時々ランチを食べに行っているオーガニックカフェがあります。女性客の非常に多い店で、そこそこ流行っています。
もうひとつ、時々仕事帰りに日本酒を飲みに行っている鎌倉野菜中心の創作料理のお店があります。
今回はその創作料理店の店主と一緒にオーガニックカフェに行った時の話です。
オーガニックカフェのランチはコースになっていて、スープと前菜とデザートが付きます。メインは選ぶことができて、肉料理、パスタ、カレー、サラダランチというラインナップです。サラダランチは30種類の有機野菜と天然酵母パンが売りなんですが、多分野菜にこだわっているご主人のことだから、サラダランチを選ぶだろうなと思っていたら、案の定でした。
さて、スープも前菜も美味しいね、という話で始まったランチでしたが、サラダランチが運ばれてくると、少しご主人の顔色が変わりました。しげしげと野菜を見て、それから手にとって食べはじめました。不満そうです。そこで私がどうですか?と聞くと、彼は野菜を私に見せながら、次のように言いました。
見ればわかりますけど、葉っぱの厚さが薄いから、ぺらぺらと破れますよね。食べても野菜そのものの味があまりしない。どの葉っぱを食べても特徴がないんです。そして食べている今の間にもどんどん萎れてシナシナになっています。これがハウス栽培の特徴なんです。自然と戦いながら育っていないから、力強さのない野菜になってしまうんですね。有機野菜は露地物ではまず無理で、どうしても害虫を防ぐのにハウス栽培になってしまう。そして温度を一定に保つのに燃料を使う。ある意味ではこういう野菜は重油でできているようなものなんですよ。確かに農薬は使っていないかもしれませんが、温室栽培だから弱弱しくて、栄養分も少ない。体にとって良くも悪くもない野菜です。
その点、露地物は害虫がいるのでどうしても農薬を使わざるを得ませんけど、太陽を一杯浴びて、風や雨とも戦って力強く育っていますから、時間が経ってもしっかりしていて、シナシナになったりしませんし、黒くもなりません。ビタミンやミネラルも多くて体にいい。レタスはレタスらしくいつまでもシャキッとしています。人参だってそう簡単にへたったりしません。ブロッコリーなんかは食べる側にパワーが必要なくらいガッチリしてます。有機栽培は別に大したことないんですよ。
この言葉を聞いて、顔には出しませんが私は少なからぬショックを受けました。これまではお店の人の言う「30種類の有機野菜」だとか「天然酵母パン」だとかいうキャッチコピーを有難がって聞いていて、喜んで食べていました。先入観とイメージで食事をしていたんですね。要するに、野菜そのものを見て、味わって、自分の直感と経験則だけで判断することを忘れていたという訳です。ご主人の言葉を聞いて、自分が食事の場面でも頭でっかちになっていたことを思い知らされました。
実は、私がご主人を連れていったのにはある意図がありました。ご主人の店の野菜はどれもこれもごつくて、食べるのに顎が疲れるほどです。確かに野菜ひとつひとつはとても美味しい。でも料理として洗練されているかというと、どうなのかなと思っていました。そこで、有機野菜を上手に食べさせるオーガニックビストロに一緒に行って、食べる側にとって食べやすいものはどんなものかを知ってもらい、料理の向上に役立ててもらえればと思っていたのです。
しかしそんな私の浅薄な意図は簡単にひっくり返されました。ダメなのは甘やかされた私の味覚と、先入観で良し悪しを決めてしまう浅はかな精神構造だったのです。
もちろん、このことでオーガニックビストロの存在価値が下がるわけではありません。有機が好きな人もたくさんいますし、農薬には多かれ少なかれ、全く害がないとは言い切れません。味付けも盛付も繊細で優しく、女性客が多いのはいいことです。それはそれでいいのでしょうが、野菜に詳しくて、本当に美味しい野菜が食べたい人は、この店には来ないんだろうなと思えてきました。しかし、そんな人は多分、多くはいません。ごく少数だと思います。だから相変わらずこの店は流行るでしょう。
日本人の消費行動全体も、同じような気がします。先入観とキャッチコピーに踊らされて消費する人ばかりで、モノやサービスそのものの良し悪しを自分の直感と経験則だけで判断する人は、本当に少ないと思います。しかしそれでいいのでしょうか?
温室栽培で思い出したのですが、今の政権は松下政経塾出身者が多い。いわば温室栽培の野菜みたいな人たちです。自然と戦わずに重油で育った脆弱な人たち。日本人の消費行動と政権の選択がほぼ一致しているのは、ある意味当然のことなのでしょうか。政官財学報のペンタゴンが政権を牛耳っている限り、自分の直感と経験則だけで判断する人間は生きづらくなるでしょうし、減ってもいくでしょう。そのとき、日本という共同体そのものが脆弱になるような気がしてなりません。