函館 Glass Life

函館市田家町で眼鏡店「サポートGlass」を営む店主の趣味と感じたことの
日記です。

二人の父!!

2008-04-07 | 歴史
いよいよ篤姫の未来の旦那様・徳川家祥が将軍宣下
を受けて13代将軍・徳川家定になりましたね
幕末の混乱期にこの様な人物を新将軍にするとは神
様も罪な事をするものです

急に江戸から呼び出された斉彬ですが江戸に出発す
る前に忠剛をお見舞いに行くのです
おそらく、忠剛の病状がすぐれないのは分かってい
たのでしょう。
死を覚悟している忠剛、斉彬に自分が亡くなっても
篤姫に知らせないで欲しいと哀願するのです
実の父の愛情なのです
忠剛と約束をしていながら篤姫にその事を包み隠さ
ず伝えた養父・斉彬。
これまた、養父としての篤姫に対して愛情なのです
篤姫は思いやりのある父を二人も持つ事が出来たの
ですから幸せな姫ですよね

一方江戸では、鎖国を継続し攘夷を唱え続ける水戸
斉昭ですが、間隙をついて井伊直弼らに日米和親条
約を結ばれてしまいます

遂に登場した井伊直弼。
井伊家の14男に生まれたのに家督を継ぐ事になるの
ですから幸運といえば幸運な人生なのです。
途中までは…
部屋住が長かった直弼ですが、そのお陰で文武百巻
を会得したのですから何が幸いするかわかりません。
特に茶道はかなりの腕前だったらしいのです
茶道から出た、一期一会と云う言葉も直弼が広めた
とか??

なまじ大老にまでならなければ、井伊家35万石の当
主として生き長らえたかも知れません。
人の人生とは本当に分からないものですね

直弼は藩主になり数年ほど藩政に専念します。
名君の誉れが高かったと云いますから政治手腕もか
なりのものがあったのでしょうね。
その後、有力藩主として幕政へと深く関わってゆくこ
とになるのです。
直弼が幕政の表舞台に登場するのは、ペリーが二度目
に来航した時なのです
幕政に深く関与していた溜間詰(たまりのまづめ)大
名という有力藩主の集まりがありました。
その溜間詰大名の筆頭が直弼だったのです。
ペリー来航した時、いち早く直弼は鎖国の解除を主張
する訳です
直弼達の開国の主張の前に立ちはだかる人物が海防参
与として幕政に参加していた前水戸藩主・徳川斉昭な
のです。
斉昭は尊王攘夷を振りかざし、直弼と真っ向から対立
するのですが…
結局、日米和親条約は締結されるのですが、直弼と斉
昭はこの後も事あるごとに対立します
将軍継嗣問題と日米和親条約に続く日米修好通称条約
の調印問題でも全く意見が合いません。
将軍継嗣問題では直弼は徳川慶福、斉昭は実子の一橋
慶喜を推すことになるのです。
条約調印で直弼は反対派を抑える為に朝廷から勅許を
得て、強引に調印に漕ぎ着けようとするのですが結局
勅許が下る前に条約調印をしてしまいます
この強引さの陰で老中筆頭の堀田が辞任する事になる
のですが…

直弼は鎖国という仕組みが時代に合わないと云う事を
知っていた数少ない政治家の一人だったのです。
300年も続いた日本の国是である鎖国の解除を主張する
のは当時としては並大抵の事ではないのです。
もし、鎖国を続け攘夷で国がまとまれば間違いなく列
強の餌食となり植民地になっていたでしょうね
そう云う意味でも直弼達の開国の考え方は間違ってい
なかったと僕は思っています。
少し急進的な感は否めませんが
直弼も又、時代が求めた政治家だったのでしょうね

コメント (2)
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