■観察
ルカは理屈っぽい当時のギリシア人を対象に、論理的に記された福音書である。そこにはイエスに対する弟子達の理解の変遷が段階を追って記されてあるが、この箇所はその最初の出来事である。
イエスと弟子達がガリラヤ湖上で嵐に遭った。必死になって助けを求める弟子達を前に、イエスはこともなげに嵐を鎮め、「あなた方の信仰は何処にあるのか?」と言われ、弟子達は恐れ驚いた。
■解釈
プロの漁師である彼らが恐れたのだから、彼らは誰の目から見ても、絶体絶命の危機的状況の中にいた。ポイントは言うまでもなくイエスの言葉にある。 イエスは弟子達に「大丈夫だ!」でも、「恐れるな!」でも、「私を信じよ!」でもなく、「あなた方の信仰はどこにあるのか?」と言われた。
この箇所のテーマを、「大丈夫!」、「恐れるな!」、「私を信じよ!」としても間違いではない。しかし、そういった応用に行く前に、この箇所の固定的メッセージを正しく捉えておく必要がある。ポイントは最後の“今まで嵐を恐れていた弟子達が、イエスを恐れるようになった”ということ。つまり、この箇所のテーマは、『イエスこそ、真に恐るべきお方』である。
■応用
今、日本中の人々が「恐れ」を感じている。「地震は怖い」、「津波は恐ろしい」「また何時来るか分からない」。彼らの焦点は、自分では全くコントロール出来ない「自然災害」や「病」や「経済的危機」である。
しかし、私達が本当に恐れなければならないのは、「津波」でも「地震」でもなく、「イエス・キリスト」である。用意すべきものは、災害必需品ではなく、再臨への心構えである。そしてそれは、私達の内で判断・コントロール可能なものである。
今こそ、私達クリスチャンは、周りの現象だけに囚われることなく、「人間にとって真の幸いとは何なのか?」、「真の悲劇はどこにあるのか?」そのことをしっかりと把握した上での信仰的対応が問われている。
■課題
目の前で溺れて苦しんでいる人に向かって手を合わせ、「この人が助かりますように!」とクリスチャンが祈っている光景など、笑い話にもならない。彼らに必要なことは、早く浮き輪を投げる、助けの手を差し伸べる。今はそのような状況である。
人間には、そういった緊急事態から抜け出すべく、特別な力が与えられている。何もなくしてしまった人達が、極限状態の中にあって何とか互いに助け合い、励まし合っている姿に私達は感動する。が、問題は次の段階からである。
命は助かったものの、仕事も、家も、家族もない。何を頼っていったらいいのか?確かなものなど何もない。これからいったいどうやって生きて行ったらいいのか? とてつもない暗闇が彼らを覆う。そこから救い出すことが出来る唯一の方法は、イエス・キリストの光のみ。そこにしか真の救済の道はないのだ。その事実を彼らに伝えることこそ、私達に与えられた使命である。
「わたしはもう一度、地だけではなく天をも揺り動かそう」この「もう一度」は揺り動かされないものが存続するために、揺り動かされるものが、造られたものとして取り除かれることを示しています。このように、私たちは揺り動かされることのない御国を受けているのですから、感謝しよう。感謝の念を持って、畏れ敬いながら、神に喜ばれるように仕えて行こう。実に、私たちの神は、焼き尽くす火です。(ヤコブ12:26-29)
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ルカは理屈っぽい当時のギリシア人を対象に、論理的に記された福音書である。そこにはイエスに対する弟子達の理解の変遷が段階を追って記されてあるが、この箇所はその最初の出来事である。
イエスと弟子達がガリラヤ湖上で嵐に遭った。必死になって助けを求める弟子達を前に、イエスはこともなげに嵐を鎮め、「あなた方の信仰は何処にあるのか?」と言われ、弟子達は恐れ驚いた。
■解釈
プロの漁師である彼らが恐れたのだから、彼らは誰の目から見ても、絶体絶命の危機的状況の中にいた。ポイントは言うまでもなくイエスの言葉にある。 イエスは弟子達に「大丈夫だ!」でも、「恐れるな!」でも、「私を信じよ!」でもなく、「あなた方の信仰はどこにあるのか?」と言われた。
この箇所のテーマを、「大丈夫!」、「恐れるな!」、「私を信じよ!」としても間違いではない。しかし、そういった応用に行く前に、この箇所の固定的メッセージを正しく捉えておく必要がある。ポイントは最後の“今まで嵐を恐れていた弟子達が、イエスを恐れるようになった”ということ。つまり、この箇所のテーマは、『イエスこそ、真に恐るべきお方』である。
■応用
今、日本中の人々が「恐れ」を感じている。「地震は怖い」、「津波は恐ろしい」「また何時来るか分からない」。彼らの焦点は、自分では全くコントロール出来ない「自然災害」や「病」や「経済的危機」である。
しかし、私達が本当に恐れなければならないのは、「津波」でも「地震」でもなく、「イエス・キリスト」である。用意すべきものは、災害必需品ではなく、再臨への心構えである。そしてそれは、私達の内で判断・コントロール可能なものである。
今こそ、私達クリスチャンは、周りの現象だけに囚われることなく、「人間にとって真の幸いとは何なのか?」、「真の悲劇はどこにあるのか?」そのことをしっかりと把握した上での信仰的対応が問われている。
■課題
目の前で溺れて苦しんでいる人に向かって手を合わせ、「この人が助かりますように!」とクリスチャンが祈っている光景など、笑い話にもならない。彼らに必要なことは、早く浮き輪を投げる、助けの手を差し伸べる。今はそのような状況である。
人間には、そういった緊急事態から抜け出すべく、特別な力が与えられている。何もなくしてしまった人達が、極限状態の中にあって何とか互いに助け合い、励まし合っている姿に私達は感動する。が、問題は次の段階からである。
命は助かったものの、仕事も、家も、家族もない。何を頼っていったらいいのか?確かなものなど何もない。これからいったいどうやって生きて行ったらいいのか? とてつもない暗闇が彼らを覆う。そこから救い出すことが出来る唯一の方法は、イエス・キリストの光のみ。そこにしか真の救済の道はないのだ。その事実を彼らに伝えることこそ、私達に与えられた使命である。
「わたしはもう一度、地だけではなく天をも揺り動かそう」この「もう一度」は揺り動かされないものが存続するために、揺り動かされるものが、造られたものとして取り除かれることを示しています。このように、私たちは揺り動かされることのない御国を受けているのですから、感謝しよう。感謝の念を持って、畏れ敬いながら、神に喜ばれるように仕えて行こう。実に、私たちの神は、焼き尽くす火です。(ヤコブ12:26-29)
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