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最近思うこと

2009-12-22 16:47:15 | うんちく・小ネタ

  近頃、感動するというか、感嘆に耐えないと思うことがある。それは、日本の文化遺産の1つとみられる「こいのぼり」のことである。こいのぼりは、いうまでもなく、我が子供の将来の幸福を願う親心を表すものであったはずである。しかし、それが無意識のうちに東洋の精神とも言うべきものを形で表現することになった物と考えざるを得ない。さわやかな5月の空の中で、自然が作り出す大気の流れに逆らうことなく身を任す様は、まさに自然のいとなみと一体となって生活する人間自体を象徴するものに他ならないように思える。すなわち、こいのぼりとは、生ける人間が姿を変えたものである。

 一方、欧米が作り出すものは、すべて自然に対抗して人間の能力を誇示するものに思えてならない。例えば、公園や広場に設置された人物などの彫像もその1つである。そのほか、風力発電をする風車もそうである。大空を飛びまわる飛行機にしても、時には大気の流れに身を任せて優雅に飛ぶ鳥に比すべきものは何もない。これらの例は、西洋文明が、よく言われるように、東洋の文化とは全く異なった土壌で生育したものであることをよく表している。

 今後、生命現象が係るような自然哲学を探求していくに際して、東洋流、西洋流のどちらの態度をとればよいのだろうか。複雑な自然のいとなみに分け入るには、常に自然と対話するという態度が必要なように思われる。すなわち、東洋流の態度ということである。しかし、それは、あまりにも自然のいとなみに身を任せるあまり、哲学や思想なき東洋人一般の生活態度を指向するものであろう。それでは、自然哲学の探求は困難である。自然哲学も、混沌から秩序を構築していく一種の自己組織化のいとなみとみるならば、西洋流の思索の作法が伴わねばならない。