エンジェル田中のホボ毎日記

☆私たちは何を知り、何を祈り、何を伝えるべきなのか? 大衆伝導師“エンジェル田中”が語るレアな聖書メッセージ!

北京後記

2012年03月29日 | 日記
 北京で何度か宣教師や教会リーダーの人達と一緒に食事に行った。宣教師は、何処の国の生活習慣にも対応出来る訓練が出来ているせいか、食べ物にこだわるような人はほとんどいない。大体食べられたらそれでいいという感じ。アタシの場合は、未だ飢餓経験がないので、マズイものなら食べない方がいいという感じ。

 アタシは人と会食する場合、中華料理は出来れば避けたい方である。招待されている立場で、オーダーにでしゃばるワケにはいかないし、かと言って春巻きだの、チンジャオロースだの、エビチリだの、味の素の冷凍食品みたいなものばかり並べられるのも、個人的にはかなり辛い。

 「これ、美味しいですよねぇ!! 」と、宣教師のA師。
 「これ、単なる味付けリブじゃん。しかも冷えてるし・・」と、心で思って口に出さない無言のえんぢぇる。

 しかし、中国門外漢の立場としては、現地在住の方々に、少なからず期待を寄せつつ、お店とメニューの選択をしていただくのが常套である。しかし、残念ながら、人まかせの最初の数日間は惨敗であった。

 それでも中華の内は未だ良かった…。

 中国滞在4日目に連れて行っていただいたお店は、かなり高級ホテルに入っている日本食レストラン。そのホテルには、北京在住の3千人近い外国人が、毎週礼拝に集まってくる。

 さて、モンゴルの相撲部屋から出てきたようなチンチクリンのキモノを着た大きなオネーサンが持ってきてくれたのは、厚さ4mm、幅 8mmのスペシャル・トンカツ。(計ったんか?)向う付けの器に入っているは、トンカツのサイドに添えてあるのと同じキャベセン。デザートは干からびたオレンジ一切れ。
 
 アタシが日本食を食べたかろうと、わざわざ連れて来てくれた彼らの思いっきりの善意と優しさを逆なでするような日本食モドキにただ唖然。

 一流ホテルでこの調子なので、他はもって知るべし。中国のレストランメニューには、「これはイメージ写真です」という注意書きがないので、気を付けなければならない。以下、補足である。

壱:中国人がお茶を飲んでいるイメージは、日本人が勝手に作り出したもの。北京のレストランで出て来るのは、すべからく「お湯」である。

弐:②中国人は、冷たいものを食べないし飲まない。(ビ-ルもコーラも常温)従って、どこのホテルにもレストランにも「氷」というものは存在せず、マーケットなどにあるガラスケースは単なる棚。アタシは街でやっと見つけたコーラを、窓の外側に一晩置いて、外気で冷やして飲んだ。

参:どこのレストランに行っても、ゴハンが中々出てこない。それもそのはず、中国人は最後にゴハンを食べる。

四:個人的な好みや慣れもあると思うが、本場北京よりLAの中華の方が断然美味いとアタシは思う。はやり中国は貧しいので、素材の使い方がミミッチイのだ。ただ、デカイ..。スープや魚の煮付けなどは、洗面器(・・のようなではない)で出てくる。値段は、中華に関しては日本のおよそ半額。なので日本よりはずっといい。

伍:昔は日本にも電車の中で新聞紙を広げ、弁当を食べているオジサンの姿を少なからず見かけたものだが、中国は今でもその精神が生きている国である。北京第3ターミナルは、オリンピック用に造られた近代的な空港だが、人々は飛行機を待ちながら、ソーセージを齧ったり、カップラーメンをすすったりしている。

 ンなワケで、中国人が「食」にこだわる人種というのは、かなりステレオ・タイプな意見なのである。

 いきなりどうでもいい話になって申し訳ないが、何事もいい加減というのは良くない。どうせ信じるのなら、しっかり信じる。どうせ食べるのなら、しっかり食べる。それでいいのダ!

 中国食べもの描写の後は人物描写。待たれよ次号!!


あなた方は食べるにしろ飲むにしろ、何をするにしても、全て神の栄光を表すようにしなさい。(Ⅰコリント10:31)

{写真:北京で食べた北京ダック}



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無事、帰国

2012年03月28日 | 日記
 無事、中国から帰国した。名古屋空港から岐阜行きの急行に乗って暫くしてからやっと、「そうかぁ、帰って来たか・・・」と緊張感が解けた。解けたと言うのは、身の危険に対する緊張感である。

 通常(?)の国では、怪しい外国人は強制送還させるが、中国の場合、怪しい外国人を見付けたら逆に拘束しようとする。特に今回は、政権交代の時期と重慶での米国領事館逃亡事件等が重なっていたせいか、何処に行っても公安が物々しい取り締まりをしており、最後の最後まで緊張感が解けることがなかった。

 本当のことを言うと、実は河南省にも行けるような状況ではなかったのだ。「今回は主が止められているのでしょう。」と、来訪を諦めていたのである。しかし、アタシはどうしても諦め切れず、寝ている王さんをわざわざ起こして、「やっぱり明日行かなかったら後悔する。我々の行動が間違っているとは思えないし、万が一拘束されたとしても本望だ」ということで翌朝明けぬ雨の中、北京から800km南の河南省へ向かったのである。

 幸い、行きと教会に着いてからは何事もなかったが、帰りの河南省から河北省に入る検問で、普通なら完全に拘束されてしまう状況に追い込まれた。こんな所で検問が張られるのは前例がなく、さすがの王さんも全く予期していなかった。その時運転していたのはアタシ。公安に話しかけられたらもうジ・エンドだった。

 こんな田舎に日本人がいるとなると当然調べられる。しかもアタシは無免許(中国は国際免許を認めていない)で、王さんはブラックリストに載っている。 しかし、そこで王さんの機転といくつかの偶然が働き(つまり主の守り)、間一髪で通り抜けることが出来た。まさか隠し砦の三悪人(黒澤映画)の関所突破のシーンを自ら経験するようなことになるとは思わなかった。

 北京に帰った後も問題は途絶えることなく、結局、最後の大連での集会はキャンセルせざるを得ない状況に…。それで急遽予定を変更し、王さんは車で一人大連に向かい、アタシは北京発のチケットを新たに買って、中国を脱出したという次第。

 とにかく、毎日次から次へと問題が発生し、その1つを解決するために、日本の3倍以上の手間と時間がかかるのである。後から聞いた話だが、王さんが所属する宣教組織のリーダーから、「今回だけは危ないかも知れないからやめた方がいい」と言われていたそうで、王さん自身も、アタシと会う前日に食中毒に罹り、出来れば延期を申し入れようかと思っていたのだと言う。

 「だったらそう言ってよ!!」の世界なのだが、もし、これ等のことが事前に分かっていたら、今回の旅行は間違いなくキャンセルしていたことだろう。知らぬこととは言え、それでも行ったと言うところが我ながらアホと言うかムチャと言うか・・・。それをフォローしてくれた皆さんの真摯な祈りにただただ感謝するばかりである。

 これ以上書いてると、誰も中国へ行かなくなってしまうので、もうこの辺でやめておくが、これで懲りたのかと言うと全然そうではなく、機会が与えられたら、アタシはまた中国に行くつもりなのである。でも、いったい何のため? 

 中国では既にリバイバルが起こっており、日本人のアタシが行かなければならない必要性など全くない。アタシの中国訪問を、主がどのように用いてくださるのか、その計画はアタシには計り知れない。ただ一つ言えることは、今のアタシには真の教会の現実を見ておく必要があったと言うことだけは確かだった。

 さて、こんな大上段に構えた重い話を聞いてくれる人は、クリスチャンでもかなり限られていると思われ、本当は食べ物の話かなんかをした方が、よほどアクセス数は上がるし、ブログの性質にも合っている。

 なので、真面目な話は別に文章にしておくとして、次回はもう少し砕けた話題をお届けしようかと思う。 待たれよ次号!!  


神の恵みの福音を力強く証しする任務を果たすことが出来さえすれば、この命すら惜しいとは思いません。(使徒20:24)



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カナンにて

2012年03月26日 | 日記
 今回の集会には、泊りがけで30-40人の人たちが来てくれていた。一箇所に50人以上集まると公安に目を付けられたり、周りから通報される危険性があるため、それ以上集まることが出来ないのである。

 前回、角さんの信徒60万人と言ったが、河南省だけで3千万人以上のクリスチャンが存在し、その数は日々増えて来ているので、もはや今信徒が何人いるなどと数えられる状況ではない。そのあまりの人数のため、角さんは今まで何度も公認教会から訴えられ、その度に収容所に送られている。

 さて、教会では午前中1回、午後中2回、そして夜1回と、各2時間ほどの集会が一日中立て続けに行なわれる。当然、何を話そうかぁなどと考えている状況ではなく、如何に聖霊の波に乗るか、ただそれだけである。


 とにかく、彼らの信仰は実にシンプルで、深く、熱い。勿論、メッセージの反応は即座に帰ってくる。

 アタシたちは2日間滞在させていただいたが、最後のメッセージでは、「この世で命より大切なものがある。それは使命だ!」→「アーメン!!」。「この世で使命が残されている限り、クリスチャンは絶対死ぬことはありません!」→「アーメン!!」 

 語る側も聴く側も「アーメン!!!」の応酬で、話しが終わってもみんな席から立とうとしなかった。

 アタシと通訳の王さんが講壇から離れようとすると、皆立ち上がり、手を叩きながら賛美をし、アタシたちを送り出してくれた。

 最後、角さんの祈りで集会を閉じたが、彼の頬には涙がつたわっていた。


 それは正に初代教会そのものの姿。迫害されても更に成長し続ける真の教会の姿以外のなにものでもなかった。

 この単なる感動とも、驚きとも表現し得ない現実を、いったい日本のクリスチャンの人々にどう伝えたら良いのか・・・。

 確かに、今まで日本、韓国、アメリカにあるどの教会でも体験し得なかったことである。だが、かと言って「あり得ない!」というようには感じない。

 大体、彼らこそ本来あるべき聖書的な教会の現実であり、一方多くの堕落した教会が、あってはならない教会の非聖書的な現実なのだ。

 となると・・・、神の国から見れば、あり得ない世界の住人は、いったいどっち?

 やはり、アタシたち日本の教会は、真剣にこれからのことを考え、悔い改めなければ、かなりマズイのである。


 {待たれよ、次号!!}


あなた自身も剣で心を刺し貫かれます-多くの人の心にある思いが露にされるためです。(ルカ2:35)



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カナンにて

2012年03月23日 | 日記
 道の向こ~ぅの方から手を振る黒い影...。

 そう、角さんは一人歩いて迎えに来てくれたのだった。

 その距離、車で直線15分。

 もうこの時点で普通じゃない。

 車から見える風景は、戦前の日本と言うか..チベットの今と言うか..(見たんか?)

 ・・・しかし、別に他の国に例える必要はない。今の河南省の田舎なのだ。

 北京から高速で8時間。そしてグリグラと道なき道を行き、やっと辿り着いた教会(角さん宅)。

 アタシと王さんの二つのスーツケースを両手に持ち、泥道(当日は雨だった)をグングンと先へ行く角さん。

 その後ろ姿を見て、「あぁ、やっぱ角さんだわ..」

 出迎え、荷物を持ち、いつも暖かいお湯(お茶は超貴重品)を手元に置いてくれる。

 普通、こういったことは信徒さんがやる。10人や20人の教会ではないのだ。

 しかし、アタシたちの全てに気を使って動いてくれる角さん。それもすっごく自然に。

 最も、アタシが言う普通はこの世的な普通であって、天国的に普通なのは、角さんの方。

 遂に「ホンマもんの牧師を見てしまった!!」のである。*

 
 {待たれよ次号!!(かなり不定期ですが)}

 
真心から神に近づこうではありませんか。(ヘブル10:22)


{写真:王さんが撮ってくれたスナップ写真。(あまり顔を出せないのであしからず)}

*注:ホンマもん以外は全てパッチもんとは言いません。アタシを含め。



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カナン(河南)にて

2012年03月23日 | 日記
 今回の旅行に同行してくれた王(わん)さんの話。
 
 以前、ある地下教会に行った時、教会(納屋)の中で、手を真っ黒にして働いている顔の真っ黒なオジサンがいた。

 その姿があまりに低姿勢だったので、王さんはてっきりその黒いオジサンは奴隷(使用人以下)なのだと思っていた。

 ところが礼拝が始まったら、その黒いオジサンが作業着のまま、講壇(作業台)前にトコトコと出て来るではないか!?

 ナナ何と、彼こそ信徒60万人を抱える地下教会のリーダーなのであった。


 「いや~、前回オート三輪で角さん(黒いオジサン)がわざわざ迎えに来てくれたんですよ。」


 角さんは、クズ鉄のかたまりのようなオート三輪車で、椅子を二つのっけた荷台を引いてやって来た。

 そして王さんとその時に同行していた牧師さんは、その椅子に二人仲良く並んで座った状態で、村に迎え入れられたのだった。

 「嗚呼、アタシもオート三輪のミソギを受けねばならぬ身の上なのか・・・」と、覚悟とも諦めともつかぬ状況にいた時、遂に角さんはやって来た・・・・。

 {待たれよ次号!!(かなり不定期だけど)}


 御言葉を宣べ伝えなさい。折りが良くても悪くても。(Ⅱテモテ4:2)


〔写真:この道なき道が教会へと通じる入り口。〕



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説教と毛沢東

2012年03月19日 | 日記
 北京では珍しい雪の日曜日。

 某会社の一室は、満員で身動きができないほど。

 それでもここには毎週、新しい人が5-6人集って来る。

 来ているのは学生とビジネスマンが大半。

 牧師もいない、食事もない、世間話しは一切ない。

 賛美、祈り、証し、各自の学びの報告。これだけで3時間。

 なのに毎週人が呼び集められて来る。

 さすがに日本人牧師は珍しかったらしく、かなり目を点にさせてしまったものの、若者たちにはけっこう受けた。

 中に一人、英語の出来る女の子が、来月仕事で東京に行くので、是非会いたいと言ってくれた。

 もし彼らと関係を結ぶ事が出来たら、日本リバイバルのためのかなり頼もしい助け手となるだろう。

 とにかく、被災地も中国も、聞くと見るでは大違い。残念ながら写真は公開できないが、毛沢東のバッカデカイ写真の前で絶叫している`いたいけなえんぢぇる`の姿を想像していただきたい。

 中国のインタ-ネットは妙に遅く、中国発信の情報は検閲される可能性があるので、今日はこの辺で・・・。明日は中国リバイバルの本拠地・河南省へ向かいます。


信じなければ、あなた方は確かにされない。(イザヤ7:9)



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風と聖霊

2012年03月07日 | 日記
 クリスチャンの人生はヨットのようなものだ。

 ヨットの原動力は風。だが、うまく風に乗るためにはかなりの修練が必要となる。

 いきなり海に出ても、大体どうにもならないので、みんな最初はオールで漕ぐ。

 オールを使えば、辛うじて自分が行きたいところへは行けるのだが、当然ながらスピードにも距離にも限界がある。

 なのにどういうワケか、実に多くのクリスチャンが何時まで経っても、「ヒーコラ、ヒーコラ」と言いながらヨットをオールで漕いでいる。

 そんなことをずっとやってりゃ、疲れるのは当然。

 クリスチャンは井之頭公園でボートに乗ってるワケではないのだ。


 そこで如何にうまく風に乗るか?! それがクリスチャンライフの醍醐味である。

 一旦風に乗ることが出来れば、ヨットは波の上を滑るように高速で進む。

 但し、一つだけ問題がある。

 自分は南に行きたくても、風が南に向かって吹くとは限らないからである。

 風が自分の思惑と違う方向に吹けば、懸命に逆らおうとするのが人情。だが、そこで信仰の舵取りが必要になる。


 ところで、かく言うアタシのこの一年はどうだったか・・・?

 さすがに基本的な風の方向だけは誤ることはかったと思うが・・、

 “ザブ~~ン!!” としょっちゅう水をかぶるワ、舵を握る手は挫くワ、

 頼りにしてた仲間のヨットはどっかに行っちゃうワ、港は何時まで経っても見えないワで、“快適な海の旅!”とはお世辞にも言えない。

 主の摂理の中での旅なので、不安とか焦りといったものからはストレスフリーなアタシだが、でも、もうちいぃぃとスムーズに行けんもんかなぁ・・とも思う。まぁこう思うことも自我なのか・・・。


 さて、今や世界一のクリスチャン・カントリー!初代教会時代さながらの、リバイバルと迫害の実際をこの身に感じとかないワケにゃいかんダロ!! とずっと願っていたが、帰国一年目でやっと風が吹いてくれた。

 こんな鬼気迫る国で、ノホホ~~ンとした国からやって来た牧師がいったいどうメッセージを取り次ごうと言うのか?

 こうなるともう、100%風だけが頼りの世界である。

 ただ嬉しいことに風は祈りによって勢いを増す。皆さんの祈りのサポート、よろしくお願いします!


風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くかを知らない。(ヨハネ3:8)



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幻肢痛

2012年03月05日 | 日記
 世の中には色々な痛みがあるが、その中でも全く治療の術がなく、麻酔も効かない厄介な痛みがある。

 「幻肢痛」と言う、解明不明な症状。

 それは事故等で、身体の肢体を失った人たちだけが感じる痛みである。

 ないはずの腕や指先に身を裂くような激痛を脳に感じるのだ。


 家屋や車がまるでオモチャのように流されていく。

 逃げ込んだ人たちもろとも、避難所だったビルを大水が飲み込んでいく。

 そんな光景を映像に撮っていた人達は一様にこう言っていた。

 「それは全く非現実な光景だった・・・」と。


 「あり得ない」、「そんな馬鹿な・・・」と感じる現実。


 もし人が本来自分達が生活していた(はずの)エデンの園に住んでいたのなら、確かにそれは「あり得ない」ことだったろう。

 ところが罪の介入によって、人はサタンと共にこの地上の世界に落ちてしまった。


 サタンが牛耳るこの世界では、神の被造物である人間にとって、あり得ない光景の連続だった。

 地震列島の国で起こるべきして起こったことを、何故人は「あり得ない」と感じるのか?

 それは、本来人は神と共に神の国で生活するように創造されていることの証明なのである。


 次の日曜日で、3-11からちょうど1年。

 一人でも多くの日本人が、神の国へと帰還すべく願いを捧げる礼拝の時である。


神は必ずあなたたちを顧みてくださいます。(創世記50:25)



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