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創発について語る

2024-08-18 11:43:06 | ブログ
 自然科学ダイアログで、「創発は部分と全体の関係を埋めるのか?」をテーマとしてダイアログすることになり、この機会に自分の見解をまとめておこうと考えて筆をとった。「創発」とは、非線形科学や複雑系科学で使われる用語であり、英語のemergenceの訳語と思われる。emergeという動詞からつくられたemergenceは、ひとりでに(自然に)出現する現象を意味する。「創」は「ひとりでに」を意味し、「発」は「発現する」を意味するのであろう。

 力学系において、系の構成要素が集団をつくると、全体として単独の要素の特性からは説明できないような物性を示すことがある。よく挙げられるのが、水分子がその温度を変えることによって、気体・液体・固体のように相を変える「相転移」という現象である。また、強磁性を示す物質を加熱していくと、ある温度(キュリー温度)でその磁性が失われることが知られている。相転移の一種である。また、高温状態にある熱源と低温状態にある熱源との間にある熱平衡状態にある液体について、二つの熱源の間の温度差を大きくしていくと、対流という別の物性を示す状態になる。熱平衡状態から対流状態への相転移である。これらの例は、構成要素どうしの相互作用が生み出す非線形現象である。

 保存力学系では、エネルギー保存則が成り立つとともに、系のエントロピーは最大のままその増減はないものと理解する。系全体の物理量さえ分かればよいのであり、ミクロな部分の物理量は意味をもたないことになる。

 散逸力学系では、エネルギーの散逸があるとともに、エントロピー増大の法則が成り立つ。多くの散逸力学系は、構成要素どうしが強く関係しあう非線形システムとなり、システムが自らを組織化していく自己組織化とよばれる現象を示す。ここでいう自己組織化とは具体的にどのような現象か解析できれば、その解析結果から説明できるものと考える。

 非線形科学の研究を通じて、全く異なる現象の間に共通の不変構造を見出すようになり、数理現象学のような分野が展開されることになった。その結果、人間の社会にも数学的な法則によって説明できる現象が少なくないことが見出され、特に人間関係のネットワークやインターネットがしたがう法則として、ネットワーク理論が有効なことが知られるようになったのである。

 世界には70億人もの人間が生活しているが、一人の人間が残りのすべての人間との間に情報交換のリンクをもつということはあり得ない。しかし、一人の人間は他の任意の一人の人間との間に平均して6段階の情報交換リンクがあればつながるという。隔たり次数が6という数値で表現できる。世間は狭いという意味で、スモールワールド・ネットワークと呼ばれている。

 一人の人間は、平均すると数十人の知り合いがいて、比較的強い絆の下に情報のリンクをもつことになるだろう。この人間を中心としてリンクの「群れ」をつくっているという意味で「クラスター化」していると言える。このようなクラスターは、全世界の人間に及ぶ類のものであり、かなり普遍的なものである。したがって、このようなクラスターの平均リンク数を用いてすべてのクラスターが規則的につながるようなネットワークのモデルをつくることは容易である。しかし、そのようなモデルの隔たり次数を計算すると、予想されるように大きな数値となり、6次の隔たりという現実世界を説明できない。

 そこで、このモデルに、対象者を任意に選んで二者間のランダム・リンクを加えてみると、隔たり次数が急激に低下することが分かる。全世界の人間の間の平均の隔たり次数を6にするには何本のランダム・リンクを加えたらよいか計算できるだろう。参考文献によると、「スモールワールドを作りだすためには、つねにごく少数のランダム・リンクがあれば十分である」という。ランダム・リンクは、クラスターを構成するリンクとは別枠となり、「弱い絆」のリンクと呼ばれるが、スモールワールド・ネットワークを構成するためには、決定的に重要である。

 参考文献の文言を引用すると、「隔たり次数は、ある場所と別の場所とのあいだで情報を行き来させるのに要する一般的な時間を表しているから、スモールワールドの構造は、情報処理の能力と速さに寄与することになる。」

 脳の神経細胞(ニューロン)のネットワークも、スモールワールド構造になっている。参考文献を引用すると、「脳は一つのまとまりをもった統一体として驚くほど見事に協調した働きをしており、どんな瞬間にも、完全に統合された意識の反応を一つだけ作りだしているのである。」

 別の自然科学ダイアログで、出席者の一人が、宇宙の大規模構造と脳の神経細胞のネットワーク構造とが類似しているという研究成果を紹介したことを思い出した。宇宙の大規模構造とは、宇宙に存在する数多くの銀河が形作る空間分布パターンのことであり、銀河団は互いにフィラメント状に連なって超銀河団を形作り、銀河が比較的少ない領域(ボイド)を取り囲んでいるという構造をもつ。宇宙の大規模構造は、誕生間もない宇宙で生み出された原始密度ゆらぎがその後の宇宙膨張と重力的進化にともなって成長した結果、形成されたものと考えられている。神経ネットワークの形成に際しては、宇宙膨張と重力の影響を無視できると考えられるので、それでもなおかつ両者の構造が類似しているとなると、システムの構成要素間に働く相互作用の種類が異なっても類似したパターンになるように自己組織化されるということだろうか。素人目には、重力の大きさが及ぼす作用の大きさを決める宇宙の大規模構造と、アクセス頻度の大きさがハブの影響力の大きさを決めるインターネットのリンク構造との類似性に注目したくなる。

 企業などの組織がかかわるデジタル・トランスフォーメーション(DX)は、単にIT化やデジタル化により業務を効率化するだけでなくデジタル技術を活用して組織や企業文化・風土を変革することとされている。これは、環境変化に応じて企業の相を変えることであるから、力学系における相転移に類似していると思われる。

 参考文献によれば、人間社会のネットワークもインターネットも、「すべて、ニューロンのネットワークや生体細胞内で相互作用している分子群のネットワークともまったく同じ組織的構造をもっている」とのことである。こうなると、細胞内の分子ネットワークは、どのような構造をもっているのか探究したくなる。

 ネット情報によると、細胞内分子の相互作用ネットワークよりも、細胞間相互作用ネットワークの方が早く明らかになりつつあるようだ。ほとんどの細胞が数十種から数百種のリガンド(細胞から分泌されるホルモンや成長因子など)や受容体(細胞膜に存在するタンパク質)を発現しており、複数のリガンドー受容体経路を介した細胞間相互作用ネットワークを構築しているという。この相互作用ネットワークの全体像から、細胞間コミュニケーションのために使用するリガンドー受容体ペアの種類数の多い細胞系列がハブとなり、その種類数の少ない細胞系列を圧倒していることが読み取れる。

 生体細胞内で相互作用している分子のシミュレーションが行われており、いずれ相互作用ネットワークの構造も明らかになるだろう。このネットワーク構造と細胞内タンパク質についての要素還元的な研究成果とを合わせると、細胞内で行われる自己組織化の詳細が理解されるものと期待する。

 生命とは何かについて、シュレデインガーの著作以後にポール・ナースの「生命とは何か」が出版されたり、「動的平衡」のような哲学的概念を提唱する人も出てきた。そもそも生命というものを「自己組織化」などの自然科学の用語や数式によって記述できるものか否か根本的な疑問がある。

 「生命」は俗語であるとともに、形而上学的な言葉でもある。宇宙が物質を駆動して行っているシミュレーションのうち、我々の意識が特別な構造をもつ物質の活動と捉えているものを「生命」と呼んでいる。そうであれば、「生命」とは我々の意識がつくりだす幻想かも知れない。「生きている状態」と「死んでいる状態」との違いは、同じ物質についての相の違いを意味するだけかも知れない。

 参考文献
 蔵本由紀著「非線形科学」(集英社新書)
 マーク・ブキャナン著「複雑な世界、単純な法則」(草思社)
 清水博著「生命を捉えなおす」(中公新書)