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量子論についての雑感

2022-06-12 07:21:16 | ブログ
 量子論は、難解な理論と言われる。その筋の専門家が書いた文献を読んでも、何か分かったような分からないようなモヤモヤ感が残る。ある参考文献の記述によれば、「量子力学の一番むずかしいところは、人間の直感に反することだ。」という。そのため、言葉だけで量子論のまとまった説明をしようとすると失敗するし、自然言語に数式を加えても、やはりまとまった説明をするのは困難である。まとまり感のある説明をできないのが量子論であると高をくくった方がよいようだ。それでも、個々の量子現象に対して適切なモデルを使えば分かりやすい説明ができるし、その実験結果からみて量子論ほど精密な理論は他に類を見ない。

 量子論が最も人間の直感に反するところは、量子がもつ「粒子と波動の二重性」と「重ね合わせ」という特性のことであろう。量子とは、「粒子と波の性質を併せ持つ粒子でも波でもない何か」と説明される。どちらでもないのだから、ある場合には量子を粒子とみなすようなモデルを使えば適切な説明ができるし、別の場合には波とみなす説明が分かりやすいし、さらに別の場合には粒子または波の状態を表す表示を用いるのが適切であるということになる。

 また、時間についてもある場合には「時間は存在しない」と考えた方が適切な説明ができるし、別の場合には人間が設定した時間軸を導入しないと説明できないということになる。

 以下、二重スリット実験を例として挙げて、上に述べたことを確認してみよう。この実験については、いくつか少なからぬ量子論の文献に説明してあるので、必要ならばそちらを参照することにして、詳細な説明は省略しよう。

 ここで特記したいのは、1個の量子を粒子とみなしてもこの粒子を波束で置き換えれば説明可能であるが、説明をシンプルにするためには、単色の波で説明するのが都合がよいということである。波束は、色々な振動数の波を重ね合わせたもので構成されているので、波の干渉を説明することは、結局、単色波と単色波との重ね合わせによる干渉の話になるからである。

 そうすると、実験に使用する量子は理論的には何でもよいが、最も容易にその効果を確かめるためには、単色の光子か電子がよいということになる。実験は、多くの量子を飛ばして統計的なデータをとる必要があるが、1個1個の量子を単色に揃えるという技術的な難しさがある。光子の場合には、レーザ光という手段があるから比較的容易にみえるが、光子を1個ずつ分離して飛ばす技術は難しいのではなかろうか。電子の場合には、単色の電子を生成する技術とそれを1個ずつ分離して飛ばす技術が必要であるから、さらに難易度が上がるのだろうか。ちなみに、単色の電子とは、各個体の振動数が揃った電子、すなわち運動エネルギーが揃った電子ということになり、結局、光子のもつ運動エネルギーの式: プランク定数×振動数と同じ式が成り立つ。

 量子の波が二重スリットを通過するとき、波が2つに「分かれる」というような説明をすると、専門家から注意を受ける。量子の波は全体として一体となったものであり、分離することはないという主旨であろう。考えてみれば、一つの波が2つに分離するということは両者の相互作用がなくなることを意味するから、両者の重ね合わせが生じるはずはなく、干渉は起きないはずである。

 次に「時間」について説明する。ここでは、「量子もつれ」を一例として挙げると、説明しやすい。量子もつれについても、参考文献のような文献に説明してあるので、詳細な説明は省略するが、一言で言うと、「量子もつれとは、重ね合わせ状態にある量子が2個以上ある特殊な状態であり、そのうちの1個の量子を観測すると、他の量子にも「瞬時に」影響が及ぶという相関関係をもった状態のことをいう。」たとえば原子や電子はスピンという性質をもっている。スピンとは自転のことで、観測されるまでは、時計回りと反時計回りの2つが重ね合わさった状態で存在するとされる。」

 重ね合わせ状態にある2つの量子が量子もつれの関係をもつとき、一方の量子を観測すると、スピンの方向が決まり、2つの量子が相関関係をもつので、他方の量子を観測しなくとも、もう一方の方向が予測できる。マクロの世界の常識を適用すると、一方の量子の情報が光の速度を越える速さで他方の量子に伝わることになるので、「非局所的長距離相関」と言われてきた。しかし、相関関係をもつ2つの量子がつくる波が一体であると想定し、「時間は存在しない」と考えると、一方の量子の情報を他方に伝える必要がなくなる。

 マクロな世界において相関関係をもつ物体のペアについて、「量子もつれ」もどきの実験を行うとする。例えば、人がはく靴下の色を観測する。多数の人々について左右の靴下の色の観測結果を予想し、「ベルの不等式」と呼ばれる論理式が成立するのか計算するのである。マクロな世界では、決定論が通用するので、人の靴下の色は観測する前から決まっており、実験しなくとも計算だけで観測結果を予想することができる。その結果は、マクロの世界の論理が適用できて、人々がはく左右の靴下の色がどうであれ、ベルの不等式が成立するという結果が得られる。

 一方、2つの量子が量子もつれの関係をもつとき、多数の量子ペアを用いて量子もつれの実験を行い、「ベルの不等式」が成立するのか否かを見るのである。量子のスピンの方向がそれぞれ重ね合わさった状態にあるときには、両方の量子は強い相関関係をもつので、その観測結果は理論的にも予想できて、結果は「ベルの不等式」が成立することになるのだろう。

 しかし、測定する物理量を量子の位置または運動量にするとどうなるだろうか。つまり、一方の測定器では量子の位置または運動量を測定し、他方の測定器でも量子の位置または運動量を測定するとする。両方の位置測定値の相関関係は強いので、両方の測定器が量子の位置を測定する場合には、理論的にもある程度予想できる。両方の測定器が量子の運動量を測定する場合も同様である。しかし、一方の測定器が量子の位置を測定し、他方の測定器が量子の運動量を測定する場合の相関数値を理論的に予想することは難しい。量子の位置と運動量がバラつくので、両量子の相互作用が変動し、実験によってその相関数値の平均値を求めるためには大量の量子ペアが必要となる。このようにして求めた相関数値をベルの不等式に当てはめると、それが成立しないことが報告されている。量子もつれの世界では、マクロの世界の論理が適用できないことを示唆している。

 次に、「時間」に関する第2の例を挙げる。宇宙には、電子と陽電子のように粒子と反粒子とが同時に存在する。両者は時間反転しており、粒子の運動が時間軸を未来の方向に進むとすれば、反粒子の運動は過去の方向に進行すると解釈される。両方の時間の進む量を加えると0になるのだから、時間の流れはないことになる。しかも両者の運動量を加えると0になると予想されるのだから、両者の相対論で言う固有時間を加えても0に一致するはずである。電子と陽電子は、特殊相対性理論が支配する真空場で生成されるので、両者の空間軸についても空間反転することになる。

 こうしてみると、不確定性原理が支配する量子の世界という聖域にマクロな手を突っ込んで、マクロな世界の論理を用いて議論すべきでないことが分かる。量子論が教える自然観は非常に形而上的ではあるが、それを率直に受け入れるのがよいということになる。

 参考文献
 松浦壮著「時間とはなんだろう」(ブルーバックス)
 古澤明著「光の量子コンピューター」(集英社インターナショナル)