函館 Glass Life

函館市田家町で眼鏡店「サポートGlass」を営む店主の趣味と感じたことの
日記です。

龍馬伝、山の祟りかも知れません??

2010-09-20 | 歴史
お龍と一緒に女人禁制の山に登るは、山頂の天逆鉾は抜き取る
はとやり放題
まだ完治していない状態で逆鉾を抜く事など出来る筈がありま
せん
かなりオーバーな演出でしたね。
もしかして龍馬が暗殺されたのはこの山の祟りかも知れません

ところで
いよいよ動き出した後藤象二郎。
ドラマでは下士いじめをしている上士として描かれているよう
ですが、実際はかなり違った人物像だと僕は思っています。

資金に詰まった亀山社中に手を差し伸べ龍馬に海援隊、中岡慎
太郎に陸援隊を組織させ軍事と金を握り土佐藩を幕末の主役に
しようとしたのです
後に薩土同盟として実を結んだのもつかの間、結局幕末の主導
権を握る事は出来ませんでしたね

象二郎は身内の吉田東洋が主宰していた鶴田塾で岩崎弥太郎や
自由民権運動で有名な板垣退助と共に勉学に励んでいたようで

三人は竹馬の友だった訳です
その関係から弥太郎を重用したのかも知れません。
ドラマでは弥太郎をいいように使いまわしていますが、実際は
早くから弥太郎の才を見抜き重用していたのです

象二郎は明治に入ってからも板垣退助と共に自由党結成に身を
投じたりしていますから、この三人の繋がりは維新後も続いて
いたのでしょうね

象二郎は時代の流れを読む能力には抜群のものがあったといい
ます
実質的な藩主である容堂候と似ていますね

攘夷だとか佐幕だとかに象二郎は固執しません。
新しい物や考え方を受け入れる柔軟性があったのです。
そういう柔軟性があったからこそ生まれも経歴も正反対の龍馬
でも受け入れる事が出来たのでしょうか

そんな象二郎ですが、金銭感覚だけは全く疎かったそうです。
だからこそ弥太郎の存在が必要だったともいえますね??
そう云う意味でも人を見る目だけは確かだったようです

面白い逸話が残っています。
老若男女を問わず人気のブランドルイ・ヴィトン
日本人で最初にヴィトンの鞄を勝ったのが象二郎なのです
パリはシャンゼリゼのヴィトンの店で旅行鞄を買ったという記
録が残っているそうです
まさか同姓同名の後藤象二郎ではないでしょうね??





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