田舎者ですが(^◇^)

会津の四季やローカルな話題、日常の出来事などを不定期ながら少しずつ綴っていきます。

会津若松市における直江兼続ゆかりの地

2009-07-15 09:59:11 | 歴史探訪

NHKの大河ドラマ「天地人」をご覧になっていらっしゃる方は、越後の上杉謙信の養子景勝が家督相続争いに勝利して上杉家を継いだ人物だという事はよく存知だと思います。
上杉景勝は慶長2年(1597)に豊臣秀吉の五大老の一人となり、翌年には120万石の領主として会津入りしました。
「天地人」の主人公である直江兼続はこの当時は景勝の重臣の一人でしたが、景勝から6万石を与えられて米沢城主となりました。
執政(家老)の立場にあった兼続は米沢と若松の間を頻繁に行き来していました。
現在の会津若松市にはこの直江兼続ゆかりの地とされている場所がいくつかあって、今年は「天地人」ブームにあやかり会津観光の目玉としてクローズアップされています。
★神指城(こうざしじょう)跡
慶長5年(1600)会津領主上杉景勝は直江兼続に新しい城神指城の築城を命じました。
当時はすでに鶴ヶ城という立派な城があったのですが、山に近く城も町全体もこれ以上大きくすることは不可能であったために、平坦な場所での守りを重視した新しい城と、それを中心にしたより大きな城下町を作る必要があったのでしょう。
完成すれば鶴ヶ城より規模が大きい城(面積は鶴ヶ城の約2倍)になるはずでしたが、工事の途中で徳川軍が攻めて来たために中止になったまま未完に終わり、幻の城となってしまいました。
神指城跡は会津若松市神指町高瀬地内にあり、現在残っているのは本丸と二之丸の四角い形の土塁のみですが、その一角にある「高瀬の大木(けやき)」は国指定天然記念物となっています。
★直江兼続屋敷跡
若松における直江兼続の屋敷は鶴ヶ城にほど近く、建坪は1万2千㎡という広大なものだったらしいとのことです。
現在の会津若松市山鹿町地内で、その辺りには「山鹿素行誕生の地」の碑が建立されています。
山鹿素行は武士道の精神を確立した人として有名で、31歳の時に赤穂藩に仕え山鹿流兵学を完成させて赤穂四十七士の生みの親とも呼ばれています。
兼続がこの地にあった屋敷に住まいしていた時期は、その素行が誕生する何十年も前のことでした。
★愛宕神社
当時の愛宕神社は直江兼続の屋敷から300mほどの距離の場所にありました。
兼続はこの神社の武運の神様である大権現を信仰しており、度々参拝に訪れていたとのことでした。
一説によると、兼続の兜の前立てに使われている「愛」の文字はこの神社の名に由来しているのではないかといわれているそうです。
愛宕神社は寛永10年(1633)に飯盛山に近い場所に移されていますが、現在の会津若松市東山町慶山地内です。

ちなみに僕の勤務先からだと徒歩15分位で行けます(^◇^)
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※参考にしたHP及びブログ
会津若松市ー「会津と直江兼続」
石田明夫の「会津の歴史」

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コメント (14)
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