一韶の俳句ブログ

俳句を詠うのは自然・私・家族・夢や希望・社会など。読む時はどんな解釈が浮かぶか読み手の経験や生活によって様々

1049  まんじゅうの数だけお臍無月なり  敏子

2013年10月06日 | 

(まんじゅうの かずだけおへそ むげつなり)

   「三国志」に諸葛孔明が、川の氾濫を鎮めるために人身御供(ひとみごくう)に生きた人間の首を切り落として川に沈めるというそれまでの風習を止めて、小麦粉を練った皮に、羊や豚の肉を詰めて沢山の「万頭」を投げ込んだところ、川の氾濫が収まったという記述がある。従って、神をだまして本物の頭と信じ込ませることから、当時は「万頭」ではなく「瞞頭」と書いたそうである。

 だからこんなことを知ってしまうと、私達が「万頭」を食べるということは、人間の頭を食べていることにもなる。

 そこでこの句、作者は頭に臍があるというが、本来は臍ではなく旋毛(つむじ)が正しいのだろうが、勿論臍でも構わない。

  現在の中国では饅頭(マントウ)と呼ぶそうだが、日本では「中華饅頭」、「肉まん」・「餡まん」などがその流れで、「万十」「曼頭」などと書くこともあり、中に入れる具は様々。

カラスウリ(烏瓜)

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