以下四谷三丁目さんのコメント引用
HKTメンバー及び指ヲタとして、フィルターがかかっているので、あまり自グループについて述べなかったが、少し先入観を感じるので述べさせて頂きます。
まずライバルにさえならないとの思いこみ。HKT選抜の平均年齢さえ考慮せず、経験値の上積みすら読もうとしていないところに苛立ちすら感じます。AKBのメンバーだと12~13期がHKTの初期メンバーにあたる訳で、そのメンバーを必死に高く持ち上げるのにHKTメンバーを酷評するのは客観性に欠く評論と言わざるを得ないです。
指原さんの落としどころが秋元さんというところもAKBヲタの目に見えるもの感が。センターとしてAKBシングルをワンハーフミリオンに持っていく可能性が一番近いメンバーとヲタとして見ています。サウンドスキャン比率19%の「希望的リフレイン」、21%の「心のプラカード」ではミリオン維持がせいぜい。大概の指ヲタはこうなることを選挙敗戦直後から予測していた。グループに一番欲しいのは一般に受けるヒット曲。彼女にまず求めるのはそこではないでしょうか。
ライブツアーのセットリスト作成やプロデュースは他のアーティストもやっていることなのでそこにフォーカスするのは危険ですね。別に特別なことではないし、辞めたらグループを離れたいと思っているかもしれないと私は覚悟はしていますけどね。
私は指ヲタではない、と書いても説得力はないかも知れませんが、そういう前提をまず置かせて頂きます。その上で言い切りたいのですが、いわゆる指ヲタさんは、実は指原さんを過小評価してると感じることが多々あります。「過大」ではなく「過小」です。
指ヲタさんという括りがまずければ、指原さんに関心のある人でも良いんですが、個々人ごとに思いは様々なのは当たり前として、けれどもネット上などで目にすることのできる、指原さんについての評価の多くに、少なくとも私は異を唱えたいと考えてますし、これまでも書いてきました。
あらためて持論を述べるというのもアレなんですが、まずはとっかかりとして、最低限、客観的と言えそうな分かりやすい論拠として、リリーフランキーさん、そして秋元氏の「指原先生」呼びを上げてみます。これを揶揄と受け取る向きもあるでしょうが、このお二人の経歴と年齢、そして指原さんとの関係性を考えれば、むしろ皮肉を効かした賞賛と捉えるのが妥当と考えます。
そして、客観性は弱冠落ちますが、やはり「おじさん殺し」とも揶揄される、福田監督、小林よしのり氏、タモリさん、ダウンタウン松本さんを始めとする、錚々たるお歴々との関係性。こういう方々と対等に会話が成立する22歳の小娘というあり得無さは、もっと正当に評価されてしかるべきではないでしょうか。
その他諸々の議論は過去ログ参照と言うことで、そちらで既述の通り、指原さんの特異才能は、認識され得る存在、つまり有の範囲にあって、それらの関係性を縦横無尽に操ることができるというものです。少なくとも不肖私はそのように考えてます。
これはまさに師匠たる秋元氏の才能に比肩するものです。この能力は、一般的には詐欺師、あるいは詐話師と呼ばれる人達のそれと近似しているとも考えられ、あるいは小説家、脚本家等、クリエーターに広く必要とされる能力でもあります。
もう一つ、指原さんの特異なところは、この若さにして自己了解象が確立してると思われるところです。これは恐らくはAKBというシステムの賜なんだろうと思いますが、それが可能なものにとっては「英才教育」というと語弊がありますが、ストレートな自己実現が可能な仕組みになってるんだろうと思われます。秋元氏の言うところの「鉢植えの位置を変える」という比喩がこれにあたります。
結果、指原さんの世界認識は、22歳の若輩者としてはあり得ないレベル、上記、成功したおじさん達と同等のレベル以上に到達してるものと推察されます。だから彼らとも会話が成り立つんでしょう。
自身の立ち位置が確立し、そこから見渡せる世界像が透徹している。極力、歪みや偏見から離れてる。そんなクリアな視野から、事物を縦横無尽に操れる。具体的にはセトリを組む、HKTメンバーのプロデュースをするになりますが、指原さんの存在様式は、そんな目に見える範囲を超えてしまってると、少なくとも私は考えてます。
こんな怪物に、いかな秋元氏と言えども未だかつて出会ったことはないでしょうし、だからこその「溺愛」なんでしょう。実際には「溺愛」なんかではなくて、正当な評価と対応だと思いますが。
だからこそ「HKTメンバーを酷評する」という意図は全くないんです。この辺り誤解を与えてしまったのかなと反省ですが、指原さんがあまりに突き抜けてしまってる、私の認識がそうなんだでと言うことなんです。「ライブツアーのセットリスト作成やプロデュースは他のアーティストもやっていること」は承知してますが、そんな皮相的な話ではありません。
むしろ、HKTを越えてAKBグループメンバー全般に言えるのは、素晴らしい子達を、よくぞここまで選び取ったなと。卑近な例では、昨日のチーム8の記述でも触れましたが、HKTメンバーも同様にして選び抜かれてると感じてます。
けれども指原さんは、そんな優秀なメンバーと言えどもライバルにさえなり得ない存在であることが、メタアナリシス的に、生誕祭のぐぐたすで露呈してしまってた、それが該当記事で述べたかった主旨になります。
HKTメンバー及び指ヲタとして、フィルターがかかっているので、あまり自グループについて述べなかったが、少し先入観を感じるので述べさせて頂きます。
まずライバルにさえならないとの思いこみ。HKT選抜の平均年齢さえ考慮せず、経験値の上積みすら読もうとしていないところに苛立ちすら感じます。AKBのメンバーだと12~13期がHKTの初期メンバーにあたる訳で、そのメンバーを必死に高く持ち上げるのにHKTメンバーを酷評するのは客観性に欠く評論と言わざるを得ないです。
指原さんの落としどころが秋元さんというところもAKBヲタの目に見えるもの感が。センターとしてAKBシングルをワンハーフミリオンに持っていく可能性が一番近いメンバーとヲタとして見ています。サウンドスキャン比率19%の「希望的リフレイン」、21%の「心のプラカード」ではミリオン維持がせいぜい。大概の指ヲタはこうなることを選挙敗戦直後から予測していた。グループに一番欲しいのは一般に受けるヒット曲。彼女にまず求めるのはそこではないでしょうか。
ライブツアーのセットリスト作成やプロデュースは他のアーティストもやっていることなのでそこにフォーカスするのは危険ですね。別に特別なことではないし、辞めたらグループを離れたいと思っているかもしれないと私は覚悟はしていますけどね。
私は指ヲタではない、と書いても説得力はないかも知れませんが、そういう前提をまず置かせて頂きます。その上で言い切りたいのですが、いわゆる指ヲタさんは、実は指原さんを過小評価してると感じることが多々あります。「過大」ではなく「過小」です。
指ヲタさんという括りがまずければ、指原さんに関心のある人でも良いんですが、個々人ごとに思いは様々なのは当たり前として、けれどもネット上などで目にすることのできる、指原さんについての評価の多くに、少なくとも私は異を唱えたいと考えてますし、これまでも書いてきました。
あらためて持論を述べるというのもアレなんですが、まずはとっかかりとして、最低限、客観的と言えそうな分かりやすい論拠として、リリーフランキーさん、そして秋元氏の「指原先生」呼びを上げてみます。これを揶揄と受け取る向きもあるでしょうが、このお二人の経歴と年齢、そして指原さんとの関係性を考えれば、むしろ皮肉を効かした賞賛と捉えるのが妥当と考えます。
そして、客観性は弱冠落ちますが、やはり「おじさん殺し」とも揶揄される、福田監督、小林よしのり氏、タモリさん、ダウンタウン松本さんを始めとする、錚々たるお歴々との関係性。こういう方々と対等に会話が成立する22歳の小娘というあり得無さは、もっと正当に評価されてしかるべきではないでしょうか。
その他諸々の議論は過去ログ参照と言うことで、そちらで既述の通り、指原さんの特異才能は、認識され得る存在、つまり有の範囲にあって、それらの関係性を縦横無尽に操ることができるというものです。少なくとも不肖私はそのように考えてます。
これはまさに師匠たる秋元氏の才能に比肩するものです。この能力は、一般的には詐欺師、あるいは詐話師と呼ばれる人達のそれと近似しているとも考えられ、あるいは小説家、脚本家等、クリエーターに広く必要とされる能力でもあります。
もう一つ、指原さんの特異なところは、この若さにして自己了解象が確立してると思われるところです。これは恐らくはAKBというシステムの賜なんだろうと思いますが、それが可能なものにとっては「英才教育」というと語弊がありますが、ストレートな自己実現が可能な仕組みになってるんだろうと思われます。秋元氏の言うところの「鉢植えの位置を変える」という比喩がこれにあたります。
結果、指原さんの世界認識は、22歳の若輩者としてはあり得ないレベル、上記、成功したおじさん達と同等のレベル以上に到達してるものと推察されます。だから彼らとも会話が成り立つんでしょう。
自身の立ち位置が確立し、そこから見渡せる世界像が透徹している。極力、歪みや偏見から離れてる。そんなクリアな視野から、事物を縦横無尽に操れる。具体的にはセトリを組む、HKTメンバーのプロデュースをするになりますが、指原さんの存在様式は、そんな目に見える範囲を超えてしまってると、少なくとも私は考えてます。
こんな怪物に、いかな秋元氏と言えども未だかつて出会ったことはないでしょうし、だからこその「溺愛」なんでしょう。実際には「溺愛」なんかではなくて、正当な評価と対応だと思いますが。
だからこそ「HKTメンバーを酷評する」という意図は全くないんです。この辺り誤解を与えてしまったのかなと反省ですが、指原さんがあまりに突き抜けてしまってる、私の認識がそうなんだでと言うことなんです。「ライブツアーのセットリスト作成やプロデュースは他のアーティストもやっていること」は承知してますが、そんな皮相的な話ではありません。
むしろ、HKTを越えてAKBグループメンバー全般に言えるのは、素晴らしい子達を、よくぞここまで選び取ったなと。卑近な例では、昨日のチーム8の記述でも触れましたが、HKTメンバーも同様にして選び抜かれてると感じてます。
けれども指原さんは、そんな優秀なメンバーと言えどもライバルにさえなり得ない存在であることが、メタアナリシス的に、生誕祭のぐぐたすで露呈してしまってた、それが該当記事で述べたかった主旨になります。
とりあえずりのちゃん褒めてるってことでいいのか?
最初に、恐らく個々のHKTメンバーは、ブログ主さんが言われるような指原の全体性に対してライバルになりたいとか超えたいとか言っているのではないはずです。
総選挙でスピーチした宮脇咲良でさえ、彼女の中の個別化された指原の一部(あの場でなら選挙順位かな)に対してのライバル宣言と受け取るのが自然でしょう。
自己了解像とかの人間としてコアの部分や、関係性の操作とかその人の秀でた部分を取り上げてライバルになりうるかどうかというのは、少々いかがなもんかと。
もう一つ、こちらの方が根深い問題点だと考えていますが、田島芽瑠の「旅立つ」のような弱い表現であっても、公になる場や手段で指原クラスの序列で能力と貢献のあるメンバーが名指しされるのは彼女ぐらいしかいなかった事。
AKBGが自律的秩序を持った組織体であるなら、新しいメンバーが古いメンバーに並び超えていこうとする意思を持つのは喜ばしい事のはず。
現実的にライバルになり得るかどうかを論点とするよりも、ライバルにならなければと考えるメンバーの出現を評価するだけで良いんじゃないですか。
話はそれてしまうと思うのですが、指原だけが名指しでライバル視された事は、このブログの趣旨であるAKBGは日本人の精神性と文化の影響を受けていることに由来していると考えます。
第4回選抜総選挙の直後に地下板に立った↓のスレを覚えている方もいるかと思います。
http://akb48-matome.blog.jp/archives/51825309.html
指原はライバル視しても良い事と神々の中に迷い込んだ一般人と評された事の根底にあるのは同じものです。
日本人の根底にある、神たりえるのは創造と建国に携わった者と、そこから万世一系継承している者でなければならないとする思想ではないですか。
スレが立てられたのは指原のスキャンダル発覚前であり、その事抜きにして指原は最初から神々の末裔であるとは見做されておらず、神にはなれない存在だったのです。
その辺は個人(日本人)の趣味趣向だからというのは全くもってその通りなんですが、神だからといってライバル視するのは畏れ多いとの雰囲気が蔓延するのは問題です。
でもやっぱこの辺も日本人で、某大きな戦争終結時にさる高貴なお方に責任を取っていただくのを避けたのとまる被りしています。
絶対的センターと神々やその系譜の存在様式に問題があるんじゃないのかとの問はタブーなんですよねぇ…。
だからと言ってはなんですが、一般人の世界で起きた事象は肯定的に捉えたいんですね。