少しばかり店舗に対して批判的な口コミをしましたが、その口コミに対して、私を名指しで反論する口コミが入りました。そして私の食べログの個人ページのコメント欄にも同じ内容の書き込みがありました。
早速「個人攻撃を受けました」と食べログに通報。その日の内に消されました。
http://megalodon.jp/2012-0601-0950-24/r.tabelog.com/tokyo/A1317/A131705/13141044/dtlrvwlst/4191712/
この店の関係者なのか、それともよほど親しくしているのか知りませんが、かなり感情的な文章です。誰もが見ることのできるサイトに投稿するときは、腹立ちの感情は一旦覚まして冷静になってからが望ましいのですが、怒りにまかせて書いてしまう人がいます。後で冷静になってみたときには既にブログが炎上したりします。それがネット社会の恐ろしいところでもありますね。
それにしてもこんな人の意見がまかり通るなら、飲食店にとって不利な情報を出してはいけないことになり、食べログ本来の「実際に食べてみた人の率直な感想が読める」という意義が失われてしまいます。
私のことを「食べログの在り方を勘違いしている典型的な人」と書いていますが、この場合の典型的という言葉の使い方がよくわかりません。ある事象に関して、様々な事例がある場合、最もその事象の本質が現れている事例を「典型」と呼ぶのだと思っていました。本質があまり現れていない事例を「類型」と呼びます。「典型」とは「類型」の対義語なのです。
さて「食べログのあり方を勘違いしている」という事象について、私が「典型」であるなら、その本質はどのようになるのでしょうか。また、類型にはどのような事例があるのでしょうか。
そのあたりの論理的な思考が、この「シンザンモノ」なる人には欠落しています。
ただ感情的に「食べログの在り方を勘違いしている」と書く。
それはつまり、この「シンザンモノ」という人にとっての「食べログの在り方」なのであって、一般的な考え方とは違ったものなのだということです。一般的には、前述したように「実際に食べてみた人の率直な感想が読める」また「実際にテーブルに出た商品が写真で見れる」ということが食べログの意義なのではないでしょうか。「意義」という言葉の方がわかりやすいし、食べログというサイトの「在り方」については運営側の考えることで、状況の変化によって「在り方」も見直されていくと思います。
食べログの意義を全く理解していないのは、恐らくこの「シンザンモノ」なる人でしょうね。もう少し論理的なものの考え方をした方がいいと思います。