函館 Glass Life

函館市田家町で眼鏡店「サポートGlass」を営む店主の趣味と感じたことの
日記です。

軍師官兵衛、一向二裏の戦略!!

2014-07-21 | 歴史

羽柴と毛利の軍師二人で国を動かそうする新説、中々面白かったですね

有り得ない話だとは思いますが、その後、安国寺恵瓊が秀吉に取り立てら

れ栄達するのですから満更否定も出来ませんね

 

毛利は本当に清水宗治を救援しようと思っていたのでしょうか??

僕にはどうもそうとは思えません。

備中高松城から20kも離れた猿掛城に毛利輝元が着陣したのが2か月後、

小早川隆景はさらに1ヶ月後に高松城を見下ろす日差山に着陣したと言わ

れています

水に浮かんだ高松城を見て知将・隆景も為す術がなかったと言われていま

すが、果たして本当にそうだったのでしょうか??

毛利家にとって生命線である高松城を死守するにしてはあまりにも遅すぎま

もし高松城を本気で救援するのであれば少なくとも信長が到着する前でなけ

れば勝算がありません。

諜報戦を得意とした毛利家、今の状態で織田家と戦っても勝てない事くらい

おそらく分かっていた筈です。

滅亡するより生きる道を探す

高松城を見捨てたのは苦肉の策だったとも言えますね。

対外的には戦う姿勢を見せ、その裏で講和交渉を狙った一向二裏の戦略だっ

たのだと僕は思っています。

 

殆どの戦国大名はトップダウンで方針を決定し行動していた筈です。

呑気に会議ばかりしている間に敵に攻め込まれてしまいます。

しかし、毛利家は少し違う様ですね。

天下を狙うなと言う毛利元就の遺言もあったでしょうが、有力大名の中で唯一、

毛利家だけが天下を狙わなかった大名だとも言えます

国主は隆元ですが、隆景をはじめとする合議制で国を動かしてきた毛利家なら

では…

関ヶ原では西軍に組し大幅に領地を削られますが、結局幕末まで続き明治維新

の礎となるのですから隆元等がとった一向二裏の戦略が長~い目で見ると間違

っていなかった証ですね

 

 

 

コメント
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