函館 Glass Life

函館市田家町で眼鏡店「サポートGlass」を営む店主の趣味と感じたことの
日記です。

摂関家の真似をした清盛!!

2012-07-31 | 歴史

弟の後白河上皇には足蹴にされ、そのうえ実の息子・重仁の死を聞かされた崇徳上皇、

その悪鬼となった姿は迫力ありましたね

平家納経のお蔭で崇徳院の怒りが静まったと言いたいのでしょうが、少しこじつけが過ぎ

る感じもします

菅原道真も大宰府に左遷され悪霊となり災いを引き起こしたと言われていますが、保元の

乱の後、崇徳上皇が流刑になったと知った人々は崇徳上皇の霊も悪霊になったと考えた

ようです


流された崇徳上皇は舌を食い切った血で「日本一の魔王となってみせる」と呪いの文を書

いたとか、生きたまま天狗の姿になって祟りを起こしたとか、怨霊としての崇徳上皇の姿が

エスカレートしていったようです

後白河上皇の周辺の人々が相次いで亡くなったり、後白河上皇を幽閉するクーデターを清

盛がおこした事など全てを怨霊のせいにしたのでしょうね

 

写経自体は、平氏が始めた事ではなく、法華経を書写するというのは主に藤原氏が行ってき

たことです

平家納経の豪華絢爛さは目を見張るものがありますが、元を糺せば摂関家の真似をしただけ

とも言えます

武士と言うよりは公家としての平家、清盛の姿が見えますね。

権力者が摂関家から平家に替わっただけで朝廷そのものは全く変わっていないのです。

新しい政治体制を作るところまでは清盛でも出来なかったのでしょうか

 

頂点に上り詰めた人ほど怖さを感じると言います

それを維持する事の難しさ、言葉に表せない恐怖、頂点を極めた人にしか分からないものなの

しょうね??

何かに救いを求めたくなる気持ちも分かるような気もします

平家納経を奉納した清盛の思いもそんなところにあったのではと僕は思っています。

ところで

前から気になっていたのですが、平家納経は何故厳島神社に奉納されたのでしょうか??

現代の感覚だと神社ではなくお寺に奉納するのが当たり前のような気がします。

やはり当時の神社と寺はかなり近い存在だったのでしょうね。

厳島神社の神は、観世音菩薩が仮の姿として現われたとされています。

観世音菩薩は三十三の姿に化身して人々を助けると言われているとても有り難い神様です

平家納経が三十三巻になったのもこのような故事からなのでしょうね??

来週からは第三部、平家の衰退と頼朝による初めての武士政権の誕生と興味は尽きません

が、その争いの陰で生き延びた平時忠、平忠盛の実子でありながら頼朝に庇護された平頼盛、

個人的にはこの二人の生き方に興味をおぼえます。

三部では、この二人の生き様も少しは描いて欲しいと思っている僕なのです

 

 

 

 

 

コメント (3)
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