エンジェル田中のホボ毎日記

☆私たちは何を知り、何を祈り、何を伝えるべきなのか? 大衆伝導師“エンジェル田中”が語るレアな聖書メッセージ!

主を畏れる信仰

2011年03月19日 | 日記
観察
 ルカは理屈っぽい当時のギリシア人を対象に、論理的に記された福音書である。そこにはイエスに対する弟子達の理解の変遷が段階を追って記されてあるが、この箇所はその最初の出来事である。

 イエスと弟子達がガリラヤ湖上で嵐に遭った。必死になって助けを求める弟子達を前に、イエスはこともなげに嵐を鎮め、「あなた方の信仰は何処にあるのか?」と言われ、弟子達は恐れ驚いた。


■解釈
 プロの漁師である彼らが恐れたのだから、彼らは誰の目から見ても、絶体絶命の危機的状況の中にいた。ポイントは言うまでもなくイエスの言葉にある。 イエスは弟子達に「大丈夫だ!」でも、「恐れるな!」でも、「私を信じよ!」でもなく、「あなた方の信仰はどこにあるのか?」と言われた。

 この箇所のテーマを、「大丈夫!」、「恐れるな!」、「私を信じよ!」としても間違いではない。しかし、そういった応用に行く前に、この箇所の固定的メッセージを正しく捉えておく必要がある。ポイントは最後の“今まで嵐を恐れていた弟子達が、イエスを恐れるようになった”ということ。つまり、この箇所のテーマは、『イエスこそ、真に恐るべきお方』である。


応用
 今、日本中の人々が「恐れ」を感じている。「地震は怖い」、「津波は恐ろしい」「また何時来るか分からない」。彼らの焦点は、自分では全くコントロール出来ない「自然災害」や「病」や「経済的危機」である。

 しかし、私達が本当に恐れなければならないのは、「津波」でも「地震」でもなく、「イエス・キリスト」である。用意すべきものは、災害必需品ではなく、再臨への心構えである。そしてそれは、私達の内で判断・コントロール可能なものである。

 今こそ、私達クリスチャンは、周りの現象だけに囚われることなく、「人間にとって真の幸いとは何なのか?」、「真の悲劇はどこにあるのか?」そのことをしっかりと把握した上での信仰的対応が問われている。



■課題
 目の前で溺れて苦しんでいる人に向かって手を合わせ、「この人が助かりますように!」とクリスチャンが祈っている光景など、笑い話にもならない。彼らに必要なことは、早く浮き輪を投げる、助けの手を差し伸べる。今はそのような状況である。

 人間には、そういった緊急事態から抜け出すべく、特別な力が与えられている。何もなくしてしまった人達が、極限状態の中にあって何とか互いに助け合い、励まし合っている姿に私達は感動する。が、問題は次の段階からである。

 命は助かったものの、仕事も、家も、家族もない。何を頼っていったらいいのか?確かなものなど何もない。これからいったいどうやって生きて行ったらいいのか? とてつもない暗闇が彼らを覆う。そこから救い出すことが出来る唯一の方法は、イエス・キリストの光のみ。そこにしか真の救済の道はないのだ。その事実を彼らに伝えることこそ、私達に与えられた使命である。


「わたしはもう一度、地だけではなく天をも揺り動かそう」この「もう一度」は揺り動かされないものが存続するために、揺り動かされるものが、造られたものとして取り除かれることを示しています。このように、私たちは揺り動かされることのない御国を受けているのですから、感謝しよう。感謝の念を持って、畏れ敬いながら、神に喜ばれるように仕えて行こう。実に、私たちの神は、焼き尽くす火です。(ヤコブ12:26-29)




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御言葉

2011年03月17日 | 日記
 「神がいるなら何故こんなことが?」

 あなたはこう聞かれてどう答えますか?

 クリスチャンとしてすべきことは沢山あると思いますが、

 何をするにせよ、信仰に対する確信があなた方の内になければなりません。

 難しいことをあれこれ考える前に、先ず御言葉です。


 そこで、懐かしの聖書塾。

 ルカ8章22-25節「嵐を沈めるイエス」の主題をあなたはどう思うか?

 GNSのStaffと関係者は勿論、神の御心を知りたい人は、

 何も見ず、調べず、今日、あなたが読んで思ったことをコメントに入れてください。

 答えは後日。

 思い出してください。基本中の基本です。

 

御言葉

2011年03月15日 | 日記
 「アメリかは自由。フランスは自由と平等と博愛。でも、日本にはそんなものはない。日本人のアイデンティティは我欲。この我欲をこの津波で一回洗い流す必要がある。やっぱり天罰だと思う。日本人の我欲が政治を左右している。こういうものを打破しないと日本は立ち上がってこない。」

 石原都知事のコメントである。

 被災地の人々のことを考えると、普通こんなことを公に言う人はいない。


 奥山先生は、9-11事件のことを「アメリカ教会退廃への雷(いかずち)だ!」と言っておられたが、

 こんなことを言ったら、世間から叩かれるに決まっている。


 だが、人は口ではいくらでも言えるのだ。

 自分は安全なところにいながら、善人ぶってもっともらしいことを言っている輩が多過ぎる。

 ただ黙って、愛と遜りで対するのが本当だろうが、批判覚悟で言うことは言う方をアタシも取る。



 今回の災害を聖書的にどう捉えるのか。世の中の人々や被害者たちの問いにどのように答えるのか。

 そして、クリスチャンとして何をすべきなのか。

 もはやアタシたちは教会の中で安住しているわけにはいかないではないか。

 今回の災害を我がこととして受け止め、主の御言葉を実践せざるを得ないところに来ているのである。


たとえ、遅くなっても、待っておれ。それは必ず来る、遅れることはない。(ハバクク2:3)



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預言

2011年03月14日 | 日記
 地震が起こる前の日曜日、高円寺にあるパウロ秋元師の教会に行って来たのだが、アタシはその前日にこんな夢を見ていた。


 教会に行ってみると、秋元師がかがんで一人で何かゴソゴソとやっている。

 「何してるんですか?」と聞くと、秋元師がいつもの調子で、

 「いや、もうすぐ洪水が来るんで支度してるんですよ」

 「そう、なんですか・・・。」


 翌日、「何で高円寺で洪水なんだろうねぇ?」

 などと呑気に妻と話していた。

 秋元師とはお会いする度に地震の話をしていたからである。


 全くもってお恥ずかしい話しである。

 このことを人に話していたところで、何がどうなっていたわけでもない。

 しかし、預言をおろそかにしていたことを反省した。


 いずれにせよ、霊の賜物はリバイバルのために必要不可欠なツールである。

 お互い心して切に求め、実際に役立てて行かなければならない。
 

特に預言するための賜物を熱心に求めなさい。(Ⅰコリント14:1)


 
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祈る!

2011年03月13日 | 日記
 栄光在主

 愛する同胞へ。
 ご連絡感謝します。私たちは皆無事です。

 遂に起こりましたね。
 伝道旅行から戻った3日後でした。

 仙台の兄弟姉妹と未だ連絡が取れていません。
 どうぞ切にお祈りください。

 日本は暫く騒然とした状況が続くでしょうが、
 私たちクリスチャンだけが、ことの真相を知っているのですから、
 日々の生活態度を、祈りによって引き締め、
 聖霊の導きによって、ただすべきことをして参りましょう。

 人々の真の救いを祈りつつ。

 主にあって 田中啓介


主は与え、主は取り去り給う。主の御名は誉むべき哉。(ヨブ2:10)



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祈る!

2011年03月12日 | 日記
 「今までかつてない規模の地震が日本を襲う」

 この預言が的中した。3月11日午後2時46分、三陸沖を中心に日本観測史上最大M8.8の地震が発生。

 これは昨年2月のチリ地震に匹敵する世界最大規模の地震である。

 被害状況については未だ明確に分からないが、テレビでは信じられないような光景が映し出されている。

 今こそ命懸けに、日本の救いのために祈り、すべきことをする時である。 


だから、目を覚ましていなさい。(マタイ24:42,25:13)



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どっちが楽?

2011年03月10日 | 日記
 新宿深夜0時発、朝7時岐阜駅着の夜行バスに乗った。直前予約にも関らず、3500円と安かったので、すぐに飛びついたのだ。

 が、乗車口が分からずに雨の中をウロウロするわ(ツアー便に組み込まれていた)、バスの中には毛布も枕もトイレもないわで、「やっぱりなぁ・・」

 「それにしても、若者たちでいっぱいだったねぇ」

 「今は仕事ないからね。若い人たちも考えてんのよ。」

 自分で稼げない者が、親の金で新幹線なんて、とんでもない話。移動させてもらえるだけで感謝である。

 「でも、あなたぐらいの年だったら部長クラスだから、普通はグリーン車でしょ。どんなにケチっても自由席?」

 別に妻は文句を言っているのではなく、単に現実を観察しているだけである。しかし、こんなことを聞いたら、誰も開拓教会の牧師になんか、なりたくないと思われても・・仕方ないか。

 人生のプライオリティーを何処に置くかは、個人の自由なので、好きにしたら良い。だが、そもそも「楽」な方を選択するのなら、最初から牧師になどなってはいない。と言うか、「楽」ということに対する見解の違いなのである。



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主を呼ぶ者に主は近い

2011年03月01日 | 日記
 詩編の御言葉が、NZ地震の事故現場に残されていた。

 言葉の意味を理解してもらうには、少々時間がかかるかも知れないが、

 とにもかくにも、朝日新聞(3月1日付朝刊)の第一面にこの御言葉が掲載されていたのは嬉しかった。

 悲惨な事件が絶えないが、主を知らないまま生きていたら、もっと悲惨なことになる。

 遅かれ早かれ、人は皆、主に従うことになるのだ。

 ならば、生きている間に、主に従おうではないか。 

 とにもかくにも、この事件をきっかけに、一人でも主に近付いてくれることを願っている。


  すべて主を求める者に主は近いのです (詩編145:18)



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