地球散歩♪

いもとなおこのBLOG

モザンビークの楽園編。

価値観とダイバーシティ

2018年11月04日 | greece

国連という組織は色んな価値観の人間が世界中から集まっていて、

それはそれで醍醐味ではあるのだけれど、

まとめるのもかなり至難の業な時も多々ある。

最近オフィスでちょっと私にとっては信じられない事件があり、

その件でちょっと色々と考えさせられた。

 

前置きしておくと、以下は決して愚痴ではなく、多様な考え方の提示である。

(でもかなり面倒臭い話なのでスルーしてもらって全然かまいません・・・)

 

背景はこうだ。

ある若い同僚Aの担当の仕事がちょっとうまく行っていなくて、期限が迫っている。

私と同僚Bは、(同じレベルの)中堅だし、Aをサポートしなければならない、ということで一致した。

ここで前置きを置くと、Bの本質はかなり自己中心的な方だ。

しかしそんな人はゴマンといるから全然問題ない。

私はすぐさま行動に移し、Aとしっかり話し、AとBの共同作業を私も手伝うことになった。

ここで大切なのは、私自身のパートはきっちりと順調に進んでいることだ。

はっきり進んでいないのは、もう片方の、つまりBのパートなのだ。

つまり私はボランティアをかって出たのだけれど、私にとっては、助けが必要な同僚を助けているし、何よりチーム全体責任だと思っているのだ。

 

私はBを誘い、Aと3人でブレインストーミングをすることにした。

1時間のブレスト会議の後、Bは「期限が迫っている仕事があるから」と会議室を出た。

私とAはそのまま続け、さらに私は他の同僚の頭脳も拝借した方が良いと思い、さらに別の同僚4人に「10分だけ知恵を貸して」と声をかけた。

議論が続く中、夕方6時になり、Bが顔を出し、「あら、まだやっているの。ではナオコ、ジムでね」とその場を去ったのだ。

私は信じられない気分になり、すぐさまメールした。

 

「私のパートはもう終わっているのに、チームみんなで(あなたのパートを、と言いたかったがそうは書いてはいない)やろうとしているのに、私だって同じ期限の仕事まだやっていないのに、ジムに行くのにさっさと退社するの?」

 

日本人なら、この感覚は当たり前かと思うのだが、どうだろうか。

 

でもこの私のメールにBは激怒した。

彼女曰はく、自分も必要な共同作業なら、ちゃんとお互いのスケジュールを組んで、就業時間内に収めるべきで、それ以外は自分の知ったこっちゃないというのだ。

 

私は絶句した。

あまりの価値観の違いに。

 

しかしどうやら、いろんな意見が出てくる。

Bは多分、私がボランティアでやっていることは称賛に値するけれど、それは好きでやっていること。自分のやるべき仕事は就業時間内にやる。と思っているのだと思う。

 

他の人は・・・

①「怒って当たり前。日本人だけの感覚ではない」

②「個人主義の北米っぽい考え方だからしょうがないんじゃない」

③「上司に言われたわけでないのだから、Bはセーフ」という人もいる。

つまり、仕事に置いては、上司が言うことを聞くことが重要。同じレベルの誰かを動かしたいときは、上司を絡めるべき。

↑ 幸いにも私はそういう上司至上主義の考えはあまり持ち合わせていない。

④「あなたとBは同じレベルだから、そういう意見を言ってもいいんじゃない」

つまり、やはりまたヒエラルキーの問題。どっちが上で、どっちが下で、だれが同じレベルか。ランクを見るのは如何にも国連っぽい。

⑤「(Bの行動はあり得ないと同意した上で)そんな奴を手伝うお前が悪い。あなたが別の人の過失に対して責任をとる必要はない。利用されている」

↑ きっとこの考えの人は多いのだと思う。そんな意見はわかるけれど・・・、私は自分を変える気はない。

 

色んな意見を聞いていると、どの人がどんな価値観で動いて(動かされて)いるのかがわかり、心にメモ。

 

モヤモヤが収まらないけれど、平和解決のための(←ここがまた日本的)私なりの教訓。

うまくいっていない同僚がいたら、私は手伝う。

でもそれは行き過ぎと取られることがあり、

もしそんな行為を利用する人がいても、

それは咎めたり、ジャッジするべきではないのだ。

 

国連みたいな組織は、こうあるべき、の価値判断があまりにも広すぎるのだ。

難しいのは、多様な価値観をリスペクトしながら、組織としての価値観をバランスをとること。

んー。

しかしテンションは嫌だから、もうこの件は水に流すのだ。

それが一番大事。