エンジェル田中のホボ毎日記

☆私たちは何を知り、何を祈り、何を伝えるべきなのか? 大衆伝導師“エンジェル田中”が語るレアな聖書メッセージ!

「もう少し考えて生きな」

2011年02月23日 | 日記
 ガッツ石松 「タダと無料とどっちが安い?」

 マツコ・デラックス 「わかんないワヨ」

 杉村太蔵 「ス、素晴らしい!!」

 白犬父さん 「大丈夫か、お前?」

 マツコ・デラックス 「もう少し考えて生きな」


 中には何だか分からないのもあるのだが、この回帰学生バージョンは、キャスティングだけでもかなり笑える。

 その後で見たのは、最近日本のメディアによく登場しているハーバード大学哲学科の教授をゲストに、日本の弱腰外交や八百長問題などについて、タケシや日本の政治家たちと論議するというバラエティー番組。

 少し期待をしたアタシがアホだった。彼らがぐっちゃべってたのは、解決の糸口どころか、知恵もヒントもない単なる言葉の遊び。同じカオスなら、ギャクに徹してる分、ソフトバンクの方が面白い。人は聖霊がなければ、いくら知識や経験や人徳があっても、自分がアホであることに気付かないのである。

 ちなみにこの番組を見ていて、「クリスチャンはどの程度、認識があるのだろうか?」と少し気になった。以下、クリスチャンのランキング別反応である。


レベルA (愛のクリスチャン)
 愛と忍耐を持って見て、日本人宣教への対策を考える。

レベルB (我流傾向のあるクリスチャン)
 最初っから、こんなアホ番組は見ない。そもそも知らない。

レベルC (聖化の過程が滞っているクリスチャン)
 世の中のアホさ加減に呆れ、シラケる。または怒る。

レベルD (霊的角質化したクリスチャン)
 見ても何も感じない。無感動・無関心。

レベルE (嗚呼、カンチガイ・クリスチャン)
 「はぁ、そうなのかぁ!!」と関心する。

レベルF (もはやクリスチャンかどうか疑わしい)
 ヘラヘラと笑って見て終わり。


追伸--
 TVに興味のない方には何だか分からないネタで申し訳ない。しかし、そもそもTVの内容自体がカオスなので、見ても見なくても、結局カオスであることに違いはない。


言葉が多ければ空しさも増すものだ。(コレヘトの言葉6:11)



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春日井教会

2011年02月20日 | 日記
 今日は、アタシより一足先にアメリカから日本宣教に立たれた安藤秀世牧師が牧会されている教会へ行って来た。場所は愛知県春日井市。アタシの実家から車(直行)でおよそ1時間。

 直行というところがミソで、アタシにとって日本の道はほとんど迷路。標識はないは、ストリートアドレスはついてないは、道は狭くてぐにゃぐにゃだわ、道に車を止めて人に聞く雰囲気でもないわ、右側通行だわで、とにかく真っ直ぐに着けたためしがない。所要時間は少なくとも予想の1.5倍は見ておかねばならない。

 結局1時間15分ドライブして、久し振りに再会した安藤師との会話は、いきなり日本の運転免許。カリフォルニアドライバーズライセンスを、日本の免許に切り替えるには、実施試験にパスしなければならないのだが、これがアメリカで30年以上運転して来たアタシたちにとっては至難の業。安藤師もアタシも試験に2回落っこちた。

 これは日本社会を甘く考えていたアタシに対する神からの忠告であった。アタシがアメリカで何年運転してようが、どれだけ運転がうまかろうが、そんなことは日本の社会にとっては全く関係がない。問題は、日本の運転審査基準に合うか合わないか。日本宣教の一面を垣間見た思ような思いだった。

 ンなこたぁどうでもいい・・・。

 春日井教会は、地元では有名な牧師さんが一代で建て上げた単立教会で、40年の歴史を持つ。ウチの教会関係者なら、これだけで開かれた教会であることが分かっていただけると思うが、アタシが日本で「ハレルヤぁ!!!」と叫んだ(べた)のは、今の所この春日井教会だけである。それと子供たちが大勢いたのが良かった。半分がブラジルの人たちだったせいもあるだろうが、日本では珍しく明るい雰囲気の教会。

 「ボクはこの教会で本当に良かったと思ってる。」安藤師はいみじくもこう言っておられたが、主は、主を信頼して歩む者に、バッチリ適材適所を用意しておられる。とても励まされた日曜日だった。


 ところで、3月6日の日曜日は、千葉県流山にある教会に呼ばれている。初めて行く教会だが、ここは開拓教会なので、問答無用の「ハレルヤぁ!!!」で行くつもりである。礼拝は午後2時からなので、時間の都合が合う方は、是非、流山までおいでくださひ。


行け。わたしがあなたを遠く異邦人のために遣わすのだ。(使徒言行録22:21)



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愛の八百長

2011年02月18日 | 日記
 ある日、八百屋の長兵衛さんが、相撲部屋の親方と将棋をさした。長兵衛さんはヘボな親方の顔を立て、わざと負けた。

 これが「八百長」という言葉の由来である。

 長兵衛さんは、贔屓先である親方の顔を立て、「融通を利かせた」のだ。つまり、「魚心あれば水心」。

 この長兵衛さんの「知恵」を、「不正」なんて言ったら、もともこもないじゃん。

 日本人の精神構造の根底には、そういった意識がある。


 今回の事件で、どの日本のメディアも「不正取り組み」とは言わず、「八百長」という表現を使っているのはそのためである。

 ちなみに金田一秀穂氏は、「八百長には愛がある」とまで言っていた。

 皆で種を蒔き、皆で収穫し、皆で分ける農耕文化に育った日本人にとって、自分たちが生きるために必要なことは、『真理の追究』ではなく、「全体の協調」。

 だから、日本社会は欧米社会に比べ、陰湿的なイジメはあるものの、少なくとも表面的には、親切で暖かい社会構造が形成されている。


 そこへ行くと、何と身勝手で個人主義的なアメリカ人。

 実は彼等の精神的基盤は、「人や社会が何て言おうが、神が示された道を私は行くのぢゃ!!」という、ピューリタニズムにある。

 この精神からスッポリと『神』の存在が抜け落ち、シッカリと「独立心」だけが残っているのが、現在のアメリカ社会である。

 どちらも空洞化した社会であることに違いはなく、どちらも『神』の存在を取り戻すこと以外に、根本的な解決の道はない。


しかし、主の方に向き直れば、覆いは取り去られます。(Ⅱコリント3:16)



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ジョーダンじゃなーいわよーうⅡ

2011年02月13日 | 日記
 「ホボ毎とコラムとどう違うのですか?」と質問された。

 「内容的には特にこれと言って大差はないんで、ただ長いか短いかだけの差..かな。」

 などと受け答えていたが、本人もよく分かっていないのである。

 ンなワケで、今回久方のコラムはこちら!

 ↓


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ジョーダンじゃなーいわよーう

2011年02月11日 | 日記
 最近、トント聖書以外の本を読まなくなった。アタシにとって、聖書が十分エキサイティングなので、他の本に興味が湧かないのがその理由。それではいかんなと思いつつ、TVもそれなりに参考になるかしらん?というのは言い訳で、TVは薄っぺら過ぎて何も残らない。それでも最近、「なるほど、そうなんだ・・」と感じたことを、いくつかPicしてみた。


「日本人の魂を描き続ける」 尾田栄一郎

◆累計発行部数2億冊。年収20億円。日本ではおそらく聖書の20万倍(?)は読まれている「One Peace」の仕事場がNHKで公開されていた。(作者は全くメディア露出しないことで有名)机の周りには、ヤクザ映画や黒澤DVDの数々。実際、ルフィー一家のモデルは「七人の侍」らしい。世のため、人のため、友のために自分の命を捨てる任侠道こそ、One Peaceの基本精神なのだ。


「相撲が日本の国技だなんて、ちゃんちゃらおかしい」 石原慎太郎

◆石原氏は作家時代から、相撲が八百長であることをいち早く指摘し、物議を醸していた。今回の騒動などは、もう今更・・・という感じ。


「世の中、お金で解決出来ないことなんか、ほとんどない」 西原理恵子

◆「自分は八百屋のおばちゃんみたいに毎日仕事する、 ただそれだけのこと」とも。 結局世の中は、世間につくか神につくかの二つに一つ。そういった意味で、彼女は正直な人なんだと思う。


「火のないところにも煙は立つ」 池上彰

◆今、最もメディア露出が多い人の一人だが、今年の3月以降は一切TVには出ないらしい。そこへ出てきたのが、参議院選進出の噂。そんなこと考えたことも、誘われたこともないのに、世間が騒いでいたので驚いたと言う。このような根も葉も全くない捏造は、全く防ぎようがない。


「間という言葉を使わないで、間という意味をどう説明するか?」 金田一秀穂

◆新しい辞書が発行される度に、金田一ファミリーは「間」の説明を開けて、どのように解説しているのか確認するそうである。実に日本語は微妙なのだ。


「破綻したには、破綻しただけの理由がある。」 稲盛和夫

◆誰もが知っている「因果応報」の黄金律。当たり前といえば、当たり前の話だが、人間、当たり前のことが出来ないところに問題があるのだ。仏教哲学が、JAL再建にどう適応されるのか?稲盛さんが「愛は律法を包括する」真理に辿り着いてくれることを祈っている。


神について知りうる事柄は、彼らにも明らかだからです。(ローマ1:19)



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日本の国で死ぬということ

2011年02月05日 | 日記
 あらゆるジャンルの日本の文化人約50人に、「死」に対する見解を聞いてまとめた文芸春秋の本(雑誌)である。

 多くの人はキリスト教のような死生観は、エキセントリック過ぎてダメ。かと言って、「人は死んだらゴミになる。死ねば全て終わり」という達観も持てない。


 でも、多分死んんだらそれで終わりということはないだろうと思っている。

 その根拠は、「光に包まれ、三途の川を渡ろうとするところで、現世に戻って来た云々」と言った、いわゆる臨死体験の“また聞き”である。

 多分「あの世」はそれほど恐ろしいところではないだろう。

 何故なら、ほとんどの人が「あの世」から戻って来ないから。(これは永六輔が徹子の部屋で言っていた)

 あの世とは「天国」でも「地獄」でもなく、この世よりも多分「楽」なところ。

 何故なら、この世が十分「地獄」っぽいから…。


 かなり無理(ムチャクチャ)な展開だが、所詮考えても分からないことなのだから、自分にとって都合の良い方を取ろうということなのであろう。

 これが、社会のオピニオンリーダーであるはずの彼らの「死生観」だ。

 いくら知識や経験を積んでも、人は「罪」に気付かなければ、これほど愚かで的外れな存在なのである。


 そんな彼等にはなく、アタシたちにあるものと言えば一つだけ。

 それは、「聖霊」。

 だから、「聖霊の力ってのはスゴイなぁ、奇跡だなぁ、恵みだなぁ」と感動せざるを得ないのである。


 ちなみに、この本で一人だけまともなことを言っていた人がいた。

 山谷でホスピスを経営している山本さんである。


 「死」について、一般の人々がどう考えているのかを知っておくことも、アタシたちには必要であろう。

 なので、一応、一読をおススメしておく。


わたしたちは一人一人、自分のことについて神に申し述べることになるのです。(ローマ14:12)



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霊の深読み

2011年02月02日 | 日記
 今日、目が三角になってしまっている女の子と、山姥みたいなザンバラ髪の老女とすれ違った。悪霊憑きと言うと、街中で堂々とサタン礼拝をしているアメリカの方がずっと多そうに思えるが、日本は国全体が偶像野放し状態のせいか、街を歩いていると、明らかにそれと分かる人たちと出くわすことが少なくない。

 日本で無差別殺人といったとんでもない事件を起こす人たちの供述が、たまにメディアに出ていることがある。それを気を付けて読んでみると、多くの人がサタンにそそのかされていることが分かる。(法的には単なる幻聴と片付けられている)

 今、日本中の日本食レストランや、スーパー・コンビニで売られている『恵方巻き』。これを南南東(だっけ?)に向って丸かじりをすると、ご利益があると言う。いったいどれだけの人がこんなことをやっているのか、アホらしくて想像もしたくないが、ハッキリ言うと、日本人はその宗教観の稚拙さを、サタンにあざ笑われているのである。

 とにかく、三角目だろうが、つぶらな瞳であろうが、山姥だろうが、セレブ夫人であろうが、イエス側にいなければ、行き着く結果は同じ。問題を問題として認知しやすい分だけ、三角目の方が救われるチャンスが高いとも言える。

 こんな話をすると、必ず 「えぇ“~~」とか言われてしまうのだが、そういう人たちはマルコや黙示録をいったいどう思って読んでいるのだろう? C.S.ルイス曰く、サタンに関しては、無関心でいることも、侮ることも、また、必要以上に恐れることも、彼らの思うツボなのである。


わたしは、あなたがたに悪霊の仲間になってほしくありません。(Ⅰコリント10:20)



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霊の浅読み

2011年02月01日 | 日記
 「福音をナメンなよ」


 ウチの教会の人たちは良く知っておられるが、これはエンジェル田中の品のない常套句である。(さすがに日本では未だ使っていない)


 とっておきの天下の宝刀を見せた後で、「何です、それ?」とか言われると、「こんなヤツに見せるんじゃなかった..」と思ってしまう心の狭い牧師ってアタシだけ…だろうな。


 霊の深い話をしても相手に届かない。しかも、深まれば深まるほど、それに反比例して届いていないという現実。それはクリスチャンとて例外ではない。


 人生の深みを渡るのと引き換えに見えた世界は、深みを渡った経験のない人、深みが何だか分からない人、深みを渡るつもりなどない人たちにとっては、ピンともスンとも来ない荒唐無稽な話にしか聞こえない。


 そんな霊的文盲の人たちや、自分のことばかり求めて、イエスのことを全然求めていない(自称)クリスチャンたちは、自分の本音と建前を切り裂く御言葉の力に拒否反応を示す。


 あえて軽く考える、冗談のように受け流す、一応聞いてるフリはするが、結局その場限りになる…等々。人は自分に受け入れられないものや人と距離を置くことで、自分を守ろうとするからである。


 しかし、世の中には真理を求め、真理を喜んで受け入れたいと願っている人が全体の6%はいる。現在の日本のクリスチャン人口は0,2%。もし彼らが福音に触れることが出来たなら、必ず日本にリバイバルは起こるのである。


私の言葉も私の宣教も、知恵に溢れた言葉によらず、ただ“霊”と力による証明によるものでした。(Ⅰコリント2:4)



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