goo blog サービス終了のお知らせ 

エンジェル田中のホボ毎日記

☆私たちは何を知り、何を祈り、何を伝えるべきなのか? 大衆伝導師“エンジェル田中”が語るレアな聖書メッセージ!

こうでなくっちゃ!

2010年12月23日 | クリスチャニティー
 最近TVネタばかりで、己の活動範囲の狭さに自分でもアキレてる今日此の頃。今日も、バーモント州に住んでいる92歳のおばあちゃんの番組を観てしまった。

 とは言え、今回はたまたまつけた番組のラスト20分ぐらいだけだったので、内容はほとんど分ってないのだが、ハトのようなつぶらな瞳に満面の笑み。「あ、この人絶対クリスチャンだ!」と思って観ていたら、やっぱりそうだった。

 オーストリアで生まれ、少女時代に家族でアメリカに亡命し、その後、パプアニューギニアで20年間、宣教師をしていたその人は誰あろう、あのマリア・フォン・トラップの次女。(彼女の名前もマリア)

 「母(マリアのこと)は自分のことを、卑下もしないし、自慢もしない。いつも自然で優しい人」これは、宣教師時代にアダプトしされた息子(今は大人)の話し。

 敬うべき存在である老人は、頑なで、疑い深く、怒りっぽく、逆に世の中から疎まれている。しかし、彼女にはそんな部分が微塵もない。それどころか、彼女はインタビュー中に、「ねぇ、あなたもそんなエキサイティングな人生を送ってみたいとは思わない?」と、日本人の制作スタッフを伝道していた。

 やっぱクリスチャンはこうでなくっちゃ!ターシャ・トューダーもよかったけど、ターシャおばあちゃん、ほとんど笑ってなかったもんなぁ・・。何だかんだ言っても、クリスチャンって素晴らしい。クリスチャンは幸せだ! と、シンプルに励まされた20分間であった。


あなたの未来には希望がある、と主は言われる。息子たちは自分の国に帰って来る。(エレミア31:17)



GNSのメインページはこちら!

ターシャ・トューダー

2010年12月20日 | クリスチャニティー
 でた!『ターシャ・トューダー』BS4時間半スペシャルぅ!!

 アメリカで最も愛された絵本作家と言われ、彼女が私財を投じてつくった庭園は、世界中のガーデナーたちのお手本である。

 彼女はメディアや社交界に一切出ることなく、バーモント州の田舎にあるコテージで、毎日コツコツと絵本の仕事と庭作業と女手一つで4人の子育てに勤しんで来た。

 独創的で、努力家で、揺るぎない信念を持ち、謙虚で、いつも前向きで、感謝に溢れている。

 「昔は庭の井戸からずっと家まで水を汲んで運んで来ていたのだけれど、今はポンプがあるから本当に助かってる。だから私は水を使う度に電気を発明してくれたエジソンに感謝してるのよ。」

 とまぁこんな具合。

 つまり、アタシら凡人からすると、ほとんど『完璧』な人。ただ一つ、『信仰』の欠如を除いては。

 彼女がクリスマスツリーのてっぺんに、星ではなくて等身大のカラス(自然の守り神?)を飾っているのを見た時、アタシはむしょうに哀しく、複雑な感気持ちになった。

 エジソンは「1%の(聖霊の)ひらめきがなければ99%の努力も無駄になる」と言った。(日本では天才は99%の努力と1%の才能だと誤訳されている)

 チト極端なことを言うようだが、「99%の人間性と1%の信仰の欠如」と、「1%の信仰と99%の人間性の欠如」。

 つまり、ターシャ・ツューダーと、十字架の右横にいた泥棒と、どちらが真に幸せなのか?

 そう考えた時、実はそれは泥棒の方なのだという、クリスチャンの根源的価値観が、何故か日本ではほとんど感じられないのだ。

 「~であるべき、~しなければ、~でありたい。」的な話ばかりで、霊的な話が通じない。

 一言で言うと、日本のクリスチャンは皆、疲れている。

 これが帰国後、アタシが最も強く感じたことである。

 
 この世の生活でキリストに望みをかけているだけだとすれば、私たちは全ての人の中で最も惨めな者です。(Ⅰコリント15:19)



GNSのメインページはこちら!

小澤征爾と立川談志

2010年12月17日 | クリスチャニティー
 日本のTV放送は、時間泥棒とも言うべき愚劣なものばかりだが、BSのドキュメンタリーだけはいい。こういったものをつくらせたら NHKはピカイチである。

 今、「BS Best of Best」という2時間もののスペシャル番組(再放送)をやっている。中でも際立っていたのが、小澤征爾と立川談志。お二人の共感性に対する認識の違いが実に面白かった。

 小澤さんはたとえクラッシックのクの字も知らない人でも、とにかく感動を与えることが大切だとするグローバルな『Product-Out』思考 。

 一方談志師匠は、いいものさえつくれば必ずお客はつく。それが分からないようなバカは放っておけという、徹底的な『Product-In』思考 。

 「芸術も対象がいてナンボの世界でしょ。いくらオレがスゴイ落語をやったって、ある人から見りゃ単なるオシャベリに過ぎないんだから。」

 と、笑うべきではないところで、笑っていた客にハラを立てていた立川談志。どっかの牧師みたいである。

 「趣味でやってるような村の楽団でも、人に感動を与えることがある。ボクらは技巧が逆に邪魔して、一番大事なことを忘れてしまうことがある。それってすごく危険なことだよね。」

 と、名匠ロストロポービッチと若い楽団員を連れて、日本中をアポなし無料のドサ周りコンサートをしていた小澤征爾。


 さて、日本の教会は結果的に『Product-Out』を装った『Product-In』である。何故なら、Open Public であるはずの教会が、随分と敷居が高いからである。他ならぬ牧師がそう感じるのだから、間違いはない。

 多くの日本の教会は、彼らのようなプロ意識とバランスに欠けている。結果、一般の人々からは見向きもされないということになる。言うは易し行うは難し…。気付いた者から実行あるのみである。


御言葉を宣べ伝えなさい。折が良くても悪くても励みなさい。とがめ、戒め、励ましなさい。忍耐強く、十分に教えるのです。(Ⅱテモテ4:2)



GNSのメインページはこちら!

屈んで見る

2010年12月11日 | クリスチャニティー
 サタンが牛耳っている国において、当然ながらアタシは招かざる客である。

 そこで偏見、偏狭、無理解の渦に巻き込まれ、伝統破壊者のように憎まれる。

 使徒や預言者たちの多くは、主の御心に殉じていたにも係わらず、志半ばで倒されてしまった。

 しかし彼らはそんな時でも、愚痴らず、苛立たず、罵らず、それどころか自分を迫害する者のために取り成しの祈りを捧げた。


 主から離れ、その距離が広がると、世の中の影響を受けて混乱してしまう。

 しかし、主との距離が近付くにつれて、この世に対する感化力が増してゆく。

 アタシたちが苛立ったり、焦ったり、苦しんだりするのは、主と離れているからである。

 ならば、アタシたちがすべきことは、とにもかくにも主の近くにいること。

 背伸びして塀の上から見るよりも、屈んで下から見た方が、全体はよく見えるのだ。


神の力強い御手の下で自分を低くしなさい。(Ⅰペテロ5:6)



GNSのメインページはこちら!




教会のセル化?

2010年12月09日 | クリスチャニティー
 教会のセル化が論議の対象となっているのは、全体からするとごくごく一部の教会である。

 しかし、セル(家の教会)が発展したものであるはずの教会をセル化しようと言うのも、考えて見ればおかしな話しで、それほど現代の教会は本末転倒になってしまっているのだ。

 結論から言うと、霊的にリバイバルしている教会はすべからくセルの共同体である。それはアメリカも日本も変わりはないはず。

 従って、住宅事情云々の前に、先ず、牧師と信徒の意識改革が起こらなければ何も始まらないのである。


毎日ひたすら心一つにして神殿に参り、家ごとに集まってパンを裂き、喜びと真心を持って一緒に食事をし、神を賛美していたので、民衆全体から好意を寄せられた。(使徒2:46-47)



☆Good News Stationのメインページはこちら!

日本の常識、聖書の非常識

2010年12月08日 | クリスチャニティー
 自分にとって当たり前のことが、全く当たり前じゃなかった事実に遭遇すると、人はさすがに動揺するものである。今日はそんな一つの現実に気が付いた。

 それは、日本の教会ではセルが出来ないと言うこと。その理由は、考えるまでもないことだった。

 例えば、ノンクリだったあなたの家族の一人がクリスチャンになった。さぁ、来月から家を開放したい!…と思ってもできないでしょ、他の家族の手前。日本では、人間関係にも住宅事情にもかなりの制限があるのだ。

 日本は、たとえ近所のコンビに行く時でもちゃんと化粧をして、着替えてから家を出るというお国柄。日本人が自宅に人を招くということは、全然ちょっとしたことでは出来ないのである。

 また、日本人は自治体などとの近所付き合いの関係上、自分の家から一番近い教会には、あえて行かない人が多いということも、今回の日本滞在で初めて知った事実だった。

 つまり、日本のクリスチャンは、制限だらけの環境下で、必死になって教会にしがみついて信仰を守り通そうとしている人か、所謂Sunday Christian か、そのどちらかのパターンの人が多いのだ。

 事実、多くの日本の教会は地域社会の管轄外にあり、ある意味中に浮いた存在なのである。

 ・・・ ・・・

 何だか、日本に到着したイエスズ会が本部に送った宣教報告のようになってしまった…。

 とにかく、思いもかけぬことで対処せねばならないことが山積みである。


私たちは、「主の御心が行われますように」と言って、口をつぐんだ。(使徒21:14)






☆Good News Stationのメインページはこちら!

Happy Birthday to Me!!

2010年11月28日 | クリスチャニティー
 もし、キミが生まれてこなかったら、何になっていただろう?

 サカナかな、カエルかな、

 でももっと悪ければ、君はいないヤツ… だったかも知れないんだ。

 いないヤツってつまらない。おもしろいことなんか何もない。

 いないヤツはただいない。だってそこにいないんだから。

 でも、キミはキミだよ。

 それってスゴクうれしいことだよね。

 今、キミはキミなんだ。

 それは、どんな本当のことより、本当のことなのさ。

 世界中の人の中で、キミよりキミっぽい人なんて誰もいない。

 大声で叫んでごらん。

 ボクがボクで良かった!
 
 バクでもワニでもなくて、

 ホウホウ鳴くミミズクでもなくって本当に良かった…。

 ボクはボクなんだ。

 こんなにスゴイことって他にないよね!!

 だから、自分に言ってあげようよ!

 Happy Birthday!

 Happy Birthday To Me !!!!

 (Dr. スース) 



☆Good News Stationのメインページはこちら!

どちらでもいいこと

2010年11月05日 | クリスチャニティー
 Good News Special!(礼拝記録)が遂にホボ毎のアクセス数を超えた。それはひとえに更新の誠実さによるものだが、ホボ毎を「フフ~ン」とか言いながら読んでるより、「そうなのかぁ・・・!!」と真面目に礼拝記録を読んでくれた方が、全然読んでる人のタメになるので、それは非常に好ましいことである。

 どこでどう検索にひっかかるのか分からないが、嬉しいことにノンクリの人たちも読んでくれているようだ。ただ、問題はコメントの内容である。ノンクリの人の場合、すべからくコメントの的が外れている。しかし、彼らは的が外れているからノンクリなのであって、彼らの的外れは当然なのだから、それはこの際問題ではない。

 困るのは、クリスチャンの的外れである。人は正に十人十色で、それぞれ強調したい点とか、拘りたい部分はあって良いと思う。ただ、問題はそのポイントである。哀しいかな、実に多くのクリスチャンが“どうでもいいこと”ばかり議論し合っている。

 教理的なことを言えば、三位一体の神、十字架と復活、信仰義認、再臨と裁き、御国到来。アタシにとって、それ以外のことはハッキリ言ってどちらだっていい。どうでもいい…と言うと御幣があるが、個人の好きにしたらいいのだ。

 例えば…、クリスマスはやらないとか、礼拝は土曜にするとか、洗礼はドボン!じゃないとダメだとか…。ただ、そういったことを、教会の教義に入れたり、自分たちと意見の違う人を差別したりするものだから話がヤヤコシクなるのである。

 いずれにせよ、アタシたちの敵はノンクリではない。彼らは日本で0.2%もいないクリスチャンを攻撃しようなどとは考えていない。と言うか最初から対象外。とにかく、アリンコの首領争いぢゃあるまいし、0.2%内で意味のない主張(派閥?)争いをするのはカンベンして欲しいものである。



☆Good News Stationのメインページはこちら!

共存共栄Ⅱ

2010年11月04日 | クリスチャニティー
 12月以降、Better Learning Centerで引き続き礼拝をしてくれることになった主の十字架教会。女性中心の小さな群れだが、霊的に開かれたら素晴らしい教会である。特筆すべきは讃美で、しかも全てがオリジナル。これはスゴイことである。日本のリバイバルには、讃美が大きな力となるからだ。ヒルソングもいいが、日本のリバイバルには、日本のゴスペルが必要不可欠。今月21日から合同礼拝を行なうので、先ずは讃美を聴きに来ていただきたい。



☆Good News Stationのメインページはこちら!


泥棒と人類

2010年10月26日 | クリスチャニティー
 南アフリカに駐在していた友人の体験談。

 ある日たまたま用事があって昼間家に帰ってみると、何だか人の気配がする。何だろうと思って自分の家の中にそぉ~と入ってみると、何と3人の泥棒が庭の中をうろついていた。

 彼が「こらー!!」と大声を上げた途端、2人は塀を越えて逃げて行ったが、1人は何を考えたか庭のプールの中に飛び込んだ。

 ところがそのペテロみたいな泥棒はカナズチだったらしく、暫くバタバタともがいていたが次第にプールの底に沈み出した。彼はさすがに憐れに思い、自らプールの中に飛び込んで泥棒をプールサイドまで引き上げてやった。

 しかしその泥棒は息を吹き返した途端、ポケットからナイフを取り出して、逃げていった仲間を大声で呼び出した。が、柔道の有段者だった彼に押さえつけられ、あっさりお縄に。彼曰く、こんなことは南アフリカでは日常茶飯事らしい。

 ったく、何て恩知らずな泥棒だ!と、誰もが思う。その泥棒は助けてもらったにも係わらず、全然悔い改めていなかった。救われたことに感謝して反省するどころか、助けられてもなお、愚かにも刃物で立ち向かっている。

 実はこれが全人類の偽らざる姿である。



☆エンジェル田中の辛口スルメコラムはこちら!



☆Good News Stationのメインページはこちら!