日本三景や三名泉とかは知っていたが、日本三大桜の存在を聞いたのは初めてだった。
今日、ウチから車で1時間ぐらいの根尾という山中まで桜を見に行った。その樹齢1500年の薄墨桜が、何と日本三大桜の一つだったのである。
何故薄墨なのかと言うと、散る直前の花の色に水墨画のような風情があるからなのだそうだが、花心のないアタシには風情と言うより、周りの風景の方が気にかかる。
桜の後ろには何やら祠のようなものが建ててあり、拝んでいる人達がたくさんいた。桜も拝んでしまうというところが、いかにも日本人らしい。
桜鑑賞と言うよりは記念撮影スポット。土産物屋の前で人々がごった返している状況を横目に見ながら、「やっぱ、イスラエルは日本じゃなくてよかった・・」と思った。
もし、ここが桜の名所ならぬガリラヤ湖だったら、「名物ガリラヤまんぢう!」、「元祖ペテロフィッシュ!」、「イエス三色餅!」等々の土産物屋が軒を並べてるに違いないからである。
日本は仏教だ、神道だ、アミニズムだと言われているが、何のことはない。アタシから言わせれば、お金が神様なのだ。
今更批判するつもりはない。天地創造の神を知らなければ、お金が神様になるのはある意味当然のことだからである。
そう言えば、どういう経路なのかは知らないが、青森県の“イエス村”なる所で、“イエス煎餅”なる土産物が売られているらしい。
ナポリの“イエスの涙”(ワイン)は、一度飲んでみたい気もするが、イエス煎餅はちょっとぉ・・。
ちなみに、福島県・三春町の滝桜も日本三大桜の一つ。これはNHKの被災地ニュースで知った。あと一つ何処かご存知の方いたら、コメントくだされば感謝である。
野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。(マタイ6:28)
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日本で活動を始めて約1年。巡回伝道者として色々な教会を見させていただいた。
かなり大雑把な言い方だが、日本には独自の活動をしている純粋孤立型教会と、古い概念に囚われている妥協埋没型教会の大きく二つのタイプがある。
その純粋孤立型教会の内で、異端のレッテルを貼られている三つの某教団にアタシの友人がいる。思うに彼らは異端と言うより、出る杭が打たれているのである。
一方、彼らは彼らで自分たちの教理信条に絶対的自信を持っており、自分たち以外の教会を、「既存教会」などと評している。おそらくその辺りが、異端と言われる理由なのか・・。
これは何を意味しているのかと言うと、日本はよく「和の社会」等と評されているが、その「和」が非常に小さいのである。
つまり、たった0.2%しかいない日本のクリスチャンが、「日本人クリスチャンの和」ではなく、「教団の和」から出ることが出来ないでいるのだ。
だが、これだけはハッキリ言っておかなければならない。日本のリバイバルは、決して特定の教団・教派・教理から生まれることはない。
それと、いつまでたっても、外国人宣教師に“おんぶにだっこ”の日本人クリスチャンよ、日本人としての自覚と誇りを取り戻してくれ!
確かに戦後の日本宣教は、彼らの献身と祈りによって支えられて来た。が、日本最後のリバイバルは助っ人に頼るのではなく、日本人自らの手で行なわなければならないのだ。
何処の国であろうと、リバイバルは、年齢、経験、学歴、職業、所属する教派・教団等に関係なく、神の前でへりくだり、人の前では大胆に福音を語る霊的覚醒者によって進められる。
そして日本を守るのは日本人の責任である。そんなことも日本のクリスチャンは忘れてしまったのか?
ちなみに世界一のクリスチャン大国・中国には、公認教会と地下教会。この二つの教会しかない。
その地下教会には福音派だ、ペテコステだ、カリスマだといった教理の種類分けは一切ない。
この天国的にはアホらしいほど当たり前なことを、アタシは日本の教会に対して声を大にして伝えなければならない。
さて、ここで一つ課題がある。例えばどこかの教会の誰かが霊的に覚醒した場合、次のようなことが発生するからだ。
教会は有機体なので、伝道に熱意のない牧師の教会信徒が、熱心に伝道することはまずあり得ない。
なので霊的に覚醒した人が、牧師や伝道師、または長老であった場合は進め易いのだが、それが一信徒であった場合、教会全体の霊的覚醒を促すのはかなり至難の業となる。
例えば、彼らが伝道した人を霊的にリバイバルしていない教会に連れて行くことは非常に好ましくない。特に救われた人にとって、最初の三ヶ月は重要な時期だからだ。
1).家の教会を軸に、教会全体の霊的覚醒に努める。
2).日本のリバイバルのスタートポイントは、いつも未信者にある。
3).日本人の高いスタンダードを、仲間同士のチームワークでカバーする。
4).教会を成長させたいという思いを「覚悟」に変える。
これ等のことが、日本の教会に課せられている。それをどう切り抜けるか?
アタシは今年から何処か牧会の拠点を決め、家の教会リーダーを育てつつ、家の教会建設に力を入れる。
などと言うと、「分かります。でも、しんどそう・・・」と、日本のクリスチャンからはそう思われてしまう。
何故なら孤立型にせよ、埋没型にせよ、「教会が楽しみで仕方がない!」と言う人に、アタシは今まで日本で会ったことがないからだ。
何だか礼拝とか奉仕が義務(?)になってしまっている。不思議なことに日本では…。そこが日本の教会の一番の問題なのかも知れない。
そして更におかしなことは、教会のサークル化。
そこが気に入らなきゃ、他に条件のいい所をまた探せばいいんだし、用事のある日は、休めばいい。
“イエス様大好きサークル”であればそれで全然問題ないのだが、サークルは自分が楽しいということが基本。
だけど、日本の教会は楽しくないサークル。それって、かなり最悪である。
神の有機体である教会には使命があり、楽しいだけじゃダメなのは言うまでもない。だけどアタシは、教会員一人一人が“楽しい”ってことが基本にあっていいと思う。
教会生活が本当にその人の生き甲斐となり、学びも奉仕も楽しければ、“伝道は自然な行為“となると思うのだが、如何だろうか?
とにかく、これからの数年間は、あなたにとっても、あなたの教会にとっても、日本のリバイバルにとっても、とても重要な意味を持つ。
救われてからずっとおんなじ景色でクリスチャン人生をおくっておられるアナタ、泣かず飛ばずの人生なんて、つまんなくないですか?
そういうことに何か問題意識を持っているのなら、どこかで自分が決断しなきゃ。キリストと共に歩んで行けば、周りの景色も必ず変って行くはず。
「このままじゃ、教会も、日本もヤバイいんじゃない?この際、自我を捨て、キリストに賭けてみよう!」
そんな思いのある人は是非、アタジでご一報ください。共に歩んで行きましょう!
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何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。(マタイ6:33)
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かなり大雑把な言い方だが、日本には独自の活動をしている純粋孤立型教会と、古い概念に囚われている妥協埋没型教会の大きく二つのタイプがある。
その純粋孤立型教会の内で、異端のレッテルを貼られている三つの某教団にアタシの友人がいる。思うに彼らは異端と言うより、出る杭が打たれているのである。
一方、彼らは彼らで自分たちの教理信条に絶対的自信を持っており、自分たち以外の教会を、「既存教会」などと評している。おそらくその辺りが、異端と言われる理由なのか・・。
これは何を意味しているのかと言うと、日本はよく「和の社会」等と評されているが、その「和」が非常に小さいのである。
つまり、たった0.2%しかいない日本のクリスチャンが、「日本人クリスチャンの和」ではなく、「教団の和」から出ることが出来ないでいるのだ。
だが、これだけはハッキリ言っておかなければならない。日本のリバイバルは、決して特定の教団・教派・教理から生まれることはない。
それと、いつまでたっても、外国人宣教師に“おんぶにだっこ”の日本人クリスチャンよ、日本人としての自覚と誇りを取り戻してくれ!
確かに戦後の日本宣教は、彼らの献身と祈りによって支えられて来た。が、日本最後のリバイバルは助っ人に頼るのではなく、日本人自らの手で行なわなければならないのだ。
何処の国であろうと、リバイバルは、年齢、経験、学歴、職業、所属する教派・教団等に関係なく、神の前でへりくだり、人の前では大胆に福音を語る霊的覚醒者によって進められる。
そして日本を守るのは日本人の責任である。そんなことも日本のクリスチャンは忘れてしまったのか?
ちなみに世界一のクリスチャン大国・中国には、公認教会と地下教会。この二つの教会しかない。
その地下教会には福音派だ、ペテコステだ、カリスマだといった教理の種類分けは一切ない。
この天国的にはアホらしいほど当たり前なことを、アタシは日本の教会に対して声を大にして伝えなければならない。
さて、ここで一つ課題がある。例えばどこかの教会の誰かが霊的に覚醒した場合、次のようなことが発生するからだ。
教会は有機体なので、伝道に熱意のない牧師の教会信徒が、熱心に伝道することはまずあり得ない。
なので霊的に覚醒した人が、牧師や伝道師、または長老であった場合は進め易いのだが、それが一信徒であった場合、教会全体の霊的覚醒を促すのはかなり至難の業となる。
例えば、彼らが伝道した人を霊的にリバイバルしていない教会に連れて行くことは非常に好ましくない。特に救われた人にとって、最初の三ヶ月は重要な時期だからだ。
1).家の教会を軸に、教会全体の霊的覚醒に努める。
2).日本のリバイバルのスタートポイントは、いつも未信者にある。
3).日本人の高いスタンダードを、仲間同士のチームワークでカバーする。
4).教会を成長させたいという思いを「覚悟」に変える。
これ等のことが、日本の教会に課せられている。それをどう切り抜けるか?
アタシは今年から何処か牧会の拠点を決め、家の教会リーダーを育てつつ、家の教会建設に力を入れる。
などと言うと、「分かります。でも、しんどそう・・・」と、日本のクリスチャンからはそう思われてしまう。
何故なら孤立型にせよ、埋没型にせよ、「教会が楽しみで仕方がない!」と言う人に、アタシは今まで日本で会ったことがないからだ。
何だか礼拝とか奉仕が義務(?)になってしまっている。不思議なことに日本では…。そこが日本の教会の一番の問題なのかも知れない。
そして更におかしなことは、教会のサークル化。
そこが気に入らなきゃ、他に条件のいい所をまた探せばいいんだし、用事のある日は、休めばいい。
“イエス様大好きサークル”であればそれで全然問題ないのだが、サークルは自分が楽しいということが基本。
だけど、日本の教会は楽しくないサークル。それって、かなり最悪である。
神の有機体である教会には使命があり、楽しいだけじゃダメなのは言うまでもない。だけどアタシは、教会員一人一人が“楽しい”ってことが基本にあっていいと思う。
教会生活が本当にその人の生き甲斐となり、学びも奉仕も楽しければ、“伝道は自然な行為“となると思うのだが、如何だろうか?
とにかく、これからの数年間は、あなたにとっても、あなたの教会にとっても、日本のリバイバルにとっても、とても重要な意味を持つ。
救われてからずっとおんなじ景色でクリスチャン人生をおくっておられるアナタ、泣かず飛ばずの人生なんて、つまんなくないですか?
そういうことに何か問題意識を持っているのなら、どこかで自分が決断しなきゃ。キリストと共に歩んで行けば、周りの景色も必ず変って行くはず。
「このままじゃ、教会も、日本もヤバイいんじゃない?この際、自我を捨て、キリストに賭けてみよう!」
そんな思いのある人は是非、アタジでご一報ください。共に歩んで行きましょう!
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何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。(マタイ6:33)
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ある有名な脳科学者によると、「人間の脳はコミュニケーションするために設計されている」 そうである。コミュニケーションとは、要は自分以外の誰かに共感すること。何に共感するのか?それは相手の気持ち(感情)にである。
私たちは共通の趣味や情報などを共感し合うことは出来る。しかし、相手の性格や立場などを知識として知ることは出来ても、相手の気持ちにまで共感することはハッキリ言って無理なのだ。
こんな話があった。原発事故の後、避難先の親戚と行動を共にしていたある姉妹(看護婦さん)が、40日後やっと職場に戻れることになった。ところが、彼女の事情を理解してくれた病院側は、復帰を喜んで迎え入れてくれたものの、同僚の態度が今までと一変し、とても仕事を続けられるような状況ではなくなってしまった。
つまり、「こんな状況だからこそ、私たちは病院に残って今まで必死でやって来たのに、あなた今頃よくノコノコと帰って来られものだわよね。」 という思いである。
福島を離れた人たちには実に様々な事情がある。離れたのではない。離れざるを得なかったのだ。そんなことは百も承知で、福島の警戒区域に住んでおられる方々の多くは、自分も他人も含め、「非難した」ではなく、「逃げた」と表現する。
「あなたはあなたで大変だったわよねぇ」 と、身の置き場のない彼女に寄り添うことが、どれほど難しいことか。これは真面目で一生懸命な人ほど出来ない。
ましてや、自分の怠慢や落ち度で困っている人を見たら、「だから言ったでしょ。そんなの自業自得よ!」という気持ちが先行してしまうのが人間なのである。
アタシなんか、この「裁き系」がかなり入っているので、その姉妹をどうしても受け入れられない人達側の気持ちもよく分かる。
ただ、このような状況の中で見出せる一つの真理がある。それは、「自分の気持ちを一人でも共感・共有してくれる人がいれば、人は孤独の淵から抜け出ることが出来る」と言うことである。
そこで牧師はこう説教する。「キリストは、その人本人も気付いていない心の奥底部分まで共感し、我が子のようにその人の気持ちを受け止めてくださる存在なのです!」と。
しかし、問題はそのことを頭では分かっても、ほとんどの人がそれを実際の行動に移すことが出来ないと言うところにある。更に、受け入れられない人より、受け入れることが出来ない人の方が数的にはずっと多いのだ。
人を赦すことが出来なければ、アタシたち自身の平安が奪われることになる。聖書が「人を赦すべし!」と言うのは、相手のためと言うより先に自分のためなのである。それを可能とさせるものは、「自分が十字架によって赦された!」という深い体験以外にはない。
つまり、ヒュ-マニズムを超えて「人と寄り添う」ことこそ、クリスチャンの特権なのである。
責めるべきことがあっても、赦し合いなさい。(コロサイ3:13)
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私たちは共通の趣味や情報などを共感し合うことは出来る。しかし、相手の性格や立場などを知識として知ることは出来ても、相手の気持ちにまで共感することはハッキリ言って無理なのだ。
こんな話があった。原発事故の後、避難先の親戚と行動を共にしていたある姉妹(看護婦さん)が、40日後やっと職場に戻れることになった。ところが、彼女の事情を理解してくれた病院側は、復帰を喜んで迎え入れてくれたものの、同僚の態度が今までと一変し、とても仕事を続けられるような状況ではなくなってしまった。
つまり、「こんな状況だからこそ、私たちは病院に残って今まで必死でやって来たのに、あなた今頃よくノコノコと帰って来られものだわよね。」 という思いである。
福島を離れた人たちには実に様々な事情がある。離れたのではない。離れざるを得なかったのだ。そんなことは百も承知で、福島の警戒区域に住んでおられる方々の多くは、自分も他人も含め、「非難した」ではなく、「逃げた」と表現する。
「あなたはあなたで大変だったわよねぇ」 と、身の置き場のない彼女に寄り添うことが、どれほど難しいことか。これは真面目で一生懸命な人ほど出来ない。
ましてや、自分の怠慢や落ち度で困っている人を見たら、「だから言ったでしょ。そんなの自業自得よ!」という気持ちが先行してしまうのが人間なのである。
アタシなんか、この「裁き系」がかなり入っているので、その姉妹をどうしても受け入れられない人達側の気持ちもよく分かる。
ただ、このような状況の中で見出せる一つの真理がある。それは、「自分の気持ちを一人でも共感・共有してくれる人がいれば、人は孤独の淵から抜け出ることが出来る」と言うことである。
そこで牧師はこう説教する。「キリストは、その人本人も気付いていない心の奥底部分まで共感し、我が子のようにその人の気持ちを受け止めてくださる存在なのです!」と。
しかし、問題はそのことを頭では分かっても、ほとんどの人がそれを実際の行動に移すことが出来ないと言うところにある。更に、受け入れられない人より、受け入れることが出来ない人の方が数的にはずっと多いのだ。
人を赦すことが出来なければ、アタシたち自身の平安が奪われることになる。聖書が「人を赦すべし!」と言うのは、相手のためと言うより先に自分のためなのである。それを可能とさせるものは、「自分が十字架によって赦された!」という深い体験以外にはない。
つまり、ヒュ-マニズムを超えて「人と寄り添う」ことこそ、クリスチャンの特権なのである。
責めるべきことがあっても、赦し合いなさい。(コロサイ3:13)
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「何だか北京って、人が殺気立ってますよねぇ。」
北京の街では、信号も車線もあってないようなもので、車が人の群れに突っ込んでくわ、人の群れが車に突っ込んでくわ、15秒に一回クラクションを鳴らさないと前へ進めないわ、高速道路に人が歩いてるわで、アタシはとても街中で運転することが出来なかった。
「いや、北京は都会だし外国人も多いんで、未だマナーある方なんですよ。」と王さん。
「どこがマナーぢゃ??」と思ったが、実際中国にいて思ったことは、彼らはマナーが悪いのではなく、彼らと日本人とではスタンダードが全く違うのである。
更に王さん曰く、「先生、初対面の人の言うことをマトモに聞いてたら、大変なことになりますよ。」
「え”、何で? 」
「さっきの、自分は大企業の役員で、息子はハーバードにいるって言ってた人ね、あれ、全部嘘ですよ。中国人は一度しか会わない人に、ホントのこと言う必要ないと思ってますから」 だと…。
う“~~ん…そう言えば、知人の牧師からも、中国に関してあまりいい話は聞いていなかったが..。
例えばA師は、散歩の途中、一人で入った中華料理店で、定価の10倍のおあいそをふっかけられ、言葉も通じないのに1時間以上、店主と張り合い、最終的に2倍払わされた!? とか..、
交通事故を起こしたB師は、通常の10倍の慰謝料をふっかけられ、裁判をしているうちに、自分の弁護士と相手の弁護士がグルだったことが分かったとか…。
アタシも北京でお役所関連の手続きをしていて感じたことだが、中国人は相手がアメリカ人だと多少のリスペクトはあるが、相手が日本人だと分かるとナメてかかって来る。確かに日本人は中国ではお金を持ったカモネギのような存在なのである。
別に中国の悪口を言っているのではない、たとえいい加減な中国人であっても、礼儀正しい日本人であっても、イエスを主と信じなければ、最終的な行き先は同じ場所なのだから。ただ、中国では人間の罪の状態が、非常に分かりやすい形で、日常生活上に現れているというだけのことなのだ。
で、本題はここから。何故、中国が世界一のクリスチャン国になったのか?
アタシはそのことを、日本にいる時は考えたことがなかったが、中国に行って初めてそのことが分かった。それは、中国ではクリスチャンとノンクリスチャンの違いがよく分かるからなのだ。
クリスチャンは嘘をつかない。人を騙したりしない。誰も見てないからと言って悪いことをしない。また人のせいにしない。その正直さに、「何で???」と不思議に思った人々が、クリスチャンに興味を持つのである。誰もが常識的で親切で、クリスチャンとノンクリの差がよく分からない日本とは随分、事情が違う。
とにかく、中国に行って身に染みて感じたことは、一般社会における日本のスタンダートの高さと、中国の(地下)教会のスタンダードの高さである。
日本人は実に真面目で、親切で、努力家で、忍耐強く、道徳的スタンダードが非常に高い。このことは海外に行くとよ~く分かる。
そして、中国の教会は、非聖書的な部分が何もない実に純粋な教会である。このことは、実際に行ってみて初めて分かった。
そんなワケで、この場でお伝えできなくて残念なことは、地下教会の人々の姿である。特にリーダーの角さん。本当にアタシは天国で初代教会時代の教父(牧師)に会ったような思いだった。この角さんの愛に満ち溢れた天使のような顔!(月並みな表現だが)を見たら、アタシが言ってることを誰もが納得されると思う。
状況が状況だけに、あまり写真は撮っていないが、もし、角さんの顔を見たい人、中国リバイバルの実態を知りたい人がおられたら、「非聖書的な部分が何もない」とはどういうことなのか?説明しに参上しますので、どうぞ遠慮なく、ご一報を!
さて、次週8日のイースター礼拝は、午前10時半から、埼玉千間台キリスト教会にて、午後2時からは、千葉・南流山のオリーブチャーチでメッセージを取り次ぎます。タイトルは、イースター恒例 「イエス復活 !!」 聖霊充満の礼拝に是非皆さんご参加ください!! (場所はネットで確認よろしく。分からない方はコメントに投稿よろしく!)
城門を開け 神に従い 信仰を守る民が入れるように。(イザヤ26:2)
{写真:王さんが撮ってくれた河南省の教会でのスナップ}
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北京の街では、信号も車線もあってないようなもので、車が人の群れに突っ込んでくわ、人の群れが車に突っ込んでくわ、15秒に一回クラクションを鳴らさないと前へ進めないわ、高速道路に人が歩いてるわで、アタシはとても街中で運転することが出来なかった。
「いや、北京は都会だし外国人も多いんで、未だマナーある方なんですよ。」と王さん。
「どこがマナーぢゃ??」と思ったが、実際中国にいて思ったことは、彼らはマナーが悪いのではなく、彼らと日本人とではスタンダードが全く違うのである。
更に王さん曰く、「先生、初対面の人の言うことをマトモに聞いてたら、大変なことになりますよ。」
「え”、何で? 」
「さっきの、自分は大企業の役員で、息子はハーバードにいるって言ってた人ね、あれ、全部嘘ですよ。中国人は一度しか会わない人に、ホントのこと言う必要ないと思ってますから」 だと…。
う“~~ん…そう言えば、知人の牧師からも、中国に関してあまりいい話は聞いていなかったが..。
例えばA師は、散歩の途中、一人で入った中華料理店で、定価の10倍のおあいそをふっかけられ、言葉も通じないのに1時間以上、店主と張り合い、最終的に2倍払わされた!? とか..、
交通事故を起こしたB師は、通常の10倍の慰謝料をふっかけられ、裁判をしているうちに、自分の弁護士と相手の弁護士がグルだったことが分かったとか…。
アタシも北京でお役所関連の手続きをしていて感じたことだが、中国人は相手がアメリカ人だと多少のリスペクトはあるが、相手が日本人だと分かるとナメてかかって来る。確かに日本人は中国ではお金を持ったカモネギのような存在なのである。
別に中国の悪口を言っているのではない、たとえいい加減な中国人であっても、礼儀正しい日本人であっても、イエスを主と信じなければ、最終的な行き先は同じ場所なのだから。ただ、中国では人間の罪の状態が、非常に分かりやすい形で、日常生活上に現れているというだけのことなのだ。
で、本題はここから。何故、中国が世界一のクリスチャン国になったのか?
アタシはそのことを、日本にいる時は考えたことがなかったが、中国に行って初めてそのことが分かった。それは、中国ではクリスチャンとノンクリスチャンの違いがよく分かるからなのだ。
クリスチャンは嘘をつかない。人を騙したりしない。誰も見てないからと言って悪いことをしない。また人のせいにしない。その正直さに、「何で???」と不思議に思った人々が、クリスチャンに興味を持つのである。誰もが常識的で親切で、クリスチャンとノンクリの差がよく分からない日本とは随分、事情が違う。
とにかく、中国に行って身に染みて感じたことは、一般社会における日本のスタンダートの高さと、中国の(地下)教会のスタンダードの高さである。
日本人は実に真面目で、親切で、努力家で、忍耐強く、道徳的スタンダードが非常に高い。このことは海外に行くとよ~く分かる。
そして、中国の教会は、非聖書的な部分が何もない実に純粋な教会である。このことは、実際に行ってみて初めて分かった。
そんなワケで、この場でお伝えできなくて残念なことは、地下教会の人々の姿である。特にリーダーの角さん。本当にアタシは天国で初代教会時代の教父(牧師)に会ったような思いだった。この角さんの愛に満ち溢れた天使のような顔!(月並みな表現だが)を見たら、アタシが言ってることを誰もが納得されると思う。
状況が状況だけに、あまり写真は撮っていないが、もし、角さんの顔を見たい人、中国リバイバルの実態を知りたい人がおられたら、「非聖書的な部分が何もない」とはどういうことなのか?説明しに参上しますので、どうぞ遠慮なく、ご一報を!
さて、次週8日のイースター礼拝は、午前10時半から、埼玉千間台キリスト教会にて、午後2時からは、千葉・南流山のオリーブチャーチでメッセージを取り次ぎます。タイトルは、イースター恒例 「イエス復活 !!」 聖霊充満の礼拝に是非皆さんご参加ください!! (場所はネットで確認よろしく。分からない方はコメントに投稿よろしく!)
城門を開け 神に従い 信仰を守る民が入れるように。(イザヤ26:2)
{写真:王さんが撮ってくれた河南省の教会でのスナップ}
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