一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

橋本八段、引退

2021-04-06 00:15:13 | 男性棋士
4月に入って、西山朋佳奨励会三段の奨励会退会のニュースが飛び込んできた。
それに輪をかけてビックリしたのが、橋本崇載八段の電撃引退だった。いったい橋本八段に何が起こったのか?
橋本八段は2001年4月、18歳で四段昇段。竜王戦では5期連続で昇級し、2006年に1組昇級を決めた。また順位戦でも2012年3月にA級昇級を決めた。棋士人生としてはこの実績だけで、立派な一流棋士である。
副業では東京・池袋に将棋バーを開店し、将棋の普及に努めた。
またNHK杯などでの個性的な言動がたびたび話題になった。橋本八段は文字通り、棋界有数のエンターテイナーだった。
そんな橋本八段が昨年10月、突然休場したのでビックリした。棋士の内情は私たちには分からぬが、少なくとも橋本八段は順風満帆、そのまま棋士人生を全うするものと思っていた。
当然この4月も、橋本八段は元気に復帰するものと思っていた。実際最近、大野教室の生徒のひとりが橋本八段を街でお見掛けし、元気だったのを視認していたということもある。
そこに電撃引退のニュースだった。橋本八段はまだ38歳。棋士としては異例の早さだ。
この理由については当人がYouTubeで述べているが、私はYouTubeを見る習慣がないので、ネットでの噂話を見るに留めた。
要約すると、橋本八段はすでに結婚していて、すでに子供を設けている。だが奥さんとの離婚調停が進行中で、このたび子供を奥さんに占有されてしまった。それを解消するため活動を続けているが、その過程で体調を崩し、このたびの引退に繋がった、ということのようだった。
私は当初、数年前の筆禍に関して責任を取ったのか? と考えていたが、まったくの的外れ。真相は極めて人間臭いものだった。
だけど、なぜ引退なのか?
書くまでもないことだが、棋士は毎日会社に行く必要がない。対局通知が来たときだけ、対局場に将棋を指しに行けばいいのだ。
つまりそれ以外は自由行動なわけで、極めて自由度の高い職業といえる。言い方は悪いが、家庭内のゴタゴタに関わっている最中にだって、対局はできるのだ。
いやもちろん、棋士には研究時間が必要ではある。だが仮にもプロなのだから、事前の研究なしでもそこそこの将棋は指せるのではないか。しかも橋本八段は居飛車、振り飛車と何でも指すオールラウンダーだ。事前に作戦を決め打ちされることはない。
それでも将棋が指せない状態なら、休場という手がある。橋本八段も半年間行使したが、何人もの棋士がこの制度を利用している。
これが普通のサラリーマンにはできない。むろん会社にもよるが、「体調が悪いので1年間会社を休ませてください」と言おうものなら、「あなたもう、このまま永久に会社に来なくていいです」と辞職を勧められる。
ただ休場だと、順位戦で毎年降級点が付いてしまう。私は引退制度をよく知らないのだが、引退時の順位戦クラスが、のちの手当に関わってくるのだろうか。
それならフリークラス宣言をして、対局が指せる状態まで待つ、というわけにはいかなかったのだろうか。
将棋界は芸能界その他とは違い、一度引退してしまったら、もう現役には戻れない。かつて、早くに引退した棋士が現役復帰を所望したことがあったが、叶わなかった。
むろん日本将棋連盟もその辺りを承知しているから、森下卓常務理事も、橋本八段の引退を慰留し、毎週のように橋本八段にメールを送っていたようだ。
ということは、橋本八段の引退願は、かなり早くから提出されていたのだろう。
橋本八段はほかの職業に就けばいい、と軽く考えているようだが、どんな仕事に就くにせよ、いまの橋本八段の収入は上回らない。これは断言してもいい。
しかもどこに就職するにせよ、その大部分が週に5日以上の勤務である。さらに、いままでは「先生、先生」と祭り上げられたが、転職したら一兵卒である。「将棋八段」の威光はまったく通用しない。橋本八段にこれが耐えられるだろうか。
つまり橋本八段の転職は、どこからどう見ても、費用対効果が恐ろしく悪いのだ。このことを誰かが説諭できなかったものか。いや、森下常務理事が説得してもダメだったのだから、ダメだったのだろう。
世の中には棋士になりたくても叶わず、断腸の思いで棋士を諦める人がいるのに、橋本八段はその逆をやった。その選択が、私には残念だった。
コメント
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