エンジェル田中のホボ毎日記

☆私たちは何を知り、何を祈り、何を伝えるべきなのか? 大衆伝導師“エンジェル田中”が語るレアな聖書メッセージ!

祈ってるよ、ジョシー

2010年06月04日 | 日記
 やはり、いつもジョシーのことが頭に浮かぶ。

 前回、仏教セミナーをやった本当の理由は、「死」について、皆にもっと真剣に考えて欲しかったからである。何故なら、死に対する洞察が、命→時間→再臨→永遠の命へと、つながって行くからである。

 ところが、「死というものは、いつあなたに訪れるか分からないのですよ」程度のことを言われても、「そりゃそうだけど、今日明日ってことはないでしょ」 これが、多くの人の「死」に対する捉え方の現実である。

 更に、ほとんどの人が、他人の「死」ついても、割と無関心であったことに、正直アタシは驚いた。もし、仏式の葬儀に行かなくてはならなくなった時、彼らはいったどうするのだろう?多分、そうなりゃその時に考えればいいや。と思ってんだろうな。きっと。

 こんなこと言っちゃ何だが、アタシから言わせると、彼らは楽観主義を通り越した「判断は自分で、責任は神様に」という、三歳児クリスチャン以外の何者でもない。

 ま、いいや、そんなことは。

 とにかく、アタシャ、クリスチャンであろうが、なかろうが、真剣じゃない人間とは極力付き合いたくないのである。

 愛も器量もなくてすんません。

 
 さて、ジョシーのことである。彼が癌の宣告を受けた後にBlogに書いた手記の一部をご紹介させていただきたい。「勝手に添付しちゃ怒られるかな..」と思ったけど、先に謝っておきます。「ごめんなさい!!」 ジョシー祈ってるよ!!



 オレの免疫療法は、

 「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことについて感謝しなさい。」 だ。

 心の中はいつも平安でいっぱいだ。心の中には、キリストを誇る喜びと感謝が支配している。

 癌はオレをキリストの愛から引き離すことはできない。

 死もオレをキリストの愛から引き離すことはできない。

 誰もオレをキリストの愛から引き離すことはできない。

 オレは誰の奴隷でもない。オレを愛し、オレのために死なれたイエス・キリスト以外の奴隷には決してならない。

 悪魔は癌を使ってオレを攻撃したかった。神はその試練をオレが受けることを許された。言っておくが、誰もオレをキリストの愛から引き離すことはない。癌はオレをキリストから引き離すどころか、もっとキリストと一つにしてくれた。

 本当の弟子訓練は、神からくるとオレは信じている。神と心が一つになりたいと思っている人に対して、神はいつでもその弟子を訓練し、同じ思いに導こうとしておられる。


主はその御目をもって、あまねく全知を見渡し、その心がご自分と全く一つになっている人々に御力を現してくださるのです。(Ⅱ歴代史16:9)



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ジョシー

2010年06月03日 | 日記
 どっから見ても、ぶっきらぼうなオヤジにしか見えないのだが、実は癒し系牧師。アタシのことではない。ジョシーこと石原良人牧師である。彼は、LTGとCELL教会(意味が分からない人は、Let’s Cellを参照)の大切さを、日本の教会に伝授して回った功労者である。

 〔数年前、彼はLAでも講演し、Life Changing Campを行なった。そしてLAの日本語教会牧師を召集して、CELL教会に関する説明会を行なう予定だったのだが、残念ながらその計画は実現しなかった。誰もその必要性どころか、存在すら知らなかったからである。(今でも知らない)そんなワケで、LTGとCELLをやっているというLAの日本語教会を、アタシは今まで一度も聞いたことがない。未だに「何それ?」の世界である。しかし、ハッキリ言わせでいただくと、これをやっていないクリスチャンは、所謂Sundayクリスチャンの域を出ることは出来ないのである。〕

 そのジョシーが今、末期癌で日に日に体力が落ちており、余命2-3ヶ月と医師から宣告されている。どうかジョシーのために、お祈りいただきたい。



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BUTOH

2010年06月02日 | 日記
 大野一雄さんが103歳で亡くなった。アタシは以前、彼の「Butoh」を目の当たりに見たことがある。それは舞台でなく、突然通常の場で起きた即興だった。「空気が変わる」というのは、こういうことかという、その時に受けた鮮烈な印象は今でもよく憶えている

 マルセル・マルソーが亡くなる少し前、ウエストウッドのシアターで観た時もそうだったが、人の動きが何故こうも美しく見えるのか? 神が人間に託した能力が、どれだけ無限の可能性に満ちているのか、正にそのことを実感させられる。

 それを思うと、観阿弥・世阿弥の能は、さぞかし凄まじいものだっただろう。秦河勝の子孫である彼らの「Butoh」の原型とは、いったいどのようなものだったのか?その秘密は、案外このダビデの言葉にあるのかも知れない。


あなたはわたしの嘆きを踊りに変え、粗布を脱がせ、喜びを帯としてくださいました。わたしの魂があなたをほめ歌い、沈黙することのないようにしてくださいました。わたしの神、主よ、とこしえにあなたに感謝をささげます。(詩編30:12-13)



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