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最近のブラックホール観測事情

2021-02-28 08:07:33 | ブログ
 オンライン開催の自然科学カフェに参加し、東北大学の市川幸平先生のブラックホール(BH)に関する講演を聴講した。

 ブラックホールには3種類あるという。太陽質量の10倍くらいの質量をもつ恒星質量BH、太陽質量の100~10^5倍くらいの質量をもつ中間質量BH、および太陽質量の10^6~10^10倍くらいの質量をもつ超巨大BHである。

 これらのBHのうち、恒星質量BHと超巨大BHは観測されているが、中間質量BHは、まだ(ほとんど)見つかっていないという。超巨大BHは、銀河の中心に位置し、活動銀河核(AGN)と呼ばれている。

 中間質量BHは、星の密度の高い星団の中で、星同士の衝突、合体の繰り返しから生まれるとされる。その理論的なモデルも作られているが、超巨大BHに比べて観測が難しいという事情があり、見つかっていない。この種のBHは存在しないという可能性もあるという。

 超巨大BHがどのようにして形成されたのかは、いまだに謎である。銀河同士が衝突、合体することは、かなり頻繁に生じる出来事であり、両銀河が持つAGNが連星BHを形成する可能性はあるが、この連星BHが合体して太るという出来事は、容易には生じない出来事のようだ。観測される超巨大BHに10^10太陽質量という上限があることもBHの肥大化の制約を示唆しているのかもしれない。

 ブラックホールは、熱平衡状態に達した孤立系とみなされ、その温度TとエントロピーSを計算するためのホーキングの公式が知られている。ブラックホールの熱力学に関する質問をしたが、専門ではないからということで回答を断られた。なるほど、講演のタイトルも「天文学者的超巨大ブラックホールの見かたと成長の見守りかた」となっているから、当然のことか。

 2019年5月ごろ、NHKの科学番組で放送された120~100億年前に生じたとされる天の川銀河と他の銀河との衝突について、その後、なぜこの件に関する新聞記事や文献が見当たらないのかについて質問してみた。回答は、銀河同士の衝突はありふれた出来事であるというようなそっけないものであった。専門家の興味と一般市民の興味との間に温度差があるのか、あるいは詳細な説明を避けたいような事情があるのだろうか。

 フラックホールの熱力学については、参考文献を読んでも理解できない。あまりに専門的な話に発展するので、とりあえずサイエンス・コミュニケーションの対象から外しておいた方がよいだろう。

 参考文献
 大栗博司著「重力とは何か」(幻冬舎新書)

未来のベテルギウスからの終焉の信号

2021-02-07 08:42:42 | ブログ
 2020年10月11日付ブログ「時間の流れのない空間を量子が移動する」を書いた後、参考文献を読んで刺激を受け、再び「時間は存在しない」という説に関するブログを書きたくなった。

 参考文献の著者は、「相対論の中に時間の流れはない」と述べ、「相対論においては、過去と未来は完全に対称的であって、過去と未来をひっくり返しても何ら問題はない」と続ける。

 宇宙において過去に生じたある事象は、光の信号として空間を伝搬し、時間をかけて現在の「私」に届く。例えば、オリオン座の年老いたベテルギウス星は、地球から643光年離れているので、現在「私」が見ているベテルギウスは、(「私」の時間で測って)643年前のベテルギウスの姿であるということになる。

 ところが、未来に生じるであろう事象からの光について、著者は、「過去からの光は「私」に届くのに、なぜ未来からの光は「私」に届かないのか?」という疑問を提示している。過去と未来が完全に対称的であるならば、未来からの光も「私」に届くはずであるというのである。

 そこで、未来からの光が我々に届くとはどういうことかについて、座標軸として時間軸tと空間軸xをもつミンコフスキー空間のグラフを用いて確認したい。

 このミンコフスキー空間では、1秒=30万km(真空中で光が1秒間に進む距離)とし、光速c=1とする。こうすると、時間tと空間xは同じ次元(デイメンション)となり、しかも無次元となる。ミンコフスキー空間上で物や光の動きを表す直線を世界線と呼ぶ。ここでは、時間軸を実数で表すが空間軸は虚数で表す。こうすると、光の世界線は45度の傾きをもつ直線となる。また、光の世界線の長さは、どこを測っても0となり、光の速さで動くモノは経過時間が0、すなわち時計が止まるということになる。

 図は、ミンコフスキー空間上でベテルギウスから発せられた光が現在の時点Oの「私」に届くまでの時間経過を示すグラフである。時間tと空間xは同じ次元かつ無次元でもよいが、図の正方形の一辺の長さを同じ643年とみなしてもよい。また一本の光の世界線では光が我々に到達するまでの経過時間を表せないので、光の世界線を時間方向にシフトして経過時間を表す(世界線の矢印は光が進む方向を示すだけである)。



 643年先の未来にベテルギウスが星の終焉である超新星爆発Eを起こすと仮定する(未来であれば何年先でもよいが、説明の便のためにこう仮定するだけである)。未来からの光が我々に届くと仮定し、参考文献で例示するように我々の時間の流れの向きは過去から未来の方向を向いており、ベテルギウスの時間の流れの向きは未来から過去の方向を向いているとする。そうすると、世界線OEは過去の方向にシフトし、事象Eは643年かかってt=-643年の時点Aで地球に届くことになる。これは過去の事象であるから観測できない。

 さらにこの事象Eは過去からの光ともなり得るから、我々の時計で計測して643年経過したBの時点で我々に届くはずである。このとき世界線BEが我々の時間で未来の方向にシフトするとみなすと先の時間の流れの方向の仮定と矛盾するから、過去の方向にシフトすると仮定しなければならない。

 ところがそのように仮定すると、ベテルギウスの爆発の時系列変化の映像が我々には逆回しにした動画としか見えないから、恒星の進化過程の理論と矛盾する。

 こうしてみると、未来からの光が「私」に届くという仮定は矛盾を招くので、あり得ないという結論になる。

 反粒子に関する著者の文章をコピーさせてもらう:「多くの素粒子は、自分自身と電荷が反対なだけで、あとはまったく同じである反粒子をもっている。たとえば、電子の反粒子は陽電子である。(中略) 陽電子は、未来から過去へと進む電子であると解釈されている。陽電子に限らず、すべての反粒子についても同様である。」

 粒子と反粒子との関係は一種の量子もつれと考えてよいだろう。私は、「時間は存在しない」という説を信じているので、粒子―反粒子系にも時間というものはないと考える。したがって、この系の時間体系は、時間は流れるという人間の意識に沿った仮定である。例えば粒子に時刻tという時間変数を与えたとすれば、その反粒子には-tという時間変数を与えればよいだろう。両者の時刻を加えたものは時刻0のままである。よって、著者の言う「未来から過去へと進む陽電子」という解釈は妥当であると考える。

 光の粒子は光子であるが、光子には反粒子があるのだろうか。光の粒子に反粒子があるとすれば、それは光子そのものである。著者は、「光の反粒子とは、ふつうの光が未来から過去へと進む姿であるということになり、これは未来から過去への光を肯定することになる。」と述べている。しかし、同じものを反粒子と呼べるかについては疑問である。任意の二つの光子の間には量子もつれの関係はなく、二つの光子の接近による反発や対消滅がないからである。統計力学では光子はボーズ粒子に属し、相互作用がきわめて弱い独立した粒子とされている。ボーズ粒子は、電子などのフェルミ粒子とは異なり、一つの状態に無数の粒子が存在できるのである。

 物体や量子が各々一個の独立した対象物である場合、どのような時間体系を導入すればよいのだろうか。時刻tを与えるような時間の流れと時刻-tを与えるような時間の流れとを仮定し、そのうち時刻tの時間体系の方を導入すればよいだろう。

 宇宙に存在する天体はすべてビッグバンの生成物から始まり、宇宙の膨張とともに拡散していったという歴史をもっている。これは不可逆過程であり、時間の流れの向きは過去から未来の方向を向いていると考えるのが妥当である。さらに各々の恒星は無数の原子・分子の集合体であるから、熱力学や統計力学の法則に従い、不可逆過程をとる。恒星から放出される光は恒星の進化と同期しているから、光信号が宇宙空間を伝搬するときその時間の流れの向きは過去から未来の方向を向いていなければならない。

 参考文献
 橋元淳一郎著「空間は実在するか」(インターナショナル新書)