ドナウ川の白い雲

ヨーロッパの旅の思い出、国内旅行で感じたこと、読んだ本の感想、日々の所感や意見など。

アントワープと「フランダースの犬」のこと…ネーデルランドへの旅(9)

2017年12月17日 | 西欧旅行…ベネルクス3国の旅

  ( アントワープのノートルダム大聖堂 )

 ツアーの5日目。

 2泊したブルージュを朝、出発して、まずアントワープへ。そのあとオランダに入って、キンデルダイク、ハーグと回り、このツアーの最後の宿泊地アムステルダムへ。アムステルダムでは2泊して、帰国の途につく。

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16世紀のアントワープのにぎわい >

 アントワープは、ブリュッセルに次ぐベルギー第二の都市。

 オランダとの国境まで30キロだから、ベルギーの最北部に位置している。

 全盛期のころのアントワープのにぎわいについて、司馬遼太郎は次のように書いている。

 「全盛期の16世紀のにぎわいは、異常なほどだった。

 たとえば当時の英国はよい毛織物をつくることで世界の金銀を集めていた。

 ただし、英国の貿易が成熟していなかったため、せっかくの毛織物もロンドン発で売ることができず、海を越えてアントワープにもちこまれ、世界に売られた。

 ポルトガルも、そうだった。当時インド進出を果たしたポルトガルは、香料をたっぷり手に入れたが、首都リスボンにはヨーロッパ中に販売する力がなく、アントワープに持ち込まざるをえなかった。

 ポルトガル人は、むろんただでインド人から香料を手に入れたわけではなく、銀や銅で支払った。その仕入れ用の金などは、アントワープで買った。英国の毛織物職人が汗を流し、ポルトガルの冒険商人が九死に一生を得て帰って来るのに、アントワープの大商人は、机の上で金儲けができた。

 そういうわけで、この港市に、貨幣と商品が充満した」 (司馬遼太郎『オランダ紀行』から)。

 ただし、その後の80年に渡る独立戦争のなかで、アントワープの豪商たちはスペインの抑圧を嫌って自由なアムステルダムに逃げ、繁栄はオランダに移っていった。

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「フランダースの犬」の舞台へ >

 しかし、その後の産業革命を経て、今のアントワープもなかなかのものである。

 現在も、世界有数の港湾都市である。

 戦後は、三顧の礼をもってユダヤ人に来てもらい、街の一角にユダヤ人街をつくった。そこは、今、世界のダイヤモンドの研磨・取引の中心になっている。

 そして、また、アントワープは17世紀のバロックの画家ルーベンスの町でもある。

 このツアーがアントワープに立ち寄るのは、ルーベンスの最高傑作と言われる「キリストの昇架」「キリストの降架」「聖母被昇天」を鑑賞するためである。日本からのツアーは、必ずこれらの絵の鑑賞をコースに組み入れる。絵は街の中心に建つノートルダム大聖堂にある。

 ふつうの日本人にとって、ルーベンスの絵は、フェルメールやゴッホほどになじみがあるわけではない。にもかかわらずここに立ち寄るのは、この大聖堂と、大聖堂の中にあるルーベンスの祭壇画が、「フランダースの犬」の最後の舞台になっているからだ。

 「フランダースの犬」の作者は英国人女性で、作品は1872年に英国で発表された。日本では明治の終わりに最初の翻訳があり、児童の読み物として、最近はアニメとして愛され続け、最新のものは2015年の東映アニメ映画である。

 物語の主たる舞台はアントワープ近郊の村。だが、ベルギーやアントワープの人々が物語の存在を知ったのは、日本の観光客が大挙してやって来るようになってからだ。

 今は、母国の英国でも忘れ去られた児童文学である。世界のなかで、日本人だけが、なぜか今も、この悲しい物語を愛し続けている。

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アントワープとは「手投げ」のこと >

 1352年から約170年の歳月をかけて建てられたというノートルダム大聖堂は、塔の高さが123m。かつて、アントワープ港に入る船の目印になったという。ちなみに大阪の通天閣は100m、ハルカスは300mだ。

 大聖堂の前は、例によってマルクト広場。

 広場には市庁舎の立派な建物が建ち、市庁舎の窓という窓に各国の国旗が飾られて、彩りも鮮やかである。日の丸ももちろんある。ヨーロッパ人は旗が好きなのだ。

    ( 市庁舎を飾る各国の国旗 ) 

 市庁舎の前には噴水があり、噴水の上に「ブラボーの像」が立つ。

      ( ブラボーの像 )

 ブラボーの像とは??

 アントワープは世界有数の港湾都市だが、実は北海から80キロも遡った川の港である。川の名はスヘルデ川。

 昔、そのスヘルデ川の川岸の城に巨人がいて、行き交う船から税を取り、払えない者はその腕を切り落として川に投げた。そこへブラボーという名のローマの兵士がやって来て、これと戦って退治し、巨人の腕を切り落として、川へ投げたという。像は、勇者ブラボーが巨人の腕を投げている姿である。

 と言うのも、アントワープはフラマン語でアントウェルペン。handのhを取ったのが「アント」。つまり、「手投げ」という意味なのだ。町の名の起源となった伝説である。

 ブラボーの話は、わが故郷の岡山に伝わる、鬼(ウラ)を退治した桃太郎(吉備津彦)と同じ設定だ。ローカルヒーローの巨人や鬼(ウラ)の立場から見れば、ブラボーや桃太郎(吉備津彦)は、地方を征服するためにやって来たローマやヤマトのスーパーヒーローたちである。

 マルクト広場の周りには、例によってギルドハウス。ギルドハウスの前で、女性たちが集まって何やら密談している…??

  ( ギルドハウスの建物 )

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巨匠ルーベンスと絵の好みのこと >

 ノートルダム大聖堂は、ゴシック建築としては、べルギーで最大だそうだ。

 一歩、扉を入ると、天にそびえるゴシックの「森」がある。

 ( ノートルダム大聖堂の側廊 ) 

 ステンドグラスは、絵柄、色合いが瀟洒で、いつの時代のものかわからないが、この感覚は近代に近いかもしれない。

    ( ステンドグラス )

 そして、巨匠ルーベンスの絵があった。

 「17世紀のヨーロッパ美術が 『バロック』の時代であることは、周知のことである。

 まことに、バロック美術はなまなましい。『聖書』のなかの人物や事件を描いても、聖者の傷口の白い脂肪まで感じさせ、逆さにはりつけされる場面も、聖者の筋肉や刑吏たちの筋肉が、ただ一つの運動目的に向かい、奔騰するように動いている」 (司馬遼太郎『オランダ紀行』から)。

 ( ルーベンスの祭壇画「キリストの昇架」 )

 司馬遼太郎はもう少し詳しくこの絵について解説しているが、私にはこれ以上の感想は必要ない。「傷口の白い脂肪まで感じさせ」るような生々しい絵で、筋肉のむやみな強調と、題材のこれでもかという劇的な取り上げ方は、要するに「劇画」調なのだ。美術史家たちは、中世の天井をぶち抜いて、ルネッサンスを切り開いた西洋絵画が、透視画法や人体の科学的探究などを通して、ここまで進化しましたと言うかもしれない。だが、私には、刺激的ではあっても、人の心を打つ作品とは思えない。

 私が絵を見ることを好むようになったきっかけは、遥かに遠い昔、東京の貧しい学生時代のことで、年下の友人の影響だった。私も若かったが、彼はまだ20歳だった。画家を志し、上京して、一人で暮らしていた。会うといつも絵のことばかり話し、私は聞き役だった。

 ある日、ルオーが来ているから行こうと誘われ、上野の美術館へ行った。生まれて初めて本物の絵を見て、半日、ルオー漬けになった。友人は、すごい、すばらしいと独り言を言い続けた。その独り言を聞きながら、ルオーの深い精神性に感銘を受けた。

 ルオーは19世紀に生まれ、20世紀に活躍した画家である。彼の絵は、ルネッサンスからバロックへという美術史の流れをさらに突き抜けて、聖書の物語を題材にしても、物語の迫真的再現性や肉体のリアリズムを追求していない。それは、ある意味、中世絵画に戻ったように、静止的で平板である。しかし、そもそも絵は、形と色による二次元の芸術である。あえて立体的に見せようと技術を磨き、さらには時間の一瞬をとらえて劇的にしようと齷齪すること自体が、絵の本道をはずれることなのだと私は思う。ルオーの描いた絵には、キリスト教徒でなくても心打たれる何か、人間存在の根源的な哀しみとそれへの深い共感があるように思う。

( ルオーの絵/ヴァチカン美術館で )

 同じ年だったか、上野にシャガールが来て、また、彼に誘われて、たくさんのシャガールの愛の世界を見た。美しいと思った。シャガールはロシア生まれのユダヤ人だが、西欧にやって来て、キリスト教に改宗した。美しい絵の奥に、彼の苦悩の遍歴が感じられた。

( シャガール/ニースの美術館で )

 以後、何10年にもなるが、美術展にはよく行った。美術や美術史の研究のために絵を見るわけではないから、自分の好み・嗜好を大切にし、いわばわがままに見てきた。わがままとは、世界の中心に自分の感覚を置くことである。自分が美しいと思うものが美しく、自分が感銘を受けるものが、素晴らしいのだ。そのなかで、自分のものの見方、感じ方、考え方が深化していく。手引書や解説書を中心にしていたら、いつまでたっても成長しない。

 ルオーと師を同じくし、生涯、互いにリスペクトし合ったもう一人の画家マチスは、ルオーとは全く異質の画家であるが、私が最も好きになった画家である。ルオーとは異質だが、画面に漂う静謐感は同じである。

 やがて西洋画に飽き足らず、日本画の東山魁夷や平山郁夫に心を寄せるようになった。

         ★

< 「フランダースの犬」と自立・自存の誇り >

 さて、ノートルダム大聖堂とその祭壇画を舞台装置にした「フランダースの犬」の物語の最後は、こんな風である。

 ネロ少年と老犬パトラッシュはミルク運搬の仕事をして糊口をしのいできたが、新しく参入した業者に仕事を奪われてしまう。さらにクリスマスを数日後にひかえて、優しかった祖父が亡くなった。そのうえ、風車小屋に放火したという濡れ衣まで着せられ、クリスマスの前日には、家賃が払えず住んでいた小屋も追い出された。ネロ少年の最後の希望は、アントワープ市のコンクールに応募していた絵が認められることだったが、審査の結果、応募の絵も落選してしまった。

 傷心のネロは老犬パトラッシュとともに、行く当てもなくクリスマスの前夜の道をさまよう。そして、いつの間にか、ノートルダム大聖堂の前に来ていた。

 深夜なのになぜか扉が開いていた。導かれるように真っ暗な中を内陣まで進み、祭壇の下の冷たい石畳にうずくまる。飢えと寒さで意識が朦朧となっていく。

 そのとき、雲が晴れて、後方の扉から月光が差し込んできたのである。すると、いつも覆いがかかって見ることができなかった祭壇画「キリストの降架」が鮮やかにネロの目の前にあった。画家を志していたネロがずっと見たいと思っていた最高の名画である。少年は遠のく意識のなかで感謝の祈りをささげた。「神様、ありがとうございます」。

 翌日、人々は少年と老犬の凍死体を発見した。

   ( ルーベンスの「キリストの降架」 )

 この物語を読み聞かせたあと、親は子に話す。「心清きネロは、人間のために十字架に架かった優しいイエス様の腕に抱かれて、天国に昇ったのよ」。

 聖夜を前にした奇蹟物語で、典型的なヨーロッパの「キリスト教文学」である。もちろん、日本ではそういう宗教的要素は背景に退けられて、読まれることになる。

 さて、司馬遼太郎は『オランダ紀行』のなかで、

 1つ目。この児童文学を生んだ英国において、この物語がすっかり忘れられてしまった(読まれなくなった)のは、なぜだろう??

 2つ目。にもかかわらず、日本で未だに愛され続けるのはなぜなのか??

と問いを発する。その結論がなかなか面白かった。2つの疑問に対して、司馬さんを納得させたのは、大阪府立児童文学館の研究員である。 

 なぜ、英国でこの物語が顧みられなくなったのか??

 このときネロは15歳。15歳なら、もっと雄々しく自分の人生を切りひらいて行くことができるはずだ!! 子どもたちのモデルにはならない!!

 英米の児童文学では、19世紀の終わりごろから、青少年に「自立」をうながす作品が求められるようになったと、研究員は言う。

 むむっ!! ネロが15歳とは知らなかった。日本のアニメのネロは、小学生ぐらいに描かれている!!

 それはさておき、プロテスタンティズムは、個人の自主・自立を尊ぶ。経済的に成長した「市民」が、その傾向に拍車をかける。神の言葉は聖書に書いてあるのだから、教皇とか、司教とか、教会などという権威は必要ない。人はそれぞれ「個人」として、1冊の聖書を介して、神に直接的に向き合えばよいのだ。

 明治の初め、札幌農学校(北海道大学の前身)に教頭としてアメリカから招聘されたクラーク博士の言葉、『Boys be ambitious』(少年たちよ、各自、大いなる志をもて)は有名だが、彼はまた、開校に当たって作られた校則をすべて廃止して、『Be gentleman』の1つだけにした。生徒たちは、『gentleman』の意味・イメージがわからなかったが、クラークが教えたかったのは、細々とした校則に支配されて学校生活を送るのではなく、自ら立ち、自らを律する、誇りを持った人間になれということだ。生徒たちはそれを『武士』と置き換えて理解した。『各自、行動に当たっては、武士の心をもて!!』である。各自が一個の立派な武士たらんとする誇りを持てば、些末な校則など必要ない。

 プロテスタンティズムと武士道の合体。見事な意訳である。この学校の卒業生の新渡戸稲造は、のちに英文で『武士道』を著し、この著書はアメリカ大統領をはじめ、世界の人々から称賛を受けた。

 司馬遼太郎は、研究員の解釈を受けて、このように書いている。

 「英国では18歳でもって親から自立する。20歳でなお母親につきそってもらって部屋をさがす青年には家主は気味悪がって部屋を貸さないという話を、ごく最近ロンドンで聞いた」。        

 今、日本で、大学の授業料の無料化のことが問題になっている。ヨーロッパの大学の授業料はタダだ。あとは長期休暇中のアルバイトで生活費を稼ぐ。基本的に「親がかり」で大学に行くことはない。

 ただし、日本の若者も親も、誤解してはいけないのだ。

 ヨーロッパの大学は、入学できても、卒業するのは容易ではない。日本のように、4年たてば、ところてん式に卒業式に出席できるわけではない。一人一人、個別に、単位が全部取得できた人から卒業する。それまでに何千冊の本を読み、何百本のレポートを書かなければならないだろう。パリ大学に入学した日本人、在学したことのある日本人はたくさんいるが、卒業した人はめったにいない。

 大学で勉強することのしんどさがわかっているから、能力も意欲もない人が大学に進学することはない。大学に行かなくても、道は多様にある。それぞれの道でエキスパート、例えば一流のレストランの一流のシェフになれば、大学の学長と同じように尊敬される。勉強する能力も意欲もないのに大学進学しても、結局、青春を浪費するだけだ。

 昔、15の春は泣かさない、と言った知事がいたが、ヨーロッパでは15歳は自立への重要な岐路なのだ。泣く必要はないが、人生の選択はしなければならない。普通科高校は、大学に接続するコースで、勉強、勉強。大学へ行きたくない人は、職業高校へ行く。職業高校を出て、専門技術をさらに深めたい人のためには大学相当の学校もある。職業高校と言っても、頭がよく、必死で勉強しなければ、一流のシェフにはなれない。ただ、普通科高校と、それに続く大学で必要とされる頭の良さや勉強の仕方とは、性格が違うということだ。

 そういう価値観の国の親は、15歳で行倒れて死んだ少年ネロをわが子のアイドルにしたいとは思わないのである。

          ★

日本で「フランダースの犬」が愛されるのはなぜか >

 では、なぜ日本人は、今も「フランダースの犬」の物語を愛し続けるのか?? 

 この問いに対する研究員の意見も面白かった。

 パトラッシュは「西洋流に鍛えられた犬ではない」というのだ。

 パトラッシュは、「主人に忠実なだけがとりえの、いわば "忠犬 "です。しかもこの忠犬は、" 恩返し "という忠義の動機までもっています。このあたりも、日本人に好まれる理由の一つではないでしょうか」。

 なるほど、日本の子どもたちにとって、この作品は、題名通り「フランダースの『犬』」の物語なのだ。日本の子どもたちは、自分をネロと重ね合わせながら、自分にいつも寄り添い、助けてくれる、優しい老犬パトラッシュのような犬がいたらどんなにいいかと夢見るのである。それに、忠犬パトラッシュは、「早く勉強しなさい」とママのように口やかましく言わない。最高の友達なのである。

 もちろん、日本では日本風にアレンジされて描かれている。ネロの年齢も幼くし、原作の「キリスト教文学」の側面とか、ルーベンスの「キリストの降架」への賛嘆などは、物語の遥か後方の背景に退けられ、目立たなくされている。

 要するに、日本において「フランダースの犬」は、忠犬パトラッシュと少年ネロの愛情物語として、読み継がれているのだ。

          ★

 研究員氏の言う、パトラッシュが「西洋流に鍛えられた犬ではない」「主人に忠実なだけがとりえの、いわば "忠犬 "です」とは、どういうことか??

 以下は、私見である。

 犬はオオカミではなく、古来から人間に寄り添い、人間とともに生きてきたのだから、「忠犬」であることは犬の自然な本性なのだ。「忠犬」であることに、厳しい訓練など必要としない。そして、日本人は「自然」であることが好きなのだ。

   西欧において、19世紀なら、犬は牧羊犬とか、狩猟犬とか、犬ぞりの犬。

 犬に対しても品種改良や訓練を施して、人間に役立つものに変えてきた。人間は「神に似せて造られた存在」であるから、自然を支配もするし、必要があれば保護の手も加えるのである。

 今は、西洋でも、労働犬としてよりペットとして犬を飼うが、基本的にペット犬は、自然の犬ではない。ペットとして改良され、訓練された犬だ。

 観光地に犬を連れてきて一緒に歩いている観光客がいる。もちろん、よく訓練された犬だけだが、鎖につながなくても、大勢の観光客の間を一人で(一匹で)歩き回り、主人が呼べば、飛んでやって来る。他人に吠えたり、なついたりすることはない。道端でおしっこも、うんこもしない。良い悪いは別にして、見事なものである。

 あるとき、こんな光景に出会った。

 西洋人の10数人の観光グループが記念撮影しようと2列に並んでいる。そこへグループの誰かの飼い犬が飛んできた。「待ってくれ!! ボクも入れて」。そして、すばやく前列の真ん中に座って、カメラの方を向いたのである。これには、私も、周りを歩いている西洋人観光客たちも大笑いした。

 こんな風に訓練された犬を、日本で見かけることはない。

 西洋人は、犬を品種改良したり、訓練して、人間の好みの存在に変える。それが「ペット」である。

 日本では、自分が自然に近づき、自然と一体になる。人もまた、自然なのだから。

 私が犬を飼うなら「ペット」ではなく、ネロとパトラッシュのような関係、犬は犬らしくがいい。犬はもともと人間が好きなのだ。

          ★

< 少々脱線します >

 もっとも最近の日本のペットブームは、人の方が歩み寄りすぎて、犬をわが子のように可愛がり、過保護な犬になってしまっているようにも感じる。もしかしたら、もう「忠犬」などいないのではなかろうか。

 その結果、都会の街角のあちこちにペット医の看板が目立つようになった。テレビドラマにも、きれいな女優さんがペット医になって登場したりする。

 だが、若い女子があこがれても、なかなかペット医になるのは難しいかもしれない。なにしろ、彼らは獣医師会というギルドをつくって新規参入を抑制し、そのために50年間も文科省に圧力をかけ続けていたらしいのだから。

 世界最先端の学部でないと、獣医学部の新設は認めないそうだ。

 21世紀に、中世的ギルドはよろしくない。競争のないぬるま湯に、世界最先端の研究など生まれてくるはずがない。

 話題が、「フランダースの犬」から、現代のギルドのことにまで脱線してしまった。今回は、このあたりで。

 

 

 

 


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