ドナウ川の白い雲

ヨーロッパの旅の思い出、国内旅行で感じたこと、読んだ本の感想、日々の所感や意見など。

『永遠のゼロ』 を読む

2013年06月30日 | 随想…読書

 スペイン旅行の帰り。アムステルダムで乗り継ぎ、関空へ向かう機内で眠れないまま文庫本を広げていたら、通路を隔てた隣の席の中年女性も、同じ文庫本を広げていた。

 百田尚樹『永遠のゼロ』(講談社文庫)。よく読まれているようだ。

 自分の都合の良いところだけ見て都合の悪い歴史はまったく見ない、そういう偏狭な歴史観の国から、「歴史を直視せよ」と言われても、その薄っぺらさに辟易してしまう。

 歴史は直視する。だから、「あの戦争」と向き合うことは、今でも心が重い。本を読むことも、話を聞くことも、議論することも‥‥できたら避けたい。

 重いのは、もちろん、あまり見たくない日本の歴史の1ページを直視しなければならないからだ。

 「人は、自分が見たいと欲するものしか、見ない」 (ユリウス・カエサル)。                              

 にもかかわらず、この本が売れて、読まれているということは良いことだ。

     ★   ★   ★                   

 職に就かずぶらぶらしている若者と、ジャーナリストを目指すその姉が、母の依頼で、太平洋戦争で戦死した実の祖父(祖母の最初の夫)の足跡を尋ねる。 

 あの戦争で生き残り、すでに80歳、90歳になった祖父を知る証言者を探し出し、聞き取りをしていくという過程を経て、一人の、優秀な、実にかっこいい、零戦パイロット (祖父=主人公) の戦場における生き方が次第に鮮明になっていき、途中で涙、読み終えて涙

 同時に作者は、このすがすがしい主人公の足跡を追うことを通して、それと対比させながら、真珠湾攻撃に始まり、ミッドウェイ海戦、最大の激戦地ガダルカナルの戦い、マリアナ沖海戦など、日本海軍の戦史をたどっていく。そこには、日本軍の全体としての、どうしようもない情けなさ、この戦争を指導したエリート参謀、指揮官らの、どうしようもない無能さがあぶりだされる。

 ノモンハン事件のあと、ソ連のジューコフ元帥が言ったという。「日本の兵士は世界一、下士官も優秀だ。しかし、将軍は愚劣で、上にいくほどだめだ」。この言葉に言い尽くされている。

 さて、この作品のテーマは、何? 

  「愛」。だから、読まれる。

   西太平洋を舞台にした過酷な戦場の中を必死で生き抜こうとした一人の日本人下士官・宮部の、真摯な生き方と、その愛が、かっこいい。

          ★

 「私が宮部さんに命を救われたのはこれで二度目です。

 ガダルカナルに戻ったとき、私は宮部小隊長に言いました。

 『小隊長、今日は有り難うございました』

 『いいか、井筒』

と、宮部小隊長はにこりともせずに言いました。

 『敵を墜とすより、敵に墜とされない方がずっと大事だ』

 『はい』

 『それともアメリカ人一人の命と自分の命を交換するか?』

 『いいえ』

 『では、何人くらいの敵の命となら、交換してもいい?』

 私はちょっと考えて答えました。

 『十人くらいならいいでしょうか』

 『馬鹿』

 宮部小隊長は初めて笑いました。そして珍しくざっくばらんな調子で言いました。

 『てめえの命はそんなに安いのか』

 私も思わず笑ってしまいました。

 『たとえ敵機を討ち漏らしても、生き残ることが出来れば、また敵機を撃墜する機会はある。しかし‥‥』

 小隊長の目はもう笑っていませんでした。

 『一度でも墜とされれば、それでもうおしまいだ』

 『はい』

 小隊長は最後に命令口調で言いました。

 『だから、とにかく生き延びることを第一に考えろ』

     ‥‥(略)‥‥

 私がこの後、何度も数え切れないほどの空戦で生き延びることが出来たのも、このときの宮部小隊長の言葉のお蔭です」。(p167~168)

         ★

 「ぼくは初めて祖父の無念を少し理解できたような気がした。日中戦争からずっと戦わされ、最後は、特攻として使い捨てられたのだ。あれほど生きて帰りたがっていた祖父にとってどれほど悔しかったことだろう。

 『一つだけ聞かせてください』とぼくは言った。『祖父は、祖母を愛していると言っていましたか』

 伊藤は遠くを見るような目をした。

 『愛している、とは言いませんでした。我々の世代は愛などという言葉を使うことはありません。それは宮部も同様です。彼は、妻のために死にたくない、と言ったのです』

 ぼくは頷いた。

 伊藤は続けて言った。

 『それは私たちの世代では、愛しているという言葉と同じでしょう』(P120~121)  

          ★

 しかし、その愛を主旋律にしながら、作者が書きたかった、もう少し広い意味の主題もあるように思う。

  「死を覚悟して出撃することと、死ぬと定めて出撃することとはまったく別ものだった。これまでは、たとえ可能性は少なくとも、一縷の望みをかけて戦ってきたのだ」。(p337)

 「どんな過酷な戦闘でも、生き残る確率がわずかでもあれば、必死で戦える。しかし必ず死ぬと決まった作戦は絶対にいやだ」。(p352)

 神風特攻隊と言えば沖縄戦だが、実は、史上、最初の特攻は、フィリピンで行われた。

 命じられたのは、関行男大尉を隊長とする5機。

 「彼は出撃前に親しい人に『自分は国のために死ぬのではない。愛する妻のために死ぬのだ 』 と語ったそうだが、その心境はわかる。関大尉以外の隊員たちもみんな死を前にして、自分なりの死の意味を考え、深い葛藤の末に心を静めて出撃したと思う」。

 「関大尉は軍神として日本中にその名を轟かせた。関大尉は母一人子一人の身の上で育った人だった。一人息子を失った母は軍神の母としてもてはやされたという。しかし戦後は一転して戦争犯罪人の母として、人々から村八分のような扱いを受け、行商で細々と暮らし、最後は小学校の用務員に雇われ、昭和28年に用務員室で一人さびしく亡くなったという。『せめて行男の墓を』というのが最後の言葉だったという。戦後の民主主義の世相は、祖国のために散華した特攻隊員を戦犯扱いにして、墓を建てることさえ許さなかったのだ 」。

  関大尉については、城山三郎 『指揮官たちの特攻』 (新潮文庫)に比較的詳しく描かれている。

 特攻というような作戦を考え出し、命令したエリート参謀や幕僚たちに憤りを感じるが、それだけではない。関大尉は、二度、殺されている。戦後の関大尉の「二度目の死」に対する憤りは、誰に向けたらよいのだろう?

 あの戦争へと日本を導き、戦争を指導した、エリート参謀、幕僚、将官クラスの、どうしようもない愚劣さに加えて、作品の中で姉の恋人として登場するジャーナリストの高山のような、戦後現れた主張に対する憤りがなければ、この愛の物語は生まれなかったと思う。    

 

 


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