函館 Glass Life

函館市田家町で眼鏡店「サポートGlass」を営む店主の趣味と感じたことの
日記です。

国を滅ぼす攘夷!!

2008-09-22 | 歴史
朝廷の権威が高まれば高まるほど幕府の権威は
必墜するのです
御所の警固を任された薩摩ですが江戸へ行って
いる隙に京を攘夷一辺倒の長州に乗っ取られた
様ですね
一部の公家と結び攘夷を旗印に京都でのさばる
長州。
いち早く攘夷派は無理だと悟った薩摩。
一触即発状態ですね
もはや戦いを避ける事は出来ない様です

それにしても生麦事件の影響は大き過ぎました

天璋院までが薩摩が攘夷をしたと思うのですから…
和宮の側近までもが薩摩を絶賛、大奥中が薩摩が
攘夷決行をしたと大騒ぎでしたね

京都は攘夷一辺倒の長州による、天誅の嵐が…
親幕府の岩倉具視らも長州派によって幽閉されて
しまうのです
京に到着した久光もなす術がありません
長州への恨みを胸に薩摩へ帰る事に…

思うに、この時期までは長州よりは薩摩の方が一
歩も二歩も進んだ考え方を持っていた様です
攘夷が実現不可能だと云う事を薩摩の上層部だけ
は間違いなく確信していた筈です

調子に乗った京都(朝廷)では、江戸へまたしても
攘夷実行の勅使を派遣
今度は薩摩ではなく長州主導での勅使を…
国の一大事だと云うのに相変わらずの権力闘争
井の中の蛙状態の公家達には緊張感が全く無い様
です。
時代の変化に付いて行けない輩が多すぎますね

朝廷からの勅使と対面する家茂。
『攘夷は国を滅ぼすだけだと帝に奏上する為』に
京へ行く決断をします
実際にはご機嫌取りをしただけで攘夷不可能は伝
えず曖昧にしてきた様です

ところで
小松帯刀が家老になりましたね。
帯刀の父の一言『薩摩の息子じゃー』
全くその通り!!
と、言いたいところですが
出来れば、薩摩の息子ではなく日本の息子と云っ
てほしかったのです
坂本竜馬も西郷も小松帯刀無くして語れないとこ
ろがあるのです
彼等の陰でバックアップしていた帯刀、明治の礎
を作った一人に間違いはありません。
帯刀なくして西郷も竜馬もあれ程の活躍は出来な
かったと僕は確信しているのです


その坂本竜馬、ついに登場
『場合によったらあんたを切らしてもらう。』
意気込んで勝海舟邸に乗り込む竜馬。
勝海舟の大きさにすっかり飲み込まれてしまいま
したね。
ウイスキーにも飲まれたみたいですが
まさか、幕府の役人が開国を主張するとは思わな
かったでしょうね
『海しかないのに何故海軍がないのだ?』
現代では常識ですが300年も鎖国していたのです。
勝から聞いた竜馬はカルチャーショック状態だっ
たのかも知れません
迷わず勝に弟子入りしてしまいましたね

来週はいよいよ薩英戦争の様です
当時の日本に攘夷が意味の無い思想だと知らしめ
た事件と云っても過言ではありません。
しかし決して薩摩が一方的に負けた訳ではないの
です
英国側もかなりの犠牲を払ったのです。
薩英戦争は近代日本にとって最初の外国との戦争
だったのです



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コメント
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