25年2月23日付の「時間と空間はどのように違うのか」と題するブログの中で、一般科学書も出ている「時間は存在しない」とする説について、量子もつれの事例を挙げて説明した。その後、今年刊行された参考文献を読み、量子力学全体の中で時間と空間はどのように位置付けられているのかを考えることになった。その結果、この説は誤りではないが、空間の存在はさておいて時間だけを特別視するのは正当ではないと判断した。やはり「時間は存在しない」の文言はキャッチフレーズであって、相対性理論が教える通り、原理的には時間と空間を並列して同等に扱わねばならないと考え直した。
参考文献の中にある佐藤文隆先生にインタビューした「量子力学と私」という記事を読んで、量子力学をどのように理解すべきかについて教えられたと思う。先生は、「量子力学が情報理論の一種でもあると考えている」とのことである。たとえば、波動関数は状態を記述するベクトルで表現することもできる情報である。波動関数がベクトルであれば、物理量は、このベクトルに作用させる演算子を並べた行列とみることができる。そうすると、量子力学から波動関数と物理量を除いた残りの変数は時間と空間を指定する変数である。これらの変数は、人間が指定した情報に他ならない。先生の言葉を借りると、「たとえばxという場所にあるという情報は、情報であるから自然を写したものではなく、いつも100%とは限らない。つまり情報に関する理論は確率になる。」と言える。なるほど。波動関数という情報に物理量を作用させたものもまた情報であり、その観測値は確率によって決まる量である。時間と空間を指定する変数については、不確定性原理の制約の下では観測値は確率的に決まる。
芝浦工業大学の木村元先生による「ウィグナーの友人に聞いてみよう!-実在が揺らぐ世界と量子技術の未来」と題する講演を聴講した。先生は、実験形而上学という分野を研究しておられる。量子もつれに関するベルの不等式の拡張版として、局所友人不等式が提唱されている。ベルの不等式は、測定の対象物の状態と、測定器や観測者などの環境状態として、「実在性」+「局所性」+「自由意志の存在」を考慮する必要がある。古典力学では、実在性と局所性は当然の常識であるが、量子力学では破られている可能性がある。また、古典物理学では問題にする必要がなかった「自由意志の存在」あるいは「認識」が情報の形で測定結果に影響することになる。局所友人不等式では、「客観性」+「局所性」+「自由意志」+「友人性」+「物理的付随性」を考慮する必要があるという。
ここでは、これまでに知った量子力学の事例がベルの不等式あるいは局所友人不等式に照らして正当と言えるのか否かについて検討する。
ホイーラーは、二重スリット実験に基づいた思考実験を提唱し、現在の観測者が観測すると、過去において量子崩壊が発生するという「逆因果律」が成立する可能性を説いた。逆因果律は、量子力学の理論と矛盾しないが、実証されたことはないので、実在性または客観性がないということになる。「量子力学は観測される前の物理量の値に関する議論はしない」というのが統一的な見解になっているようだ。
スピン相関をもつ2個の粒子を左右に設けた測定器に向けて同時に発射し、左右のスピン検出子によってスピンの大きさを測定し、ベルの不等式を計算する。結果は、スピン検出子の角度をピンポイントに選んだときにベルの不等式が破れる。しかし、乱数を用いてスピン検出子の角度を決めると、ベルの不等式を満足する結果が得られる。測定条件として「選択の自由という抜け道」があり、「自由意志」の条項を満たしていないのである。偏光相関をもつ2つの粒子として光子を用いた実験でも、ベルの不等式が破れるか否かの判定を行うことができる。ただし、この抜け道を防ぐためには、光子が空中を飛んでいる間に偏光子の変数をランダムに切り替える必要があるようだ。
「シュレーディンガーの猫」をどう解釈するかについては、常識的な見方をしていたので、見直したい。
ベルの不等式あるいは局所友人不等式は、量子力学の実験の際に使えるがその実験は量子力学に限定されるものではなく、どのような科学的実験や社会的実験にも使えるのではなかろうか。もちろん、実際の実験だけでなく、思考実験やシミュレーションの際にも使えるであろう。木村先生は、「単体では科学となり得ない仮説が、複数を組み合わせると実験検証可能な科学となることがある!」と言われる。これらの不等式が具体的にどのような問題に使えるかについては、今後の課題としたい。
参考文献
現代化学 2025年1月号(東京化学同人)
ハルパーン著「シンクロニシティ 科学と非科学の間に」(あさ出版)
倉本義夫など著「量子力学」(朝倉書店)
参考文献の中にある佐藤文隆先生にインタビューした「量子力学と私」という記事を読んで、量子力学をどのように理解すべきかについて教えられたと思う。先生は、「量子力学が情報理論の一種でもあると考えている」とのことである。たとえば、波動関数は状態を記述するベクトルで表現することもできる情報である。波動関数がベクトルであれば、物理量は、このベクトルに作用させる演算子を並べた行列とみることができる。そうすると、量子力学から波動関数と物理量を除いた残りの変数は時間と空間を指定する変数である。これらの変数は、人間が指定した情報に他ならない。先生の言葉を借りると、「たとえばxという場所にあるという情報は、情報であるから自然を写したものではなく、いつも100%とは限らない。つまり情報に関する理論は確率になる。」と言える。なるほど。波動関数という情報に物理量を作用させたものもまた情報であり、その観測値は確率によって決まる量である。時間と空間を指定する変数については、不確定性原理の制約の下では観測値は確率的に決まる。
芝浦工業大学の木村元先生による「ウィグナーの友人に聞いてみよう!-実在が揺らぐ世界と量子技術の未来」と題する講演を聴講した。先生は、実験形而上学という分野を研究しておられる。量子もつれに関するベルの不等式の拡張版として、局所友人不等式が提唱されている。ベルの不等式は、測定の対象物の状態と、測定器や観測者などの環境状態として、「実在性」+「局所性」+「自由意志の存在」を考慮する必要がある。古典力学では、実在性と局所性は当然の常識であるが、量子力学では破られている可能性がある。また、古典物理学では問題にする必要がなかった「自由意志の存在」あるいは「認識」が情報の形で測定結果に影響することになる。局所友人不等式では、「客観性」+「局所性」+「自由意志」+「友人性」+「物理的付随性」を考慮する必要があるという。
ここでは、これまでに知った量子力学の事例がベルの不等式あるいは局所友人不等式に照らして正当と言えるのか否かについて検討する。
ホイーラーは、二重スリット実験に基づいた思考実験を提唱し、現在の観測者が観測すると、過去において量子崩壊が発生するという「逆因果律」が成立する可能性を説いた。逆因果律は、量子力学の理論と矛盾しないが、実証されたことはないので、実在性または客観性がないということになる。「量子力学は観測される前の物理量の値に関する議論はしない」というのが統一的な見解になっているようだ。
スピン相関をもつ2個の粒子を左右に設けた測定器に向けて同時に発射し、左右のスピン検出子によってスピンの大きさを測定し、ベルの不等式を計算する。結果は、スピン検出子の角度をピンポイントに選んだときにベルの不等式が破れる。しかし、乱数を用いてスピン検出子の角度を決めると、ベルの不等式を満足する結果が得られる。測定条件として「選択の自由という抜け道」があり、「自由意志」の条項を満たしていないのである。偏光相関をもつ2つの粒子として光子を用いた実験でも、ベルの不等式が破れるか否かの判定を行うことができる。ただし、この抜け道を防ぐためには、光子が空中を飛んでいる間に偏光子の変数をランダムに切り替える必要があるようだ。
「シュレーディンガーの猫」をどう解釈するかについては、常識的な見方をしていたので、見直したい。
ベルの不等式あるいは局所友人不等式は、量子力学の実験の際に使えるがその実験は量子力学に限定されるものではなく、どのような科学的実験や社会的実験にも使えるのではなかろうか。もちろん、実際の実験だけでなく、思考実験やシミュレーションの際にも使えるであろう。木村先生は、「単体では科学となり得ない仮説が、複数を組み合わせると実験検証可能な科学となることがある!」と言われる。これらの不等式が具体的にどのような問題に使えるかについては、今後の課題としたい。
参考文献
現代化学 2025年1月号(東京化学同人)
ハルパーン著「シンクロニシティ 科学と非科学の間に」(あさ出版)
倉本義夫など著「量子力学」(朝倉書店)
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