家で仕事をしていると、下手をすると一度も外出することなく一日が終わってしまうことがあるのである。
だから意識的に買いものに行ったり、散歩やジョギングしたり、人に会ったりするわけである。
しかし、当然ながら、買うべきものもなく、散歩やジョギングをしたくもなく、人に会う予定もない日だってあるわけである。
そういうわけでなかば自嘲気味に「昨日は一日一歩も外にでなかったんだよ。いかんよね」などと、人に会ったときにそういうセリフを口にしてしまうのである。
ひそかに「でも、新聞取るときに上半身だけ玄関扉の外側に体を出したよな」などと、罪悪感をごまかすために強引に自分を正当化してみたりもするのである。
しかし考えてみれば、一日一歩も外に出ない日というのも、悪くはないものである。
特に、今日みたいな雨の日には、家にいてのっそりしているのも悪くはない。こんな日にわざわざ外に出かけたくはない。ずぶ濡れになってまでジョギングをしたいとも思わないのである。
そもそも、外出したくない、と思えば外出しなくてもいい生活というのは、非常に贅沢なものである。
会社員であればそうはいかない。雨が降ろうが槍が降ろうが、晴れの日と同じように通勤しなくてはならないのである。自分もちょっと前まで会社員をしていて、こんな日にも傘をさして会社に向かっていたということが、信じられないのである。
そういう意味では、在宅で仕事をしている者は恵まれている。おそらく僕のような形態で仕事をしている人の多くは、「毎日通勤電車に揺られたくないし、毎日あの課長の顔も見たくないなあ」と思ったからこそ、在宅フリーランスという道を選んだに違いない。だから、「一日一歩も外出しませんでした」というのは、決して彼/彼女にとって不幸なことではないのである。仕事が忙しくて一歩も外にでれないこともあろう。むしろそれは、フリーで生きていることの勲章だと思えばいいのである。
ちなみになぜ雨が降ると憂鬱になるのかというと、それは人間が古来、雨降りのときに外出すると視界が悪くなって外敵に襲われやすくなったり、寒くて風邪を引いたり、すべって転んで怪我をしたりといろいろリスクが増えるために、自律神経の働きを調整して、じっと大人しくしているようになっているのだという説がある。これはサルを観察した結果などでも明らかになっているようだ。雨が降るとお猿さんたちは身を寄せ合って寒さを凌ぎ、じっと天気がよくなるのを待つのである。下手にエサを探しにでかけると、濡れた枝ですべって木から落ちるサルになってしまうし、周囲もよく見えないし音も聞こえないから藪から棒に突然ヘビだとかオオカミだとかが襲ってくるかもしれないし、寒くて風邪を引いてしまうかもしれないのである。
しかし敵もサル者、なかには雨だろうがアラレだろうが、ともかく拙者にはそんなことは関係ないのでござる、という強者のサルもたくさんいただろう。そんなサルの勇者たちは、心配する仲間たちをよそに、果敢に豪雨のなか出かけていき、そして帰らぬサルになってしまったわけである。
しばらく帰ってこない仲間が気になった若者サルは、救出のために群れから離れようとする。しかし年長サルたちは、こういうときに若者たちをひきとめるのである。「残念だが、あいつはもう生きてはおらんだろう。おそらく、探しても無駄だ。今でかければ、お前も同じような目に遭う。奴の猿まねはよせ。あきらめるんだ」血気盛んな若者サルは、泣く泣く諦める。賢明な読者諸兄はすでにお気づきかとは思うが、「サル者は追わず」ということわざは、ここから生まれたのである。
このオチを使いたかったがために、話が不要に長くなってしまったのである。
そして猿たちは雨の中、帰らぬサルとなった仲間を偲んで歌を唄った。大勢の猿たちの歌声は、海鳴りのように森中に響き渡ったのである。というのは、まったくの僕の妄想である(サルの時代の名残で、人間は雨降りに副交感神経が活発になり、憂鬱になるというのは本当である)。
シトシトと降る雨の音をききながら、こうして僕も一日一歩も外にでずに仕事をしているのである。雨が降ったらじっとしていることができる身分にある自分は、やはり現代に生きるサルに違いない。そんな僕の耳に、雨音は、たしかに猿の合唱のように聞こえなくもないのである。
だから意識的に買いものに行ったり、散歩やジョギングしたり、人に会ったりするわけである。
しかし、当然ながら、買うべきものもなく、散歩やジョギングをしたくもなく、人に会う予定もない日だってあるわけである。
そういうわけでなかば自嘲気味に「昨日は一日一歩も外にでなかったんだよ。いかんよね」などと、人に会ったときにそういうセリフを口にしてしまうのである。
ひそかに「でも、新聞取るときに上半身だけ玄関扉の外側に体を出したよな」などと、罪悪感をごまかすために強引に自分を正当化してみたりもするのである。
しかし考えてみれば、一日一歩も外に出ない日というのも、悪くはないものである。
特に、今日みたいな雨の日には、家にいてのっそりしているのも悪くはない。こんな日にわざわざ外に出かけたくはない。ずぶ濡れになってまでジョギングをしたいとも思わないのである。
そもそも、外出したくない、と思えば外出しなくてもいい生活というのは、非常に贅沢なものである。
会社員であればそうはいかない。雨が降ろうが槍が降ろうが、晴れの日と同じように通勤しなくてはならないのである。自分もちょっと前まで会社員をしていて、こんな日にも傘をさして会社に向かっていたということが、信じられないのである。
そういう意味では、在宅で仕事をしている者は恵まれている。おそらく僕のような形態で仕事をしている人の多くは、「毎日通勤電車に揺られたくないし、毎日あの課長の顔も見たくないなあ」と思ったからこそ、在宅フリーランスという道を選んだに違いない。だから、「一日一歩も外出しませんでした」というのは、決して彼/彼女にとって不幸なことではないのである。仕事が忙しくて一歩も外にでれないこともあろう。むしろそれは、フリーで生きていることの勲章だと思えばいいのである。
ちなみになぜ雨が降ると憂鬱になるのかというと、それは人間が古来、雨降りのときに外出すると視界が悪くなって外敵に襲われやすくなったり、寒くて風邪を引いたり、すべって転んで怪我をしたりといろいろリスクが増えるために、自律神経の働きを調整して、じっと大人しくしているようになっているのだという説がある。これはサルを観察した結果などでも明らかになっているようだ。雨が降るとお猿さんたちは身を寄せ合って寒さを凌ぎ、じっと天気がよくなるのを待つのである。下手にエサを探しにでかけると、濡れた枝ですべって木から落ちるサルになってしまうし、周囲もよく見えないし音も聞こえないから藪から棒に突然ヘビだとかオオカミだとかが襲ってくるかもしれないし、寒くて風邪を引いてしまうかもしれないのである。
しかし敵もサル者、なかには雨だろうがアラレだろうが、ともかく拙者にはそんなことは関係ないのでござる、という強者のサルもたくさんいただろう。そんなサルの勇者たちは、心配する仲間たちをよそに、果敢に豪雨のなか出かけていき、そして帰らぬサルになってしまったわけである。
しばらく帰ってこない仲間が気になった若者サルは、救出のために群れから離れようとする。しかし年長サルたちは、こういうときに若者たちをひきとめるのである。「残念だが、あいつはもう生きてはおらんだろう。おそらく、探しても無駄だ。今でかければ、お前も同じような目に遭う。奴の猿まねはよせ。あきらめるんだ」血気盛んな若者サルは、泣く泣く諦める。賢明な読者諸兄はすでにお気づきかとは思うが、「サル者は追わず」ということわざは、ここから生まれたのである。
このオチを使いたかったがために、話が不要に長くなってしまったのである。
そして猿たちは雨の中、帰らぬサルとなった仲間を偲んで歌を唄った。大勢の猿たちの歌声は、海鳴りのように森中に響き渡ったのである。というのは、まったくの僕の妄想である(サルの時代の名残で、人間は雨降りに副交感神経が活発になり、憂鬱になるというのは本当である)。
シトシトと降る雨の音をききながら、こうして僕も一日一歩も外にでずに仕事をしているのである。雨が降ったらじっとしていることができる身分にある自分は、やはり現代に生きるサルに違いない。そんな僕の耳に、雨音は、たしかに猿の合唱のように聞こえなくもないのである。
私は雨が降ると極端に憂鬱になります。すべての考えが後ろ向きになります。普通かな。
(^^;)
雨降りの日は仕事をすすめるチャンスでもありますよね。でもなんとなく身も心も重くて、なかなか捗らないんですよね~。これも自然の摂理なのでしょうか(^^)
先日のエッセイの見本みたいな結構の記事とは打って変った、シュールであやうい趣の文章ですね。
こういう神経的なサル話、わたし、大好きです。
このところ、文体的にも、テーマ的にも、意図的に実験されているのでは? などと妄想してしまいました。
タイトル、レイアウト、語尾の処理が、神経症的な内容と、うまく絡み合っていると感じました。
めちゃくちゃいろいろやってみてください。芸に磨きがかかると信じています。
文章も、「芸の道=芸道=ゲイ・サイエンス=悦ばしき知(痴)」ですよね。
コメントありがとうございます!
日常に変化がないためか、無意識にヘンな方向に走っているのかもしれません(^^)
書く前にはこんなものができあがるなんてまったく思っていなかったのですが、我ながら不気味な文章ですね...(^^)。一日中部屋のなかにいて雨の日のサルを想っていたら、いつのまにかサルガッソーの深みはまってしまっていたようです。
ゲイサイエンスといえば、昔懐かしい『GS』がありましたよね~。ポストモダニズム全盛時代の名雑誌でした!
意外とこのタイトルの方がインパクトがあって売れたりして...