石造美術紀行

石造美術の探訪記

各部の名称などについて(その3)

2008-10-20 23:16:39 | うんちく・小ネタ

各部の名称などについて(その3)

次に石造宝塔です。宝塔(ほうとう)という言葉自体は塔婆(とうば)類全般を指す美称として用いられることもありますが、ここでいう宝塔というのは単層の多宝塔(たほうとう)のことです。10_2下から基礎、塔身(とうしん)、笠(かさ)、相輪(そうりん)で構成され、五輪塔に比べるとやや複雑に見えますが空風輪の代わりに相輪になっているだけでその基本構成は同様です。稀に相輪ではなく請花(うけばな)と宝珠(ほうじゅ)を載せていることもあるようです。08基礎は四角く、上面は平らで、側面には輪郭や格狭間などで装飾されることがあります。上面に塔身受を設ける例がありますが数は少ないようです。基礎の下には基壇や台座を設ける場合もあります。塔身は平面円形の円筒形や宝瓶形で、基本的に首部(しゅぶ)と軸部(じくぶ)からなり、首部の下に匂欄(こうらん)部を設けたり、軸部の上に縁板(えんいた)(框座(かまちざ))を設けることもあります。軸部には法華経の見宝塔品(けんほうとうぼん)にある多宝如来と釈迦如来の二仏並座像を表現する場合のほかに、種子を薬研彫したり単独の如来坐像を刻むことがあります。また、扉型(とびらがた)や鳥居型(とりいがた)を突帯で表現する例も少なくありません。円筒形の軸部の上端が曲面になっている場合は饅頭型(まんじゅうがた)ないし亀腹(きふく)を表現したものと考えてよいと思われます。屋根にあたる笠は普通、平面四角形で、底面にあたる笠裏に垂木型(たるきがた)や斗拱型(ときょうがた)を表現する段形を設ける例が多くみられます。垂木型と斗拱型の違いは厚みと位置で判断します。軒口に近い位置に薄く段形がある場合は垂木型、首部に近い位置に厚めに表現される場合は斗拱型となります。両方を組み合わせる場合もあればどちらなのか判断できない場合もあります。また、斗拱型は別石で表現される場合がありますが、垂木型は別石にすることはほとんどありません。笠の四注(しちゅう)には3筋の突帯で隅降棟(すみくだりむね)を刻みだし、その先に鬼板(おにいた)や稚児棟(ちごむね)まで表現する場合があります。Photo残欠になっている場合、層塔の最上層の笠とは四注の隅降棟の突帯表現の有無で見分けることができます。また、ごく稀に瓦棒(かわらぼう)や垂木(たるき)を一本一本表現した例があります。笠頂部には露盤(ろばん)を表現した方形段を設けている場合が多いようで、これは層塔の最上層の笠と共通しています。笠上には層塔や宝篋印塔と同じように相輪を載せています。相輪は下から伏鉢(ふくばち)、請花(下)、九輪(くりん)、請花(上)、宝珠の各部位で構成され、ほとんどの場合は一石で彫成された細長い棒状になっていて、下端に枘(ほぞ)があって笠頂部の露盤に穿たれた枘穴(ほぞあな)に挿し込むようになっています。相輪の本格的なものは九輪の上に水煙(すいえん)を設け、上の請花の代わりに竜車(りゅうしゃ)を配しますが、層塔の相輪に多く宝塔や宝篋印塔では非常に稀です。相輪は細く長いため、どうしても途中で折れて先端が亡失することが多いようです。垂木、匂欄、露盤などというのは、建築用語から来ています。石造宝塔の直接の祖形が木造建築等にあるのかどうかはわかりませんが、石造に取り入れられた意匠表現には、木造建築物や工芸品類を手本にしているか、少なくとも意識はしていると考えられる部分が多く見られます。09中世前期に遡るような古い木造建築の宝塔で、石造宝塔と同じ形をした単層のものは残念ながら1基も現存していませんが古い絵図や記録を見る限り確かに存在したようです。雨を基礎に近い部分に受けやすく、腐食が進みやすい構造上の欠陥が原因ともいわれていますが、残っていない本当の理由はよくわかっていません。裳腰(もこし)付きの宝塔である多宝塔(たほうとう)の木造建築はたくさんありますし密教系の仏壇には組物などの複雑な建築構造を表した金属製などの工芸品としての宝塔が多く見られることからも、木造建築や工芸品の意匠表現を石造に導入したと類推をすることは可能です。もっとも石で木造建築の複雑な構造を詳細に表現することには限界があるので、直線的にデフォルメされ、単なる段形や框座になっています。少なくとも逆に石造宝塔をモデルにして後から木造の宝塔や金属工芸の宝塔が創作されたとは考えにくいと思います。そういえば工芸品は除くと、五輪塔や宝篋印塔の木造建築という例はないようです。一方で裳腰付きの宝塔である多宝塔と層塔は、木造建築の方が本格的で、石塔はどちらかというと代替的な感じがします。逆に石造が本格である五輪塔・宝篋印塔とはこの点で一線を画すると考えることが可能です。そして石造の層塔や宝塔は五輪塔や宝篋印塔よりも成立が遡るという点も甚だ興味深いものがあります。脱線しましたが、石造宝塔を考える場合は、五輪塔や宝篋印塔に比べると古建築に関する情報を押さえておくべき度合いが高いということを申し上げておきたかったわけです。なお、宝塔の教義的な裏づけは法華経の見宝塔品にあることが定説化しており、法華経を重んじる天台系の所産と考えられています。比叡山のお膝元である滋賀や京都に石造宝塔が多いこともその証左になっています。しかし見宝塔品には多宝如来のいる宝塔の塔形についての具体的な言及はされていないようです。また、真言宗でも瑜枷塔(ゆがとう)をはじめ同様の塔形を見ることができます。有名な奈良長谷寺の銅版法華説相図(奈良時代前期)に描かれた多宝・釈迦二仏が並座する塔は平面四角の三層構造で、ここでいう宝塔の形状とは似ても似つかないものです。宝塔の塔形が固まってくるのは平安時代の初めに密教が唐から導入されて以降とされており、石造・木造に限らずですが宝塔の形状のルーツについてはまだまだ謎が多いとするしかないようです。(続く)

写真左上:守山市懸所宝塔(14世紀初め頃、近江でも指折りの巨塔で最も手の込んだ意匠表現を見ることができます)写真右:相輪(これは宝篋印塔ものですが宝塔でも同じです)


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