AKB48の旅

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kazuさんへのお返事

2016年05月05日 | AKB
私は競馬をしませんし、競走馬の生産牧場とかにも関心がないんですが、そういう比喩はありなのかなとか思います。選ばれたメンバーの化学反応という視点は、まんまサラブレッドの掛け合わせに比定できるのでしょう。牡馬と牝馬の比喩は、いわゆるエース/センタータイプとリーダー/マネジャータイプと言うことなのでしょうか。

以下、一般論にしちゃいますが、こういった比喩というのは一見こじつけに見えて、意外なくらいに本質に迫ることがあるように思います。とりわけ対象が複雑系/カオス理論的な存在様式を取る場合、個別の要素をエポケーして構造主義的なアプローチを取るというのは、しばしば有効であると考えます。繰り返し書いてますが、AKB現象というのはまさにそのような存在だと理解してますし、そもそも生命現象がその典型となります。競走馬の生産というのもまた、恐らくはそんな生命現象の系と見なせるのでしょう。

込山さんの件は、まだ様子見といったところのように思いますが、他に選択肢がないのが悩ましいところ、あたりでしょうか。外部的には「硬度」と受容(俎の鯉)という属性、内部的には心の強さと知性という属性、もちろん両立とかそういうことではないですし、矛盾しててかまわないのですが、それでも女性アイドルというのはかくも難しいものなのでしょう。

AKBG史ですが、「涙は句読点」が悪く言えば群盲象を撫ずもしくは総花的ではあっても、それなりによく追随できてたんではないかと思ってます。

1 コメント

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Unknown (kazu)
2016-05-29 17:44:45
>牡馬と牝馬の比喩は、いわゆるエース/センタータイプとリーダー/マネジャータイプと言うことなのでしょうか。

少し間があいてしまったけど蛇足ながら、秋元Pの創作意欲の観点も含めてもう少し。

ベタにタイプ分けというとそういうことになるけれど、センターポジションを輝かせるためにその他が存在する構造があるので、特にセンタータイプは現在の豊穣を収穫して何かを創りだす人だとい点を強調したい。
センターが強烈に輝けば輝くほど過剰な収奪による適応と繁栄への誘惑に駆られていく。
AKBGを取り巻く人々(ファンを含む)は、まだ前田敦子時代しか完全には経験していないので、正常な収穫のサイクルを体験していないのかもしれない。
一見して新たな箱を立ち上げて新たなエネルギーを呼び込み新たな豊穣を収穫する方法しか見いだせないような秋元Pの現状も危うく感じる。
センターからインスピレーションを得るクリエイター的な創作意欲の満たし方は、そこに豊かな実りを待てなければ過剰な収奪になってしまいかねない。

新たな箱を立ち上げるに関して、これまでの運営のミスなのではという事を一つ。
主要なメンバーの卒業などのターニングポイントで、そのメンバーがセンターを務めていたチームを一度解散させて、プレ新チーム立ち上げ公演を行い、新チームを立ち上げるべきじゃなかったか?
未熟なセンターにその他の古参メンバーが奉仕するという意識を新たに持つ意味で、旧チームの解散と新チーム結成に向けての公演をやる必要があるんだと思う。
原初にAKBのチームを立ち上げた時に、その機会に集った初期メンバーがチーム立ち上げの苦しみを乗り越えたように。
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