…

 自分の人生を他人に委ねないこと。


 じゃ、目的が分からない人はどうしたらいいの?

 まどろっこしいことはイヤだから答えだけ先に言うよ。

 「自分はいったい何者なのか?」 「自分はどう生きるべきなのか?」

 この二つの問いに対して明確に答えを出しているのは、世界広しと言えども、「聖書」だけなんだ。

 逆に聖書を読まなきゃ、人生いつまで経ってもイタチごっこで終わっちゃうんだよ。


 100人に1人でいい。もし、そこんとこに気付いた人は、アタシんとこに連絡してよ。

 寝ていた人を目覚めさせ、目覚めた人と共に生きて行く。

 それがアタシたちクリスチャンに与えられた使命だから。


わたしはこのようなことを見極め、太陽の下に起こるすべてのことを、熱心に考えた。今は、人間が人間を支配して苦しみをもたらすような時だ。(コヘレトの言葉8:9)



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心と霊

2011年01月18日 | 日記
 妻もBlogに書いていたが→ http://blog.goo.ne.jp/jesus127、 大雪の中、田中信生師の講演に名古屋まで行ってきた。

 スタンドなし、原稿なし、立ちっぱなしでジャスト90分。さすが、日本キリスト教界の“文楽”である。

 今回いみじくも身に沁みて分かったことは、Beingが分からない人に、霊的なことが分かるワケがないということ...。

 田中信生師匠は、一生懸命人々に「心」の真理を伝えておられる。確実な内野安打である。

 えんぢぇる田中は、一生懸命人々に「霊」の真理を伝えようとしている。ホームランか三振である。


自然の人は神の霊に属する事柄を受け入れません。その人にとって、それは愚かなことであり、理解できないのです。(Ⅰコリント2:14)



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スローフード

2011年01月13日 | 日記
 マクドナルドがローマに出店した際、イタリアの食文化が侵食される不安を感じたあるイタリア人のオジサンが、自国の食材と食文化を守ろうという運動を始めた。それがSlow Food Movement のきっかけである。

 Slow Foodの3大基本理念は、「おいしい」、「きれい」、「ただしい」。従って、Slow Foodは単にFirst Foodの対極にあるものでも、ただエコで美味しければいいと言うようなものではなく、生産者側の労働条件の公正さまで考慮した、極めて優れた食の理解と応用である。

 つまり、Slow Foodの見地からすると、日本の食糧事情やグルメブームなどは、根絶すべき悪の温床以外の何モノでもない。Slow Foodは、自然にも、社会にも、人間にも優しくなければならないからだ。

 50-60年前までの世界はSlow Foodが普通であった。それだけ現代の食料事情が異常なのである。事実、現代人は事故や自殺以外は食べ物(生活習慣病の原因)で死んでいると言っても過言ではないのだ。

 アタシは今まで「美味しいものが好き。不味いものは食べたくない。」以外のことを考えたことがなかった。問題は、これからこの真理を実生活において如何に応用するかである。というワケで、「B級グルメの鬼」からはもう引退せざるを得ないのである。


あなたがたは食べるにしろ飲むにしろ、何をするにしても、すべて主の栄光を現すためにしなさい。(Ⅰコリント10:31)




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友よ!

2011年01月07日 | 日記
 小沢征爾がサイトウキネンで弦楽セレナーデを奏でていた。

 彼は指揮台に10分以上立ってはいけないと医師から告げられている。

 
 去年、癌で妻に先立たれた友人がいる。

 彼は残された子供たちと、激しい腰痛を抱えながら、説教台に立っている。


 年明け早々、難しい問題の対応に迫られ、途方に暮れている友よ!


 アタシたちの人生のナビゲーターは、迷わせるような道に連れて行くことは決してない。


 友よ、アタシたちは必ず上りきることが出来る。


 山が大きければ大きいほど、それを克服した時の喜びも大きいのだ。


 だから、臆せず、迷わず、呟かず、前に向かって共に進もうではないか!


現在の苦しみは、将来私たちに現されるはずの栄光に比べると、取るに足らないと私は思います。(ローマ8:18)



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0655 と 2355

2011年01月06日 | 日記
 とにかく、日本に来てテレビをよく見ている。

 だから、日本人がヒューマニズムボケしている理由だけは本当によく分かる。

 おそかれ早かれ、我が家からテレビは消える。

 しかし、そうなったら少し寂しいな…と思える番組が2つだけある。

 それは、NKH教育の「0655」と「2355」。

 この番組の小気味よいテンポ、シュールさ、適度なユーモア、斬新なセンスはかなりのもの。

 それはアタシに中でVisionへと変わった。

 「0655」と「2355」のクリスチャンバージョンを制作し、一日の始めと終わりに何としても流さなければならない!!

 音楽はGINTE2でいける。アニメーションはポケモンの彼に相談してみよう。

 シナリオはえんぢぇる田中(他に適当な人材がないの)で、労力は自前で、

 後は… … 放送料金だけである。



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キリスト教とは何か

2011年01月04日 | 日記
 美術系雑誌「pen」の新年号である。一般誌で、よくもまぁこれだけ時間と労力をかけてつくってくれたもんだと、関心するやらありがたいやらの大特集。しかも全編カラーで650円ときたら、これはもう考えるまでもなく「買い」なのである。

 もしこれだけの内容を、キリスト教系出版社が出したとしたら、ヘタすりゃ十倍..。ナローメディアとマスメディアの力量の差をまざまざと見せ付けられた観がする。勿論、あくまで一般教養という枠内での話だが、逆にその分、キリスト教系のよりもかえって読みやすいところもある。

 とにかく、一般の人々との接点ということにおいて、このようなネタを外してはいけない。教会でも個人でも、一般メディアからの情報について感想を話し合うことは、絶好の伝道の機会となるはずである。


他の人々の熱心に照らしてあなたがたの愛の純真さを確かめようとして言うのです。(Ⅱコリント8:8)



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初預言

2011年01月02日 | 日記
 「一富士二鷹三茄子」 … 何で初夢が二日目なのか?それと富士と鷹は何となく分かる気もするが、何で三つ目がナスビなの? ほとんどジョークじゃんと思っていたら、聞くところによるとナスビのナスは「成す」らしく、やはり冗談なのであった。

 ところで、「旧約聖書」にはヨセフやダニエルなど、夢に関する記述が多いことから、当時のユダヤ人たちは夢判断に熱心で、それを独自の文化にまでしていたようである。良い夢にも悪い夢にもちゃんと意味があり、不吉な夢は不幸を事前に防ぐための警告で、良い夢は祝福を得るためのチャンスとなる。

 特に明け方に見た夢、誰かが自分について見た夢、夢の中で見た夢、何度も繰り返して見る夢には要注意。また、夢に登場するものは一つの象徴であり、例えば、「鳥」や「河」などは「平和」を意味する。それは、イザヤ36章の「翼を広げた鳥のように万軍の主はエルサレムの上にあって守られる」、同66章の「平和を大河のよう」が根拠。意外だったのは、「葡萄」の夢は不吉の象徴だと言う。その根拠は、申命記32章「その葡萄は毒葡萄」らしい。

 このように当時のユダヤ社会では、細木数子パリサイバージョンのような夢占い師が、幅を効かせていたようである。だが、一応聖書が根拠とは言え、その内容の実態は信仰とはほど遠く、現代と差ほど変わらない。よく「夢と預言はどう違うの?」という質問を受ける。これは霊的な話なので、一概に断定することは出来ないが、アタシの経験上、少なくとも三つのことは言える。

 一つ、預言は大抵カラーである。

 二つ、夢は簡単に忘れてしまうが、預言は決して忘れない。

 三つ、預言は結果的に教会の徳を高めることになるので、教会に関連する何かしらのキーワードがある。

 ところで、あなたの初夢(預言)は…?


愛を追い求めなさい。霊的な賜物、特に預言するための賜物を熱心に求めなさい。(Ⅰコリント14:1)



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Welcom to 2011!!

2011年01月01日 | 日記
 新年 明けましておめでとうございます。

 ご覧の通り、日本は年末から年始にかけて雪。特にウチは山の麓なものですから、かなり寒いです。

 今回は残念ながら、みんなと温泉礼拝にご一緒出来ませんでしたが、どうぞ恵みある良い年をお迎えください!

 今年も共にイエスだけを見上げて歩んで行きましょう!