ドナウ川の白い雲

ヨーロッパの旅の思い出、国内旅行で感じたこと、読んだ本の感想、日々の所感や意見など。

ライン川クルーズを楽しむ … ネーデルランド (低地地方) への旅(3)

2017年11月02日 | 西欧旅行…ベネルクス3国の旅

        ( ライン川の岸辺のブドウ畑 )

  ケルン大聖堂の見学を終え、次はライン川クルーズだ。

 乗船場までケルンからバスで約2時間。ライン川の上流へ向かう。

 ドイツが誇るアウトバーンだが、またもや渋滞。10分ほど徐行運転で進んでいくと、やがて対向車線に2台の車の衝突現場があった。激しくぶつかり、2台で完全に道路をふさいでいる。こちらの車線は走り出したが、対向車線は全く動かず、それが延々と続いている。

 バスはアウトバーンを降りて、野の道になった。

 やがて下りのヘヤピンカーブになり、木の間隠れの一瞬だが、遥か下方にライン川の流れと小さな町が見えた。胸のときめく景色だ。

     ( 車窓から…ライン川が見えた )

 だが、すぐに我々の乗る大型観光バスは、下り坂のヘヤピンカーブを曲がり切れず、車輪が草むらの土手に乗り上げた。それから何度も切り返すが、曲がれない。車高の高いバスがひっくり返りそうだ。後輪のあたりから煙も出だす。乗客を道連れにするな!! と、全員バスから降りた。

 大型バスが通れる別の道路があったはずだ!!  事前研究が足りないぞ!!

 乗客を降ろしたドライバーは気持ちを落ち着かせようと煙草をくわえ、ハンドルを握りなおして、来た方向へ方向転換しようとする。何度も草むらの土手に乗り上げ、車体の底をガリガリと擦り、煙を上げ、最後は前輪が完全に浮き上がって後輪だけになるという、アクロバッティなことをやって、やっと向きを変えた。最後のカマキリのような恰好のときは、ドライバーの位置は遥かに高くなり、多分、ヤケクソの蛮勇だったろう。見ているだけで、怖かった。

 傷めつけられたバスに乗るのは気持ちが悪かったが、一行の中に大型車に詳しそうな方がいて、ぐるっと車体を見て回り、「大丈夫だ」と独り言したので、安心した。このドイツ人ドライバーより、このおじさんの方が信じられる。

 乗船場を眼下にして引き返し、一つ先の乗船場へと、船を追いかける。

 遊覧船は、上りと下りがある。下りの船に乗る観光客の方が多いが、このツアーは上りに乗る。上りの方が1.5倍の時間がかかる。しかし、その分、空いているし、船の中で優雅にランチをとることになっているから、都合が良いのだろう。

 ところが、乗船場所が一つ先になったため、ローレライの岩を見ることができなくなった。ツアー参加者の一人、元ラガーマンといった感じの大柄なご主人が、"このツアーに参加したのはローレライを見たかったからだ!!"と、添乗員に対して怒り出し、なかなか機嫌が直らなかった。みんな心ひそかに、その方の奥さんも含めて、添乗員に同情した。海外旅行は、国内の温泉パック旅行のようにはいかない。ハプニングも旅のうちだ。どうも、奥さんに付き合って、しぶしぶツアーに参加されたらしい。夫婦の覇権争いに敗れた結果だから、仕方がない。

 ローレライの話は、多分、中学校のころ、音楽の時間に聞いたような気がする。

 昔、このあたりの渓谷は、流れが急カーブして川幅が狭くなり、岩礁があって、激流だった。特に、夕日が川面をきらきらと赤く染めるころ、船頭は目測を誤って岩礁に乗り上げ、よく船が難破した。

 で、伝説が生まれた。夕映えの時間になると、美しい乙女が岸の岩壁の上に立ち、黄金の櫛でブロンドの髪を梳きながら美しい歌声で歌う。その歌声に惑わされて、船頭たちが舵を切り損ねるのだと。

 今は、激流の原因であった岩礁は爆破され、除去された。流れは穏やかになり、「あれが、ローレライの岩」と指さされるのは、もちろん観光用だ。昔も今も、乙女の立つローレライの岩など、あるはずがないのだから。

 聖遺物と同じで、所詮、まがいものだ。

        ★

 ザンクト・ゴアールという船着場から乗船した。

 すぐに昼食となる。

 季節のはずれのライン川クルーズはかなり寒いと聞いていたが、ぽかぽかとお天気も良く、ワインが美味しかった。

    ( ライン川クルーズ )

 1時間ほどかけて食事をしたあと、デッキに出て、古城や愛らしい町が次々と現れるクルーズをのんびりと楽しんだ。 

 ライン川はいくつかの国を越えて流れ、国際河川として、どの国の船でも国旗を立て自由に航行できる。

 ( それにひきかえ、21世紀になって、突然、広大な南シナ海を、ここは昔からわが国の海だと言い出し、岩礁をコンクリートで固めて、強固な軍事施設を造る。中華人民共和国という隣国の異常さは、超大国化しようとしているだけにおそろしい。)

 ライン川の源流は、スイスアルプスの雪解け水だ。それがいくつもの川となって、スイスとドイツの国境にあるボーデン湖に注ぎ込む。再度、ボーデン湖を流れ出た水流は、2000トン級の船が航行する大河となり、フランスのコルマール、ストラスブールを経てドイツに入る。そして、さらに大きな支流がいくつも加わって流量が増し、ケルンからは4000トン級の船も航行できる。河口近くにあるオランダのロッテルダムは、ヨーロッパ最大の荷扱い量を誇る港湾都市だ。

 丘の上の城は、シェーンブルグ城。

    ( 丘の上のシェーンブルグ城 )

 シェーンは美しいという意味。美しい城。ウィーンにシェーンブルン宮殿がある。

 今は「古城ホテル」として営業しているそうだ。こういう城のもとからの所有者は税金を払うのが大変で、国や自治体も放置すればせっかくの文化財が朽ちてしまうから、「古城ホテル」として一定の収入を得ながら維持・管理する。もと宮殿或いはもと修道院のホテルやレストランなどもある。

 バッハラッハの船着場に接岸した。

  ( バッハラッハの船着場 )

 ガイドブックによると、山の麓にひらけたこの小さな町は、1泊しても楽しい町らしい。7つの塔門のある城壁に囲まれ、城壁の続きは山の斜面にまで延びている。その中に、かわいい木組みの家々が並んでいるらしい。遊ぶものは何もない。滔々と流れるライン川の眺め、愛らしい町のたたずまい、そして、あとはワインを飲むだけ。

   ( バッハラッハの町 )

 ライン川クルーズ船が行き交うのはライン川の中流で、両岸は高さ300mばかりの断崖や急斜面となっている。

 その斜面を埋めつくすのは、日本の段々畑のように、先祖代々、営々と作られ営まれてきたブドウ畑だ。

 ライン渓谷は、ワインの名産地である。斜面だから、日当たりがたいへん良い。

 人々が上から下へ、籠を背負って収獲していた。スキーのゲレンデなら、下を見下ろしたとき、ちょっと怖いと思う急斜面だ。その急斜面にへばりつきながら、広大なブドウ畑の実を摘み取る作業は大変なはずだ。今の時代、働き手はどのように確保しているのだろう??

 

  ( ブドウ畑で働く人 )

 以前、BSテレビで、フランスの大きなワイナリーのブドウの収穫作業を取材した番組をみたことがある。作業をしている人々はボランティアだった。報酬は、ベッドと、ボリュームたっぷりの田舎の料理のみ。

 学生、近くの町のワイン商店の主人やおかみさん、毎年、有給休暇を取って参加する都会のビジネスマンや、中には企業経営者という年配の人もいた。1~2週間ほど、日頃の仕事や勉強を離れて、太陽の下で汗をかき、自然の恵みを収穫する労働を楽しむのだ。テレビを見ながら、本当の豊かさとは、こういうものかもしれないと思った。

 総指揮をしていた細身の気丈な女性は、日本人女性だった。代々続くワイナリーの若いオーナーに見そめられ、嫁いできて20年ほど、先年、夫が病で亡くなり、彼女がワイン造りの全てを指揮しなければならなくなった。今年も品質の良いブドウが実り、収穫作業もすべて終わった日、感極まって涙を流していたのが印象的だった。このワイナリーで働く従業員ばかりでなく、近くの町々でワインを販売する店々の家族まで含めて、多くの人々の生計がかかっているのだ。

 ドイツの白ワインは、ほのかな甘みがある。

 だが、酒飲みの私は、キュッと辛口のフランスワインの方が好みだ。ライン川流域なら、ちょっと癖のあるアルザスワインがいい。

 でも、日本酒の本醸造、つまり安価な燗酒が一番好きだ。燗酒の匂いを嫌い、ワインのような日本酒を好む人が増えたが、燗酒の温もりは体に優しい。

 約2時間半のクルージングを終えて、ライン川クルーズの起点として有名なリューデスハイムで下船した。

        ★

ワインの町リューディスハイムを散策 >

  リューデスハイムは、ライン川沿いのかわいい町だが、昔からワイン造りとワインの取引で栄えてきた。

 

   ( リューデスハイムの賑わい )

       ( 窓 )

  ( 店の看板の向こうの丘には塔 )

 狭い通りに木組みの家々が並び、お土産屋、ワインを売る店、酒場風レストラン、それに城館を再生利用したワイン博物館まであり、観光客でごった返していた。

 

 

 

 


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