花まつりの法話は本校職員のNさんだった。人とのつながりを表す導入部から,聞かせる話だったが教職員用の放送は途中で切れてしまった。あとで彼に原稿を見せてくれるように頼んだが,いえいえとても,と謙遜して見せてくれない。かわりに渡してくれたのが,彼が引用した,15歳の少年の文章であった。
「元服」
僕は,今年三月,担任の先生に勧められて,B君と二人,ある高校を受験した。その高校は私立で,全国の優等生が集まってきている,いわゆる有名高校である。担任の先生が「君たち二人なら絶対大丈夫だと思う」と強く勧めてくれたのである。
ぼくらは得意であった。両親も喜んでくれた。先生や両親の期待を裏切ってはならないと僕は猛烈に勉強した。
ところが,その入試でB君は期待通りパスしたが,僕は落ちてしまった。
得意の絶頂から奈落の底へ落ちてしまったのだ。
何回かの実カテストでは,いつも僕が一番でB君がそれに続いていた。
それなのにその僕が落ちてB君が通ったのだ。
誰の顔も見たくないみじめな思い。父母が部屋に閉じこもっている僕のために,僕の好きなものを運んでくれても,やさしい言葉をかけてくれても,それがみんなよけいしやくにさわった。
何もかも叩き壊し,引きちぎってやりたい怒りに燃えながら,ふとんの上に横たわっているとき,母が入ってきた。
「B君が来て下さったよ」と言う。
僕は言った。「母さん,僕は誰の顛も見たくないんだ。特に世界中で一番見たくない顔があるんだ。世界中で一番いやな憎い顔があるんだ。誰の顔か言わなくたってわかっているだろう。帰ってもらっておくれ」
母は言った。「せっかく,わざわざ来て下さっているのに,母さんにはそんなこと言えないよ。あんた達の友達の関係って,そんなに薄情なものなの?ちょっと間違えば敵昧方になってしまうような薄っぺらいものなの? 母さんにはB君を追い返すなんてできないよ。いやならいやでソッポ向いていなさいよ。そしたら帰られるだろうから」と言って母は出ていった。
入試に落ちたこのみじめさを,僕を追い越したことのない者に見下される。
こんな屈辱ってあるだろうかと思うと,僕は気が狂いそうだった。
2階に上がってくる足音が聞こえる。ふとんをかぷって寝ているこんなみじめな姿なんか見せられるか。胸を張って見据えてやろうと思って,僕は起き上がった。
戸が開いた。中学の3年間,いつものくたぴれた服を着たB君,涙をいっぱいためたB君が,くしやくしやの顔でそこにいた。
「A君,僕だけが通ってしまってごめんねj
やっとそれだけ言ったかと思うと,両手で顔をおおい,駆け下りるようにして階段を下りていった。 僕は恥ずかしさでいっぱいになった。
思い上がっていた僕。いつもB君には負けないぞと,B君を見下していた僕。
この僕が合格して,B君が落ちていたとしたら,僕はB君を訪ねて「僕だけが通ってしまってごめんね」と泣いて慰めに行っただろうか。
「ざまあみろ」と,よけい思い上がったに違いない自分に気がつくと,こんな僕なんか落ちるのが当然だったと気がついた。
彼とは人間のできが違うと気がついた。もし通っていたら,どんなに恐ろしい,ひとりよがりの思い上がった人間になってしまったことだろう。
落ちるのが当然だった。いや落ちてよかった。本当の人間になるために,天が僕を落としてくれたんだと思うと,悲しいけれども,この悲しみを大切にして出直すぞと,決意みたいなものがわいてくるのを感じた。
僕は今まで思うようになることだけが幸福だと考えてきたが,B君のおかげで,思うようにならないことの方が,人生にとってもっと大事なことなんだということを知った。昔の人は15歳で元服したという,僕も入試に落ちたおかげで,元服できた気がする。
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