いいしらせのグッドニュース[パート・Ⅱ]

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ロバート ・ キャパ と ゲルダ ・ タロー の 人生をみた。

2013-02-17 20:41:04 | Weblog




       この写真があたまの中に残ってしまった。
       2月3日のあの番組からだ。
       この写真の作品名は「ナムディンからタイビンへの道、ヴェトナム」という。
       作品番号、「c-190」。
       横浜美術館で開催中の『ロバート・キャパ/ゲルダ・タロー 二人の写真家』
       [PARTⅡ] ロバート・キャパ出品作品リスト
       によります。

       横浜にきょう、行ってきました。
       冒頭の写真を確認したかったからです。
       “あの写真”もあるし、ノルマンディもあるし、ナチスの協力者を糾弾する写真もあるよね。
       だが、冒頭の写真が気になる。

       映像は3日のテレビからの取材です。









       あの番組は、沢木耕太郎さんが「崩れ落ちる兵士」(1936年)の謎を解明しようと
       いうものでした。タイトルは「運命の1枚 “戦場”写真の最大の謎に挑む」です。
       興味深い仮説に到りました。





       この写真が、展示にはなかったと思います(正確にはわかりませんが)。
       右のふたりがロバート・キャパとゲルダ・タローさんだそうです。

       ロバート・キャパ、本名アンドレ・フリードマンという。1913-54年。
       ゲルダ・タロー、本名ゲルタ・ポホリレ。1910-37年。

       「ロバート・キャパ」という名前は、二人によって創り出された
       “架空の写真家”だったといいます。
       「キャパ」の初期の活動は、二人の共同作業であったという事実です。
       1936年の時点では、キャパ・22歳。タローは25歳、という無名の時代でした。





       こんなに美しい人でした。







       この写真、パートナーであったことを感じさせます。




     

    
       ゲルダ・タローの死。あの写真が掲載される直前でした。
       1937年、LIFE・7月12日号に掲載されて、時代の寵児に、反ファシズムのシンボルとなります。

       この年に、キャパは写真集を出します。
       その冒頭です。





       「きみは … まだそこにいる」。

       しかし、この写真集にはあの写真は載っていなかったそうです。







       8年後。1944年、ノルマンディ上陸作戦、上陸用舟艇でのキャパです。
       
       沢木耕太郎さんは、本当の戦場で30歳の彼は、あの1枚と決着をつけた。
       といいます。







       5つの戦争を体験・取材したキャパは、平安の時代に入ってしまう。

       ヘミングウェイ、ゲイリー・クーパー、ピカソ、ヒッチコック、
       大統領とかの要人の写真もある。
       ピカソのあの写真は、キャパだんたんですね。知らなかった。
       日本にも来ている。やはり、人を撮っていますよ。
       (3月いっぱい横浜で、ご覧になれます)

       日本のあと、ヴェトナムに向かう。





       1954年5月25日のこのシリーズを撮ったあと、
       キャパは地雷を踏む。
       この写真、なんだかきれいなんだよね。
       (遺作はカラーの写真だそうです。それは、会場には見あたりませんでした)


       「ちょっとピンぼけ」を、会期中にミュージアムショップに買いにいくつもりです。





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