26日は午前、インドヨガでリフレッシュして(身体が堅い!!!)、阪急神戸線・武庫之荘駅、尼崎女性センターへ。NPOフィフティ・ネットのフィフティサロンに平野かおる議員とともにお招きいただき、「女性が50%いる議会 ~島本町からの発信~」としてお話する機会をいただきました。
日本経済新聞の女性記者が取材に入られました。また、来月、平野かおる議員と外村敏一議員がパネリストとして招かれる「ジェンダー平等日本一 その成功への道のり」の主催者である「NPO法人ジェンダー平等福岡市民の会」から、久留米市の男女平等政策審議会委員の方が来られていました。
わたし自身、このような場でお話させていただくことで、なぜ自分が議員になったのか、なれたのか、振り返る、たいへんよい機会になりました。
まず、ふたつの職歴(企業の人事部・国際交流任意団体の事務局)と香港での生活(妊娠・育児)を通じて、女性の視点から社会に対する問題意識が育っていたこと。特に一票をもたずに暮らした海外で、政治が暮らしは暮らしそのものであると実感したことをお話しました。
帰国して、島本町に住み、複数の女性議員との交流から政治を身近に感じたこと、選挙応援を通じて政治に希望と責任を感じたこと。やがて、天地人、すべてが揃ったとき、自分のなかで既に決断の準備ができていたこと、などをお話させていただきました。
決意ではなく決断。当然、反対する人もありました。でも決めるのは自分自身。ただし、生活をともにする家族の理解は必須と考えます。そのうえで、離れていく人、失うものがあっても、それはもともと「真のもの」ではなかったと思うことにしました。事実、今、得たものの方が多いと実感できます。
ご一緒した平野かおる議員のお話からは、島本町議会を客観的にみつめることができました。男女共同参画推進条例にリプロダクティブヘルス(生涯を通じた性と生殖に関する健康)の概念が記載されていることや、観光や宴席を中心にした議員研修の改善などは、女性議員が多いからこそ実現したものといえます。
外村議員からは女性議員の「まじめさ」と「正しさ」で判断する力を評価する発言がありました。実は、わたしの場合、議員になって、自分自身が「女性議員」であることを特に意識したことはありません。市民派議員の意義、議会改革の必要性、女性の視点を活かした施策にもっと敏感でありたいという危機感はあっても。
町長、執行部と距離を置く女性議員(つまり、わたし)にのみあからさまに怒鳴ったり、恫喝したり(お前、黙れ!とか、〇〇しいや!とかね)する議員は男女ともにいますが、それは相手側の資質の問題で、これを女性問題とするには、いささか次元が低すぎて哀しいものです。
それよりもなによりも、女性が50%になっても、議会内には理不尽がいっぱいです。町政運営、議会運営は、政党や会派がモノをいう世界。なぜ、こんな不平等、理不尽なことを平気で許しておけるのか、既得権を手放そうとしないのか、政治家という生き物への不信感は、決して性差によるものではありません!
それでもなおかつ、50%は自然なあるべき姿。ただ、目標ではない。性差や年齢に関係なく、議員本人をみて、仕事ぶりや政策で判断することが大事で、その結果、まじめでクリーンな政治家がひとりでも増えること(=女性が増えると思う)が議会改革の最たるもの、とわたしは確信しています。
今回、フィフティネットで、草分け的存在の市民派女性議員のみなさんに直接お目にかかれて、新たな視点から自分の立ち位置がみえました。議会においてたったひとり、たった二人で日々、しなくてもよい苦労をしている女性議員がまだまだ多いことをわすれてはいけない。若い世代の感性を受入れつつ、諸先輩方の歩まれた道のりを忘れないで活動していきます。
日本経済新聞の女性記者が取材に入られました。また、来月、平野かおる議員と外村敏一議員がパネリストとして招かれる「ジェンダー平等日本一 その成功への道のり」の主催者である「NPO法人ジェンダー平等福岡市民の会」から、久留米市の男女平等政策審議会委員の方が来られていました。
わたし自身、このような場でお話させていただくことで、なぜ自分が議員になったのか、なれたのか、振り返る、たいへんよい機会になりました。
まず、ふたつの職歴(企業の人事部・国際交流任意団体の事務局)と香港での生活(妊娠・育児)を通じて、女性の視点から社会に対する問題意識が育っていたこと。特に一票をもたずに暮らした海外で、政治が暮らしは暮らしそのものであると実感したことをお話しました。
帰国して、島本町に住み、複数の女性議員との交流から政治を身近に感じたこと、選挙応援を通じて政治に希望と責任を感じたこと。やがて、天地人、すべてが揃ったとき、自分のなかで既に決断の準備ができていたこと、などをお話させていただきました。
決意ではなく決断。当然、反対する人もありました。でも決めるのは自分自身。ただし、生活をともにする家族の理解は必須と考えます。そのうえで、離れていく人、失うものがあっても、それはもともと「真のもの」ではなかったと思うことにしました。事実、今、得たものの方が多いと実感できます。
ご一緒した平野かおる議員のお話からは、島本町議会を客観的にみつめることができました。男女共同参画推進条例にリプロダクティブヘルス(生涯を通じた性と生殖に関する健康)の概念が記載されていることや、観光や宴席を中心にした議員研修の改善などは、女性議員が多いからこそ実現したものといえます。
外村議員からは女性議員の「まじめさ」と「正しさ」で判断する力を評価する発言がありました。実は、わたしの場合、議員になって、自分自身が「女性議員」であることを特に意識したことはありません。市民派議員の意義、議会改革の必要性、女性の視点を活かした施策にもっと敏感でありたいという危機感はあっても。
町長、執行部と距離を置く女性議員(つまり、わたし)にのみあからさまに怒鳴ったり、恫喝したり(お前、黙れ!とか、〇〇しいや!とかね)する議員は男女ともにいますが、それは相手側の資質の問題で、これを女性問題とするには、いささか次元が低すぎて哀しいものです。
それよりもなによりも、女性が50%になっても、議会内には理不尽がいっぱいです。町政運営、議会運営は、政党や会派がモノをいう世界。なぜ、こんな不平等、理不尽なことを平気で許しておけるのか、既得権を手放そうとしないのか、政治家という生き物への不信感は、決して性差によるものではありません!
それでもなおかつ、50%は自然なあるべき姿。ただ、目標ではない。性差や年齢に関係なく、議員本人をみて、仕事ぶりや政策で判断することが大事で、その結果、まじめでクリーンな政治家がひとりでも増えること(=女性が増えると思う)が議会改革の最たるもの、とわたしは確信しています。
今回、フィフティネットで、草分け的存在の市民派女性議員のみなさんに直接お目にかかれて、新たな視点から自分の立ち位置がみえました。議会においてたったひとり、たった二人で日々、しなくてもよい苦労をしている女性議員がまだまだ多いことをわすれてはいけない。若い世代の感性を受入れつつ、諸先輩方の歩まれた道のりを忘れないで活動していきます。