「殺人列島」と化したこの日本、「人を見たら人殺し」と思わなければならないのか

2006年08月30日 18時05分09秒 | 社会
「本日の殺人事件」というワッペンが新聞紙面やテレビ番組に付けられても不思議ではなくなったような昨今である。ついに「母親暗殺事件」まで起きてしまった。山口県の高専では、女学生が同級生の男に絞殺されている。秋田県で起きた男児、女児殺人事件は、早くも記憶の彼方へ消えていきそうである。もっと恐ろしいのは、殺人事件の犯人が、時効を確認して名乗りを上げ、平然と暮らしている。
 日本列島で繰り広げられる地獄絵図は、おそらく当分続くと多くの人が憂慮しているはずである。
 一体、何が原因なのか? 思いつくままに考えてみた。
 ①昭和50年代からゲーム機で何万回も「バーチャル殺人」を犯した子どもが増え、その子どもが大人になり、ゲーム・ジュニアが生産され続けている。
 ②ゲーム機の普及により、「現実世界」と「バーチャル世界」との区別が曖昧になってきている人が増えている。
 ③虚々実々、生死の区別がつきにくくなっており、死んでも(殺しても)、リセットできると信じ込んでいる人が多くなっている。 ④教育基本法に「倫理規範」を教える記述がない。一方、「倫理規範」を記述した教育勅語を忌避し、その序に、「人倫」を軽視する結果を招いている。
 ⑤崩壊した家庭が増えている。離婚家庭において「家庭内倫理規範」が弛緩している。
 ⑥国家指導層のモラルの低下と「ウソつき政治家」の増加。
 ⑦「カラスの勝手族」の増加。
 などなど、これだけではない。まだまだ数え切れないほどであるだろう。
 とくに「①~③」は、「任天堂」「マイクロソフト社」「ソニー」などのメーカーの罪は大きい。「殺し」ではなく、「生かすゲーム・ソフト」が求められる。(ただし、売れないだろうが)それにしても、恐ろしい世の中になったものである。
 果して、「明日の殺人事件」は? お互い被害者(死体)にされないことを願うばかりである。

 *参考:「爾臣民、父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ、朋友相信シ、恭倹己レヲ持シ、博愛衆ニ及ホシ、学ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓発シ、徳器ヲ成就シ、進テ公益ヲ廣メ、世務ヲ開キ、常ニ國憲ヲ重シ、國法ニ遵ヒ、一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」「教育勅語」より

 追記:JOCが「オリンピック開催地」の候補地として「東京」を選んだのは、めでたい。これで2007年4月の東京都知事選挙は、石原慎太郎都知事の「3選」は確実となった。福岡市の山崎広太郎市長は、「敗北の責任」を今井大容疑者が行った飲酒運転による「3人の子ども殺人事件」にせいにすることができる。

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