エンジェル田中のホボ毎日記

☆私たちは何を知り、何を祈り、何を伝えるべきなのか? 大衆伝導師“エンジェル田中”が語るレアな聖書メッセージ!

仏教と福音 Part II

2015年08月30日 | 日記

仏教の最終ゴールである涅槃に入るためには、どうすべきか?先ず、人間は死んだ当日(初七日)から数えて49日の間に、7日毎行なわれる7回裁判(5回目の裁判官が閻魔大王)で受けた判決によって、人間は六道輪廻の6つの世界(天界・人間・修羅・畜生・餓鬼・地獄)のいずれかに送られる。

 そこで自分の存在がなくなるまで(無我の境地) 修行を重ねて輪廻の世界から解脱(成仏)し、もはや何も存在していない涅槃の世界に入る(入滅)ことが仏教の目的。つまり、人間が目指すべき最終地点は、極楽でも天界でもなく、何も存在していない涅槃という世界で、修行僧達が、滝に打たれたり、炭火の上を歩いているのは、涅槃の世界を目指し、必死に自我を失くすために修行している姿である。

 仏教が禁じているのは、殺人ではなく殺生であり、この世の生き物が全て含まれる。従って、一度でも虫を殺したことがある者は地獄行きとなる。何故なら、あなたが今日、殺したゴキブリは、人間が生まれ変わって修行している姿だからである。ちなみに地獄界だけでも126の世界があり、その中の一番軽い地獄でも、1兆5千万年間の修行が必要である!?このような輪廻転生による救いを『三劫(さんごう)成仏』と言う。

 このような途方もない修行期間では、とても救われなという思いから、人々は勝手なご都合主義的な方法を仏教に取り入れ出した。これが、現代の日本人が仏教だと思い込んでいるのが、追善供養、位牌、縁日等の風習である。(メッセージから抜粋)

 

 
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仏教と福音 Part I

2015年08月25日 | 日記

 分け登る峠の道は多けれど同じ高嶺の月を見し哉..

仏教にもキリスト教にも、人に迷惑をかけるような悪い教えはないのだから、それぞれ自分に適した宗教を選べば良い。結局、辿り着く所は同じなのだから..。

これが一般的な日本人の宗教観であり、この見解に対して、多くのクリスチャンが返答出来ないままでいる。

実は宗教には、「どう生きるのか?」と言う“教え(宗教性)”の部分と、「何のためにそう生きるのか?」と言う“教理(宗教哲学)”の二つの側面がある。世の中に存在するどの宗教も、その宗教性において悪質なものはほとんどない。何故なら、進んで悪を教えるような宗教に参加する人などいないからである。

この二つの側面を家に例えるならば、家屋が宗教性、家の土台が宗教哲学にあたる。

通常、私たちが家を購入する際、土台のことまでは考えない。しかし、建築の専門家に言わせると「家は土台が全て」なのである。

どれだけ美しく、間取りが広かろうが、砂地に建てられた家など誰も買わない。どれだけ外観が美しかろうが土台がぐらついているような家には何の価値もなく、逆にそれは人生における大きな損失となる。

仏教もキリスト教も殺人を否定している。だからどちらでも良いのだということではなく、問題は、「何故、殺してはいけないのか?」の理由。仏教とキリスト教では、それが全く異なるのである。(メッセージから抜粋)

 


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Disciple Quickly

2015年08月19日 | 日記

実は、アタシ的は日本にもリバイバルが始まった!なのである。

ところが、いくら自分は正しい!と思っていても、

周りの999人から「違うでしょ」とか無視されたら、「そうかなぁ・・」などと思ってしまうのが人の常。。

などと情けないことを考えてたら、

御国が来るので、全てが加速しています。だから私たちも追いつかないといけない」と。

いや~まいりました

最近、日本には日本の土壌が、日本人には日本人のアプローチの仕方があるのだから仕方がない..等々と、

何だか遠慮しぃしぃ、福音を語っている自分がアホらしくなっていた矢先にこうである。

しっかしまぁ、パワフルなお姉さん(ExpectedendMinistriesのKaite Souza師)だこと...

この人、元ドラックディーラーの借金取り立て屋で、自分でもドラックの製造元をするわ、ギャングと銃撃戦をするわで、独房に入れられてたって言うんだから、実にハンパない。

しかし、彼女が経験したこと、語っていることは本当だ。

アタシたちが語っているのは、宗教ではなく、生きた神との関係なのだ。

そう、神の国は近付いている だから、アタシたちもそれに追い付いて行かなければいけない。

Disciple Quickly

この言葉をはじめて彼女から教えてもらった。実に感謝である。

リバイバルとは、誰かがどこかでやっているのを見ることではなく、

アタシから、そしてあなたの中から始まって行くものなのだ。ハレルヤ


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礼拝と聖書クラスのお知らせ

2015年08月17日 | 日記

 8月23日 ラスベガス
 ラスベガス日本人コミュニティー教会 (LVJCC)
1800 E Desert Inn Rd
Las Vegas, NV 89169

8月23日 11:00am 礼拝『福音と仏教』

:213-324-6942
:http://www.lvjcc.com/map.htm 


 8月29日 東京都足立区
足立区アクティブホームチャーチ (A2HC)
東京都足立区中央本町 4-6-9
東武スカイツリーライン 梅島駅下車
(徒歩10分 目標は足立区役所北東側)

8月29日 10:00am - 12:00pm 聖書クラス
                 12:30pm -  2:00pm 聖書クラス 

:080-4196-3007

 8月30日 福島県いわき市
いわき希望教会 (IHC)
福島県いわき市内郷御厩町上宿 25-11
(教会のすぐ前に無料駐車場があります)

8月30日  7:00am 早朝礼拝
             9:20am 聖書クラス
           10:30am 礼拝『日本のリバイバルと中国宣教』
             7:30pm 夕方礼拝

:0246-27-3362
:http://homepage3.nifty.com/ihc-cbb/




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死後の世界 (弟子訓練Version III)

2015年08月12日 | 日記

 ルカ16章に記載されているラザロと金持ちの話は、死後の世界について記されている独特な記事である。今日はこの箇所から、私たち人間には類推不可能な死後の世界について、分かることをまとめてみた。

死後の世界は実在する  

イエスが譬え話を話される時は必ず「ある人が・・」と語られる。しかし、この箇所では「ラザロ」という実名が記されているので、この話しは譬え話ではなく、実際の話しである。そして、死後の世界には、金持ちがいる地獄(的)な場所と、ラザロがいる天国(的)な場所の2か所あることが分かる。

死後の世界に実在する責苦
(金持ちがいる地獄的な場所は、地獄(ゲヘナ)ではなく、陰府(ハデス)という場所)

陰府の異なる世界は、相互に見ることは出来ても、移ることは出来ない

死後、生きている人と交信することは出来ない

死後には、現世の記憶が継続している

そして結論!死後に救いはなく、陰府の苦しい場所に行きたくなかったら、聖書を読むべし。人生の答えの全ては聖書にある

今は、映画や様々なメディアで、終末時代について多くのテーマが取り上げられている。教会内でも携挙の時期やセカンドチャンスなどに関する様々な教えが流布しているが、それらの中には間違った教えも少なくない。 私たちキリスト者は、それらの情報を鵜呑みにすることなく、あくまで聖書によって解き明かし、聖書によって確認しなければならない。今回は、終末に関する意見を持つ前に、これだけは確認しておくべきいくつかの前提について確認してみよう。

死後の世界(臨死体験)について、体験談を語る人は少なくない。しかし、それらの体験が、本当に神から来た啓示なのか?単なる本人の夢・幻なのか?はたまた悪霊から来たものか?人間にはそれを立証することは出来ない。従って、死後の世界を客観的に検証する手立ては、聖書以外にはない。

聖書が語る救いとは、先ず、神が“私”に対して語られた言葉であることであり、他の誰かについてではない。誰が天国に行き、誰が地獄に行くのか?ということは、人間には決めることは勿論、知ることも出来ない。

イエス・キリストが再臨され、この世の全ての人間は裁かれるが、その裁きの基準は「イエス・キリストの十字架を信じ、受け入れている人か、そうでない人かの一点のみ。

天国には、罪を持ったままの人は誰一人いない。

人は誰しも、原罪を持った存在としてこの世に生まれて来る。それは子供であっても、どんな親切な人であっても、誰一人として例外はない。そして罪を持っている以上、人はそのままの状態では天国に入ることが出来ない。そこから人を解放するために成し遂げられた唯一の方法、それがイエス・キリストの十字架である。

恵みとは、それを受ける価値も資格もないの与えられた神からの一方的な愛。この恵みは真に悔い改めるなら、誰にでも与えられる。しかし、かと言って、恵みを受ける側の私たちが、「何故自分には恵みが与えられなかったのか?」と主張することは出来ないし、「自分は与えられたのに、何故、あの人には与えられなかったのか」?とも言うことは出来ない。

この金持ちは死んで地獄のような苦しい場所に落とされてしまったのだが、このことが現実だと判ったなら、誰もが「私はまちがっていた!」、「出来るなら最初からもう一度やり直したい!」と、考えて当然のはず。ところがこの金持ちは、自分がこのような状態に陥っているにも係らず、何と悔い改めていないのだ。相変わらずラザロを自分の使い走りのように考え、自分の立場を変えることをしていない。

これは何を意味しているのか?それは、人間は一度死んだらその時点でその人の意識や価値観は固定されてしまい、死んだ後はもはや、悔い改めることが出来ないと言うことなのだ。だからこそ私たちは今、生きている間に一人でも多くの人々に福音を伝え、その人がイエス・キリストに出会えるようにセッティングしてあげることが必要である。

 “悔い改めは現世でしか出来ない

どうぞ、この厳粛なる事実を知ってください。家の教会はそのために、いつでもどこでも福音を伝える場としてここにある。今日、あなたの人生を天国行きの人生に変換させよう!この恵みは救いを求める人には、誰にでも与えられるのだから!ハレルヤ




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