AKB48の旅

AKB48の旅

NHK視点・論点「秋元康 運のつかまえ方」

2012年09月24日 | AKB
例によっていつもの秋元康だった。とにかく新しい情報を出さない。これまで語ってきたことから半歩すらはみ出さない。その徹底ぶりは見事としか。

録画を流し見しながら言葉を拾ってみると、「運は平等」「あきらめない気持ち」「チャンスの順番」「得意分野だけ手を上げる」「自分との会話」「人生は勝ち越せば良い」・・・言い回しまでも前例踏襲。なので、新たな知見とかはないんだけど、それでも無理筋でもいくつかの指摘はできそうに思う。

まず、これは既述だけど、語り口からは思想色やイデオロギー色はやはり感じられなかった。この年代の方に多いと思うんだけど、団塊の通った後のガラクタを嫌という程見せつけられてるんで、だいたいがそういう方向性になるよう。ただ、秋元康の場合、そうですらないのかも知れない。

あとは「運」という言葉を経験を背景にして語っているな、そう思わせる語り口だった。表情には一切出さなかったけど、多くの実例を目の当たりにした、そんな一人一人の姿を顧みながら、自らの経験として語ってるようには見えた。その経歴と立場を考えれば、その語りの一言一言が重い、厚いはずなんだけど、うーん断定的に書くのははばかられるんだけど、少なくとも私には表層的に、悪意を込めた表現だと、どこか軽薄に感じられてしまったのは事実。

「本心」という言葉は使いたくないんだけど、言葉のそれこそ1ミリ奥には、全く違った考えが隠れてるかのような、秋元康という存在の表面の薄皮一枚だけを見せられているような、聞かされているような、そんな微妙なんだけど居心地悪さがあった。

なぜかとしばし考えてみて、そもそも必要最小限の情報で語るんで、厚みがないのはあたりまえとも言えそうだけど、かてて加えてやはり感情表現なのかなと。ルックス的にアレだというのもあるけど、感情が表に現れない。しゃべり口にも感情が載らない。そんな佇まいがネガティヴに反転して、表裏のある感じ、酷薄な感じを醸し出しているのかなと。

作詞を通して、あるいは高橋みなみさんを通して見聞きする秋元康は、人間性豊かなけっこう熱い人間に思えるんだけど、こうして本人の語り口に接してみると、埋めがたいギャップを感じざるを得ない。どうしてもそこに「悪意」を想定したくなる。それを誤解と断定して良いのかどうか分からないけど、少なくとも一般的には「誤解」されてるであろう、その要因はこれなんだろうなと感じた。

コメントを投稿