地球散歩♪

いもとなおこのBLOG

モザンビークの楽園編。

ジェノサイド週間

2006年04月15日 | rwanda
4月7日の記念日を出張によって逃してしまったぁぁぁと思っていたら

何のことはない

1週間は「記念週間」で

ダラダラと「喪」に服していました


その間 ギソジ記念館ではほぼ毎日何らかのセレモニーが開かれていたし
テレビ、新聞はジェノサイドのことばかり

そして驚くべきことに
スポーツ禁止
ジムもプールもゴルフ場も閉鎖
ラジオはジェノサイドに関する歌以外禁止
レストランも音楽なし


ルワンダは独裁である

どうも押し付けられている気がして仕方ない

自由や個性がない感じ

日本以上に 右向け右で
自分勝手は許されないの


せっかくなので友人に連れられ
ギソジ記念館の式典に参列してみました

誰でもウェルカムなので
政府要人から孤児から未亡人も沢山来ていました

何人かが「94年のあの日にこーなってこーなって生き延びた」
みたいな話をしていた
と思う

実際 キニヤルワンダ語で何を言っているかさっぱりわからず
2列目に座らされたにも関わらず
得意の居眠りをしてしまいました

でもルワンダ人も結構寝ていました


でも居眠りしていても
現実は辛い日々なのよね

孤児8人兄弟で 両親が殺され
一番上の18歳の子が 下の7人の面倒を見なくてはいけない子の話が新聞に載っていました
当然学校もあきらめ
仕事もバナナ売り 大した収入のわけがない
その下の兄弟たちは 物乞いをしたり

それでも物乞いには私はお金をあげない
たった20円もあげない
だってその子達がずっとそこにいてもいいと認めてしまうことになるもの

でもそこに立たなければ
他に食べていく術はないのよね

結局 何もしてあげられていないのかと思う毎日
もう8ヶ月が過ぎてしまいますー