飲食店の浮き沈みは、いつの時代も激しい。ある夫婦が頑張って1千万近いお金を貯めて店を持ったのは良いが、特に東京などでは、相当流行っていても家賃が高いから続かない。若いうちは無茶苦茶働けるからは良いが、土台身体が持たない。だからいつの間にやら看板が変わっている。変わらないのは家主の左団扇(ひだりうちわ)だけ。
陶芸だって同様で、いつつぶれるか分かったもんじゃない。先日も名古屋のお客さんが「やっていけるんですか」と心配してくれた。
「ここでもう30年やってますからねえ。うちはまあ、ぼちぼちですよ。美濃は瀬戸物の産地ですが、窯元や工場は随分と閉鎖しているようですね」
そう言えば、江戸時代の「瀬戸物」と言えば、「焼き物」を指していたほど窯業が盛んだった。当時の九州唐津でも、一般家庭の焼き物は瀬戸物だった、という本当だか嘘だか分からない話がある。近くに唐津・鍋島・有田・伊万里など産地があるんだから不思議な話だが、庶民には安価な瀬戸物しか買えなかったんだろうか。
ウメバチソウ(梅鉢草)