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石造美術紀行

石造美術の探訪記

京都府 綴喜郡宇治田原町南字中畑 田原南宝篋印塔(わらじの神様)

2008-10-23 22:55:20 | 京都府

京都府 綴喜郡宇治田原町南字中畑 田原南宝篋印塔(わらじの神様)

宇治田原町役場の南方約1km、南区の小字中畑、旧切林村の公民館北の三叉路を東に入02った目立たない場所にある。北に延びる尾根の東斜面に位置する。地元では「わらじの神様」と呼ばれており、和束町方面へ抜ける古い街道の脇、ちょうど坂道にさしかかる手前の右手にある。昔、街道を往く人がここでわらじの紐を締め直したともいわれているとのこと。また、足の怪我や病気を治す霊験があるとされ、お参りする人が多いようで、西側にコンクリートの階段と簡単な拝屋が設けられ、香華が絶えない様子である。03元位置を保っているか否かはわからないが、現状では基壇や台座は見られず、直接基礎を地面に据えている。花崗岩製。相輪先端の宝珠を亡失し上の請花までの高さ約162cm、元は6尺塔であろうか。宝珠を欠く以外各部揃った立派な宝篋印塔である。現在は宝珠の代わりに小さい五輪塔の空風輪が載せてある。基礎は幅約55cm、側面高約28cmと低く安定感がある。上2段式で側面各面とも輪郭を設けて内に格狭間を配する。格狭間内は素面。格狭間は肩があまり下がらず側線のカーブはスムーズで概ね整った形状を示す。塔身は幅約27cm、高さ約28cm、金剛界四仏の種子を月輪内に薬研彫する。種子のタッチは端整ながら雄渾というほどではない。笠は上6段下2段で軒幅約50cm、高さ約38cm。軒口は薄めで、どちらかというと大ぶりな隅飾は軒から少し入って立ち上がり、少し外傾する二弧素面で、輪郭は見られない。相輪は現存高約56cm、伏鉢がやや小さく、下の請花の蓮弁は今ひとつはっきりしないが単弁のように見える。九輪の逓減は目立たず、各輪は太くはっきりしているが彫りの深さはそれほどでもない。上請花は単弁。先端の宝珠が惜しくも欠損している。際立った特徴はないもののよくまとまった出来映えを示し、各部の意匠や彫成も抜かりなくいきとどいているが、全体的にやや力強さに欠け温雅な印象を受ける。種子に少し弱さが出ていることなどから、14世紀前半頃、概ね鎌倉時代末期頃の造立とみて大過ないものと思われる。やや表面の風化があるが各部ほぼ揃って遺存状態概ね良好。町指定文化財の看板が傍らに立っている。

参考:川勝政太郎 「京都の石造美術」 129ページ

川勝博士の「京都の石造美術」に、鎌倉時代の宝篋印塔として、「田原南塔、俗称「わらじの神様」」とだけ出ています。他に詳しく紹介された記事等を知らず、南は広い大字なので数年来探しあぐね、ずっと気になる存在でした。車の通れる道路から徒歩で小道を少し進んだ尾根裾のほの暗い山陰の竹薮にありました。道で会った通りがかりの地元のおばあさんに思い切って尋ねたところ、道路からは判りにくいかもしれないから道案内をしてあげようと、わざわざ同道してもらって教えていただきました。とぼとぼと乳母車(高齢者向けのカートとでもいうのでしょうか、詳しくないのでとりあえずこの表現にしておきます)を引いて農作業のお帰りだったのでしょうか、かなりのご高齢で、乳母車を道路に停めてからは、杖がないと足元がおぼつかないとのことなので、手を引かせてもらいいっしょに小道を歩きながら、塔が少し傾いているのをまっすぐに直すと障りがあるといわれていることや、地元での信仰が厚いことなどのお話をうかがいました。このようにしてようやく巡り逢えた「わらじの神様」、感激は一入、かのおばあさんのご親切に感謝したいと思います。法量値は例によってコンベクスによる現地略測値ですので多少の誤差はご容赦ください、ハイ。


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